また299で…

死亡事故が発生した模様。現場はR299の東吾野駅付近、プリウスとAW11MR2(いわゆるミスター)が衝突し、潰れたMR2の車内から救出されたドライバーは、搬送先の病院で亡くなったそうだ。いろいろな情報が飛び交っているが、それらを並べていくと…。

・MR2を運転していたドライバーは、MR2の所有者ではない。
・相手方の容態は不明。負傷とのこと。
・死亡したドライバー(弟)と姉がLINEにてメッセージのやり取りを行っており、雨の中でのドリフト走行を連想させる文章を送っている。
・MR2に掛けられている任意保険が所有者限定だった場合、自賠責とドライバーの他車運転危険補償特約頼り。ただし、借りた他人の車で、公道を攻めるようなアタマの弱さからして、ドライバー当人の保険がない可能性も。

R299は十国峠前後の酷道区間へ行くための経路なので、事故現場は必ず通るルートだ。ここは免許を取って以来、何度も通っている道だが、沿線に民家が並んで見通しが悪い生活道路で、地元住民の車や近所の鉱山に出入りするトラックが普通に往来しており、むしろ注意を要する区間だ。無茶やってた昔でさえ「ここで遊ぶの?無理じゃん」「ここは通過っすわー」なんて会話をしていたほど。それなのに今も昔も走り回る者は数多く、どうしてここで走る(攻める)のか?という疑問しか浮かばない。

R299の黄色い風車カーブ

写真の現場は、一際目立つ黄色い風車が飾られた左カーブで、2004年10月に発生したレガシィと大型トラックの事故現場だ。ここだけでなく、年を追うごとに、沿線に置かれている花束やペットボトル飲料が増えている。

今回だけでなく、R299は今まで散々事故が起きていて、ネット上ではリアルタイムで状況を掴めるようになった。悲惨な状況を見ることで、そろそろ走る(攻める)道路ではないという認識が広まっても不思議ではないが、所詮は他人事、自分のウデなら大丈夫と盛大に勘違いし、車は走る凶器であることを忘れた者から事故を起こしていく。いくら自分が気をつけても、とち狂った対向車線のドライバーに突っ込まれる危険性もあるため、車列の先頭は絶対に走らないようにしている。

ある日の夜。R299の黄色のセンターラインが設定された区間で、S14かS15のシルビアに無理やり追い越しされ、「あっぶねーなー!」「今のはシルビアですねー」とヒヤヒヤさせられた過去がある。先にあるいくつかのカーブを抜けたところで、そのシルビアが大破して「さっきのシルビアだ!」なんてこともあった。

記念Suicaの末路

カードホルダーの整理をしていたところ、Suicaが出てきた。JR東日本のICカード…SuicaとJR西日本のICカード…ICOCAが、それぞれの会社線内で相互利用できるようになり、それを記念したカードだ。

相互利用記念Suicaイオカード

発売は2004年8月で、今から14年前。懐かしいイオカードマーク付き。当時は窓口に並んだり、転売屋と思わしき買占めが起きるようなことはなく、何事も無く購入することができた。記憶に新しい、東京駅開業100周年記念Suicaの混乱ぶり(2014年)と違って、まだまだSuicaに対する注目度は低く、買い物やバス、私鉄線では使えなかった背景もあって、鉄道マニア向けのコレクションアイテムのような扱いだったと思う。

限定品とはいえ大切に保管することはなく、購入当初はそれなりに使っていたようで、けっこうキズだらけだ。それから年数が経過してキャッシュレス化が進むにつれて、Suica定期券で事足りることが多くなり、カードホルダー内に死蔵されることになった。

会社内に設置されている自販機においても電子マネーが使えることから、小銭入れにもう一枚のSuicaをセットしていた。このSuicaを久しぶりに使い切って、タイミングよくこの記念Suicaが出てきたので入れ替えることになり、次は記念Suicaが小銭入れ用の電子マネーとして使うつもりだった。

