去年の冬ボーに着手

夏のボーナスが振り込まれていた。

不思議なもので、金が無いときはあれが欲しいこれが欲しいと熱くなっているが、一定の収入と貯金があると、まぁ別に後でもいいかな?と冷静になっていたりすることは、私だけだろうか。そんな背景から、夏ボーナスも今は貯金額が増えるだけになっていて、忘れたころにでも株の買い増しをするかいなーと考えているところだ。

実は質素な生活が好きで、さらに上を目指そうとは思わなかったりする。誰よりもゴージャスなものを持ちたいとか、よりいいものを食べたいといった欲求的なものはあまりなく、むしろそういった要素は混沌さを増すだけと捉えてしまう。体や健康といったものへ金を掛けるならば、全く構いやしないが。このような生活方針なので、ボーナスが減ったところで、影響は微々たるもの。むしろボーナスは出ないものとしていることは、過去何度も書いてきた。

各年度のボーナスは、半期から一年遅れで手を付けるようなサイクルになっているので、これから使う金は去年の冬ボーナスだと思う。『思う』と表現したのは、あちこちの口座に分散して預金しており、状況によって使い分けているため。複数の口座を持っていると貯まりやすい、その逆で分散させる必要はないなんて両極端な意見があるが、結局は当人の管理能力次第。

100歳越えの発電所

記録上の観点では、宮城県の三居沢発電所が日本で最初の水力発電になるそうだ。営業開始は1909年5月で、なんと112年目。なんでぇ、仙台ならすぐ行ける位置じゃん?ということで、仙台市の ア・バオア・クー 青葉区にある三居沢発電所までひとっ走りしてきた。

雨の東北道

いつもどおり、午前4時過ぎには出発。時期的にこの時間帯でも既に明るいが、雨雲に覆われて少々暗い。目が覚めるまでには時間が掛かりそうだ。

三居沢発電所案内板

朝っぱらから快調に走り続け、ナビからは「そろそろ2時間です、休憩しませんか?」なんて言われるが、構わず走り続けて三居沢発電所に到着。三居沢電気百年館が併設されているが、開場時間前の到着。今日は発電所周辺の見学に留めておき、PR館は次の機会に訪れればいい。

三居沢発電所建屋

三居沢発電所の建屋。この建物の写真は、斜め方向から撮った写真ばかりで、真正面から撮影されたものは少ない気がした。そこで真正面から撮ってみる。建屋そのものは小さく、一見すると平屋の家そのもの。

登録有形文化財登録証

建屋は登録有形文化財に認定されているので、その登録証としての標識が掲げられている。建屋内部には1924年製造の発電機、1907年製造の水車があって、非常に長寿な機械が現役で営業運転を続けていることになる。発電所出力は最大1,000kW、常時290kWとささやかなもので、動態保存的意味合いが強い気がする。

白熱電球の玄関灯

正門上部に装着された、白熱電球の玄関灯。遠い昔、このような白熱電球の街灯が道路のあちこちに残っていたが、もう絶滅寸前な設備になってしまった。

水圧鉄管と余水吐管

建屋の背後には、発電水車に水を送り込む水圧鉄管と、その左側、木々に隠れているが余水吐管(オーバーフロー管)が設置されている。

三居沢不動尊

三居沢発電所の裏側には、三居沢不動尊がある。雨に濡れて静かな境内とは落ち着いた雰囲気があって、荒れた精神を沈める効果があるのかもしれない。

三居沢発電所の送電系

三居沢電気百年館の右手には、真新しい印象の送電設備がある。ここ数年のうちに、リニューアルが行われたのだろうか。

三居沢発電所の送電設備は三系統

送電線は三系統あった。発電出力は小さいながらも立派な送電設備を備えており、周辺の発電所と連携して電力需要に応えている。

下道メインで南下開始

三居沢発電所から戻るとして、素直に東北道を走っていくとは面白くはない。そこで宮城→山形→福島→新潟→群馬と下道をひたすら走って、少しずつ関東都心へ向かう。走った下道の距離は合計300kmに達し、その殆どがワインディングロードとなれば十分過ぎるほど満足。

走行ログ

GPSロガーにおいても、いくつもの山道を走り抜けたデータが記録できていた。総走行距離は976kmで、久しぶりにたっぷり走った印象だった。毎年恒例の青森ドライブを中止しており、オドメーターの回りかたは悪いと思っていたら、全く変わらないペースに自分でも驚くことになった。

三国トンネル、最後の夏

国道17号線の三国トンネルが、2022年春頃を目途に新トンネルへ切り替わる予定となっている。そうなると現行のトンネルは役目が終わることが予想され、馴染み深い道路を今のうちに記録しておくことにして、さっそく出かける。役目が終わった道路は近寄れなくなることがあり(※1)、もっと見ておく、記録しておくべきだったという過去の失敗によるもの。

駐車スペースと徘徊できる見通しの良さから、全て新潟県側からの記録としている。

新旧三国トンネル新潟県側坑口

三国トンネルの新潟県側の様子。新旧トンネルの坑口が並んでおり、道路が新トンネル経由に変わったとしても特に違和感なく通過できそうだ。

三国トンネル新潟県側坑口

車の通過は殆どないため、道路の真ん中に立っての撮影も簡単に行える。坑口そのものは広く見えるが、中で絞られるような構造になっており、これで大型車のすれ違いを困難にしている。さらに開通から60年以上が経過し、経年による老朽化も無視できなくなってきて、新トンネルへの切り替えが進むことになった。