ただ、あまりにも古いカードなので現行バージョンへの交換対象カードに該当し、ついでに裏面を良く見ると『機器等での最後の利用日から10年間利用がない場合は、失効します』という規約が妙に引っ掛かる。最後に使ってから、10年は経過している可能性が極めて大きく、そうなるとカードとしては使えなくなっている。

チャージできるか、残高照会ができるか、ものは試しと自動券売機に入れてみたところ、『このカードは使えません』と吐き返されたので、失効していたのだろう。

使えない以上は持っていても仕方ないことから、JR東日本に返却してデポジットの500円を取り戻すことになった。返して手放すなんてもったいないという心情も一つの考えだが、この手のものは必要時に使えて役に立ってこそ、本当の価値が出てくる。限定!記念!という謳い文句で買って使わなかったものは、実際は販売元に買わされたようなものだった。

温度測定

PP1ビートは、エンジンをリアミッドシップに配置しており、応じて電装系パーツもリアにセットされているものがある。例えば、ECU。

ECUはリアバルクヘッドに取り付けられていて、エンジンからの熱が伝わってしまい、基板上の部品が損傷する事例があるようだ。熱に弱い電解コンデンサが熱せられて、膨張、破裂。電解コンデンサ内部の電解液が基板上に飛散し、回路パターンを腐食させてしまう例がいくつもアップされている。

この事例から、EK9シビックRにおける、ECUの温度環境はどうなっているのか気になった。EK9のECUにおいて、電解コンデンサが破裂したとか、膨張して液漏れに至ったという報告は見つかっていない(見つけられていない)が、この先も長く乗る以上は状況を知っておくことは悪いことではないはずだ。

ECU内部のサーモテープ

用意したサーモテープは40℃から60℃まで計測できるタイプだ。これをECUのカバー裏面に貼り付けて、夏季シーズンいっぱいかけて、ピーク時の温度を測ってみる。

計測期間は2018年7月1日から9月30日までの92日間、約三ヶ月。その他の条件として、毎日必ず走っており、炎天下での長時間駐車がある。エアコンは上半身と足元を同時に風が出る設定で、運転中は必ずクーラーを使うといった具合だ。

タイミングがいいのか悪いのか、7月早々から気温が30℃を上回る日々が続き、8月は体温レベルの36℃に達する日がよくあった。9月に入っても厳しい残暑が続き、先週…9月最後の週で、ようやく秋らしい空気に変化した。車内の温度はかなり高くなっていたはずで、内装カバーに包まれているとはいえ、ECUの周辺も熱かったことが予想される。過酷な気温が、計測には好都合だったとも言えるが、それにしても暑かった。

9月30日、予備ECUと入れ替えて、計測終了。さっそく部屋に持ち帰って、カバーを開けてみる。

三ヶ月運用後の温度変化

サーモテープの色が変化している。
カバー裏側に貼り付けているのでECU内部の温度ではなく、カバー部分の温度を示していることになり、電解コンデンサや基板表面の温度とは若干異なる。通電すれば、各部品が発熱してくるため、厳密な測定結果にはならないが、参考にはなるはずだ。

サーモテープの変化具合

46℃まで色が変わり、49℃は白色のままなので、最高48℃にまで達したことが予想される。このサーモテープは一旦色が変わると元には戻らず、いわばピークホールド表示になる。

カバー部分で48℃だったならば、運転中はエアコンが効くことで、もう少し温度が低くなるものと考えられるため、電解コンデンサの耐熱温度は105℃で事足りると判断できる。中には125℃、150℃という高級品もあるが、高温タイプを使っても寿命が延びるわけではないため、コストや特性のマッチングを考えると、明らかにオーバースペックとなってしまう。

ニチコンUBX仕様

電解コンデンサは寿命がある部品なので、ゆくゆくは対処が求められる可能性があるが、何もECUだけではなく、エアバッグやABSの各コンピュータ、メーター内部にも使われていることから、難しい問題になることは間違いなさそうだ。現在のところ、見た目を含めた異常は起きていないので、リスキーな電解コンデンサの交換に挑むより、予備品と順次入れ替えていくほうが安心かもしれない。

台風一過、らしい

昨夜からのニュースは台風24号が上陸して大暴れしそう…というニュースで溢れていて、都心のJR線は20時を目処に全線で運休になったそうだ。それに応じて、夜間勤務の人は早々に招集が掛かったなんて話もあって、安否確認や明朝の出勤方法の連絡があるかもしれず、万一に備えてスマホを持ち歩くことにしたが、特に目立った動きはなく。

20時ごろ。確かに風は出てきていて、時折雨がサッと降るくらいで、大荒れになる様子はない。この時点での予報では、本格的に降りだしてくるのは、深夜遅くとのこと。既に眠くなっていた私は、21時あたりでダウン。寝つきがいい=気絶状態に即陥ることが殆どなので、翌朝の5時過ぎまで、外の様子は全く気づくことは無かった。

今朝。風のない、実に清々しい朝だ。すっかり気を失っていたこともあって、寝ている間の天候は、地面に大量の散らばっている木の葉から予想するに、風が相当吹き荒れたのかもしれない。その後の報道で、日付が変わってから荒れに荒れたらしいことが見えてきた。

台風の影響で、線路にダメージが及んでいないか点検するため、JR各線は始発から運休となっていた。今日はたまたま自転車出勤日だったこともあり、影響なし。いつもと変わらぬ時間に出発。風のない、穏やかな朝を味わうかのように、ダラダラっとペダルを漕ぎ出した。

沿線のコンビニやラーメン屋に置かれている看板は、風で吹き飛ばされて倒れたらしく、中の蛍光灯まで飛び出して割れていることが多々あった。街路樹の枝や幹が折れて、歩道に散乱している状態もあちこちにあり、なかなか走りにくい。ビルに仮設された足場は当然のようにめくれ上がっていて、工事よりもまずは足場の修復から始まるのかなー?と予想しながら走行を継続。

駐車場の倒木

道中、ある公園の駐車場の横にある木が倒れていて、区画内に横たわっていた。これがもしも昼間の台風で、駐車してあった車や人に当たったら、どういう責任問題に発展していたのやら。これはこれでけっこう怖い。帰り際にも確認したところ、切断されて大量の丸太と化しており、あっという間に撤去されていたのだった。

会社に到着してから、出社方法や被害状況の確認で、「もう来たのか!」「社畜だもん」とゲラゲラ笑いあうのはお約束。2011年3月11日の東日本大震災が発生し、翌週の月曜日(3月14日)が業務不能に陥る寸前になったときに比べれば、余裕はある。

「夜中の雨と風の音が凄くて、全然寝られなかった」「家全体がユラユラ揺れて船みたいでさー」と、寝不足の人が多数。そんな外を全く感知しないまま、昏々と眠り続けていた。昨夜の荒れ模様だけでなく、至近距離での落雷や大きな地震が起きようと目覚めない体質を驚かれ、「屋根が吹き飛ばされて雨粒を浴びないと起きない」という結論に達した。たぶん、それでもそう簡単には起きないぞ。

キレイにしておきたく

クルマの維持に関しては、所有者それぞれが何かしらのポリシーを持っているはず。私は「トランクや室内を物置代わりにしない」というポリシーがあって、運転に直接関係しない余計なもの…洗車道具や工具類(応急用以外)は、全て部屋の収納に片付けている。

プラスして、「フロントダンパーハウジングは定期的に清掃する」。フロントのショックアブソーバとタワーバーが装着される、あの部分だ。

清掃前のフロントダンパーハウジング

この部分。ボンネット内に突入する空気に乗って、砂やホコリが積もっていく。以前なら、高圧洗浄機でエンジンルームを一括洗浄していたが、どうもこの行為がオルタネーターが壊れた遠因の一つではないか?と疑っていることから、現在は噴射洗浄を休止中。ついでに、コイン洗車場が閉店してしまい、身動きが取れなくなっていることもあるが。

視界に入る範囲が大きく、ついでにボディカラーなので、汚れていると印象が悪くなりがち。写真は右側(運転席側)で、左側(助手席側)も同じくらい、粉塵で汚くなっている。クラッチフルードタンクやカプラーのマウントを外し、しっかりと拭き掃除していく。左側においても、ヒューズボックスを取り外して拭き掃除。

清掃後のフロントダンパーハウジング

はい、キレイさっぱり。ボディカラーがシルバーなおかげか、ワックス入りの清掃シート=フクピカで仕上げてやると目に見えて明るくなり、エンジンルームの印象が良くなる。振り返ってみれば、フロントダンパーハウジングの清掃は、EK4シビックSiRII時代から継続していた。DC2インテRでは、白い輝きが戻ったことを覚えている。

酷道走行で積み重なった泥汚れを清掃、灰色になったハーネスのコルゲートチューブを磨いて黒色に戻し、フレームのあちこちを磨いて防錆加工をさらに施す…という大掃除は、エンジンを取り外した際にやるような作業だが、在姿状態でできるかぎり行えるだろうか。

徒歩通勤、再開

今朝の気温が15℃まで低下し、体を動かしてもすぐに冷えるような、ちょうどいい温度になったことから、春以来休止していた徒歩通勤を再開することにした。電車から途中下車して、職場まで2.5km、時間にして20分少々の徒歩となる。

振り返ってみると5ヶ月ぶりで、これだけ期間を空けると、距離感覚を忘れて疲れるのではないか?と心配したが、何事も無く淡々と歩みを進めることができたことは、けっこう意外だった。なんだ、歩けるもんじゃん?みたいな。

起きてからの、目を覚ますことを兼ねた毎朝のストレッチ、徒歩通勤、業務前の準備運動と朝から体を動かしていたおかげか、ここしばらく続いていた、午前中の不調がウソのよう。現場を普段以上に徘徊することができて、結果的に本日の歩数は24,000歩を超えた。長らく感じていた背中の痛みが落ち着いており、安静にするより多少動き回っていたほうが、回復に繋がるようだ。

東京モノレールと交差

徒歩経路の途中で、東京モノレール線と交差する。タイミングよく、復刻塗装仕様の1085Fが加速していった。この1000形は老朽化で引退が始まっており、長らく見続けてきた同形式が過去のものとなるのも、そう遠い話ではない。振り返ってみれば、700形の引退日に立ち会っており、近い将来に訪れる1000形の引退日にも立ち会うことになりそうか。

車両の連結器

先日の、黒部峡谷鉄道の写真を整理していて、ふと気づいたことがある。まずは、この写真。

ピンリンク式連結器

重たい車両を何両も引っ張り、もしくは押すときはしっかりとパワーを伝達し、力負けして離れてはならない。その一方で、切り離してほしいときは苦無くスカッと解放される。連結については、単純に見えてちょっとしたコツを要する部分であり、一概には言えないか。ピン・リンク式連結器の車両が連結するシーンを見物していたが、けっこう危なげな作業に思えたので。それでも、なるべく短時間で連結して編成を組み立てて、できるだけ運行している時間を確保したい。

そんな矛盾した要求を見事にこなしている連結器というのは、シンプルながら大重量に耐えるメカであり、機械趣味の視線からもけっこう面白いものがある。おかげで、出かけた先で電車や列車を撮影すると、ほぼ必ず…

快速海峡の機関車と客車

このような、連結器周辺が見渡せる構図で撮影していることに気づいた。

こちらは2015年7月4日に運転された、臨時快速復活海峡号。終点の青森駅に到着して、撤収準備中のワンシーン。左の14系客車と右のDE10形ディーゼル機関車が連結している。牽引してブレーキが掛けられればOKなので、接続は空気用ホース一本だけ。

大井川鉄道の客車と機関車

2016年7月30日に出かけた、大井川鉄道井川線に乗車した際に撮影。右下側が乗車している客車、左上側が押し上げ用のディーゼル機関車。ブレーキ用の空気配管だけでなく、遠隔運転用の電気配線も接続されている。

京急2000形の棒連結器

京急ファミリー鉄道フェスタ2018で撮影した、京急2000形の棒連結器。基本的には切り離すことがない部分に使われる連結器で、文字通り棒状の一本モノ。そこらに転がして「これが連結器です」と言われても実感は湧かないが、こうして車両の一端に接続しておけば、なんとなくイメージしやすいという例。

今から約100年前のお話。
当時の客車、貨車における連結作業というのは危険な作業で、動いた車両に挟まれ、また轢かれたりする等して、死亡事故が多発していた。そこで国鉄は扱いが容易な自動連結器(形状は写真三枚目、大井川鉄道井川線のものを参照)に交換することにして、1919年に計画が発動した。

自動連結器への交換準備=車両の事前改造、作業員の徹底した訓練を積み重ねて、1925年の夏。国鉄全線を24時間ストップさせて、全国各地に存在する貨車、客車の連結器を一斉に交換するという突貫作業を実行。朝から晩まで汗だくになって取り替えていき、見事に成功させたという逸話が残っている。実際のところ、客車は二週間前から作業が継続しており、機関車は指定日前から行っており、九州に限っては三日後に作業が完了している。

短期集中かつ怒涛の勢いで、モノを作り変えてしまう日本人の気質は、昔から存在するようだ。

彼岸花

四季がハッキリしている日本なので、応じて植物たちもいろいろな変化を見せてくれる。

春先になればサクラが咲いて、蒸し暑さが実感できるようになるとアジサイが見ごろを迎える。夏場になれば、ちょっとした緑地帯や公園では大きなヒマワリが咲き、夏休みのシーズンに突入するあたりで、小学生がアサガオのプランターを持ち帰る様子を今も見ることができる。

平地では残暑が厳しくても、標高が高いところでは早くも秋の訪れを告げるコスモスが咲く。しばらくすると平地でも、ヒガンバナが冷えてきたタイミングを教えてくれる。秋が深まるとススキの穂が風になびき、ヒイラギが年が終わりを告げる。そして冬の終わりは、ペンペングサたち春の七草が出るあたり。

長年、車であちこちを走り回ってきたためか、沿線の植物は正確な季節を教えてくれることに気づいた。信号待ちしているときに、ふと横を見るとヒガンバナが咲いていて、そういえば冷えてきたー…と年々、月日が過ぎ去るスピードが速まっているように思えてくるもの。

ヒガンバナ

というわけで、半袖で徘徊するには厳しい気温になったあたりで、正確に咲いてくれたヒガンバナ。紅い見た目が本当に美しく、好きな花に数えられる。『死人花』『地獄花』といった異名が多いことでも有名で、不吉な花として見られることもあるそうだ。

とはいえ、そんなダークな印象の背景にある力強い美しさが、惹きつけられる魅力の一つかもしれない。

二週連続

9月16日は、静岡県の浜松市から帰宅する際、東名高速を使用。三連休中の午後の上り線という悪条件が揃い、大和トンネルを先頭に30kmの渋滞だ。渋滞回避でローペースで走行していた結果、渋滞通過に10分程度で済んだが0時前の帰宅となり、後片付けや翌朝の準備を行っていたら、ようやく眠りにつける時間は1時を過ぎていた。

それから一週間後。

9月23日は、富山県の黒部市から帰宅する際、長野道と中央道を使用。これまた三連休中の午後の上り線という悪条件で、小仏トンネルを先頭に30kmの渋滞、通過に2時間以上。その後の首都高内でも渋滞と、いつ帰れるか分からない状態。大月ICで降りて、以後は下道による回避ルートで走行。23時過ぎには帰宅できていたが、海水を浴びた車体の洗浄と給油に再出発。キャンプ道具の後片付けが終わるころには、1時を回っていた。

二週に渡って、とんでもない時間に寝る生活を二度も行った。おかげで日中は普段以上にダルく、昼休みは気絶レベルの睡眠となり、なかなかパフォーマンスが上がらない。こうも弱った原因はいくつかあるが、その一つに睡眠時間の短さがある。1時を回ってから寝ると、東向きの窓の効果で朝から太陽光が眩しく、睡眠時間が極端に短くなってしまい、疲れが全く取れない。

睡眠不足を補うように、夜になれば20時過ぎには寝てしまうが、短い睡眠時間と長い睡眠時間の負担はとても大きくなってしまい、週初め早々から、とんでもない疲労感を味わうことになる。昔から、旅行から帰宅した翌日はお疲れ休みを設定してきたが、そのお疲れ休み日に入ってから寝る…つまり0時を回って1時に寝るような睡眠パターンでは、疲れを引き摺ってしまい、殆ど意味が無いようだ。

加齢による回復力の低下を言い訳にしたくはないので、風呂でしっかり体を温める、ストレッチで体をほぐす、早めに寝るという回復の基本を再確認し、継続することになりそうだ。

38万キロを目指して走っているが、30万キロで節目かもしれない。

と、ライトノベルを思わせる表題にしてみたが、月飛行中のEK9シビックRは実際にそういう感じがあったりする。月飛行用のエンジンといえばSPS(Service Propulsion Subsystem)…アポロ支援船に搭載されていたロケットエンジンだが、ここでは当然ながらB16Bエンジンだ。

シビックの取扱説明書に従い、シビアコンディションに該当するので5,000kmでのオイル交換を忠実に守っている。それだけでなく、交換まで残り400kmを切ったタイミングで、ワコーズのFUEL1を添加するようにしている。

ワコーズ F-ZERO

購入のタイミングによっては、PITWORKブランドのF-ZEROになることもある。中身はFUEL1と同じらしく、要はワコーズのOEM製品とのことだ。この添加剤によって、燃料系統の洗浄を行い、エンジン本来の性能が維持されることを期待している。とはいえ、B16Bエンジンはハイオクガソリン仕様であり、市販のハイオクガソリンには清浄剤が添加されているため、汚れにくい環境が保たれているはずだ。

燃料添加剤を使うとオイルが変質しやすくなり、早めのオイル交換を心掛けなければならない。オイルエレメントも同時交換して、より多くのオイルを交換することに繋がり、変質したオイルをエンジン内に残すリスクを下げる。

ホンダ純正オイルエレメント

オイルエレメントは高いものではないことから、同時に交換したほうが、気分的にもいい。使用しているオイルは、一時期RESPOのV TYPE 5W-40を使っていたが、現在はMobil1 5W-40を継続使用中。理由は簡単、製品データシートと製品安全性データシートの両方が公開されており、モノの性状がハッキリしているため。

ホンダ純正エアクリーナーエレメント

良い燃焼のスタート地点となるエアクリーナーのエレメントも、純正品を使用。メンテナンスノート上では50,000km毎の交換、25,000km毎の清掃となっているが、ホンダHAMPなら1,500円以下で購入できるので、一年に一回の交換としている。

他にも、季節に関係なくその日最初のエンジン始動時は、最低3分間の暖機運転を行い、急のつく運転は避ける、その一方でときどき8,400rpmまで回してやるというような、なるべくエンジンの状態が保たれるような配慮を続けてきた。ただ、それでも圧縮圧力の低下は避けられず、エンジンオイルは5W-30が使えなくなり、あちこちにある冷却水の小さなホースや各オイルシールも未交換だ。

300,000kmで節目といっても、乗り換える、廃車にするといったようなものではない。経過年数を考慮すると、この先はエンジンの状態が悪くなって、ギリギリで月の到着になる可能性があり、既に不調の兆候が出始めている。現在の走行ペースが保てた場合、2019年末あたりで300,000kmの目処がつくはずで、純正部品供給の問題もあり、そのタイミングまでにエンジンの処遇を考えておく必要がありそう。いい状態のエンジンで、余裕を持ったまま月へ行ったほうが気楽なはず。