三国トンネルの長さと標高、ラジオの看板

三国トンネルの長さは1,218m、標高は1,076mとなっている。新潟県側から見れば群馬側に向かって上り勾配が続き、こちらの看板では標高1,084mと表記が微妙に異なっている。AMラジオの周波数も掲載されており、緊急時における避難誘導情報を流す役目もあるそうだ。

一般道だけあってトンネル内は人や自転車も通行できるようになっているが、歩道や自転車が走れるようなスペースはなく、かなりの緊張感を強いられる通行になることが予想される。

三国トンネル銘板

坑口に掲げられたトンネル銘板。旧字を使った『三國隧道』の表記が渋い。その他、久しぶりに見た建設省の文字、竣工は昭和三十二年(1957年)十二月となっている。当時の建設大臣だった、根本龍太郎の名前も。

国道17号新潟側を見る

坑口側から国道17号線の湯沢インター方面を見る。路面には白い点線で新トンネルへ向かうであろう予定線が引かれており、スノーシェッドからまっすぐ新トンネルに向かうかたちになるようだ。

新三国トンネル新潟県側坑口へ誘導される

路面の点線は、新トンネルへ誘導されていた。

工事中の新三国トンネル新潟県側坑口

現段階では仮称となるが、新三国トンネルは貫通している。現在はトンネル坑口周辺の工事が進められており、土木工事が得意な国柄、冬場を迎えるまでには一通りの作業は終わると思われる。

群馬県側は駐車できるスペースがなく、撮影しにくい環境となっているため、今は記録は取っていない。まだ時間的余裕があるので、機会を見て群馬側もチェックしておきたい。ただ前にも書いたが、グンマー特有の走りにくさが少々ネック。総走行距離は496km。

※1 役目が終わった道路は近寄れない
旧国道139号の松姫峠より、山梨県大月市側が代表例。2014年に松姫トンネルが開通した後、現在まで通行ができない状態が続く。

働く車のケツ

ある日の早朝、交通量はそれなりにある幹線道路を走っていると、前方の車が次々と車線変更をしていく。路駐か何かがあるのかと思っていたら、いたのは路面清掃車…ロードスイーパーだった。

清掃作業は行われておらず、恐らくは基地に帰る途中だったのだろう。清掃作業中特有の低速運転ではなく、そこそこの速度で走っていた。それでも幹線道路特有のスピードにはついていけず、後方の車は続々と追い越しをしていたようだ。

いわゆる『働く車』が好きなので、このロードスイーパーもじっくり見たいところだが、走行中はそうもいかず。ちょうどいい具合に信号に引っかかって、タイミングよく撮影したのが次の写真。

ロードスイーパーの後端部

ロードスイーパーのケツ。車体の大きさの割に後輪は小さく、しかもポジティブキャンバー、V字型にセットされているのが最も目立つ点か。合計4本のタイヤを備えているが、これで三輪式と呼ぶそうな。路肩のゴミを収集していくために、道路の端に寄りやすいよう後輪側が操舵するようになっていて、フォークリフトのようにケツを振りながら走っている姿を何度か見たことがある。

なぜポジティブキャンバーになっているのか。小回りを効かせるためという理由がよく見つかるが、他にもある気がする。ポジティブキャンバーにしておけば、ステアリングハンドルが軽くなり、直進性が良くなるといったメリットが思いつく。後者、直進性…?フォークリフトのような、フラフラした走りにならないようにしている意図もありそうだが。

進行方向の都合でケツを眺め続けることはできず、ロードスイーパーはあっという間に見えなくなった。深夜帯に作業をする車だけに、明るくなった時間帯にこうして見られることは運が良かったか。清掃作業、お疲れ様でした。

止まるな

亡くなった人のことを忘れずに語り継ぎ、記憶に留める。教訓を遺してくれたのだから、残った我々は糧にしなければならない。そして負の感情は我慢することはない。

あまりに衝撃過ぎる第一報から一夜明け。まだショックは引きずっていて、車をまともに運転できなかった。いかん、これでは自分の身が危ないということで、深呼吸で精神を落ち着かせ、いつもどおりの生活サイクルをしっかり意識する。やることはたくさんあり、順次こなさなければ。決して立ち止まらず、歩き続けないと。

廃止?なにそれ?

先日、ツイッタのTL上にHTML5廃止と出てきて、それについて調べていたらWebページの寿命という、むしろそっちのほうが興味あるなーと脱線したところだった。改めてHTML5の廃止について調べることになった。

だいたい見たところでは、HTML標準を制定してきたW3C(World Wide Web Consortium)とWHATWG(Apple、Mozilla、Opera、Microsoft)という二つの組織による対抗が行われてきた。年数が経過する中で両組織は争いを止め、W3CはHTMLやDOMの仕様を策定せず、WHATWGに協力することを表明…。

この構図、妙に記憶があると思っていたら、Blu-ray対HD DVDで見続けてきた規格争いの一種だ。他にもDDR-SDRAM対RDRAMはリアルタイムで目の当たりにしてきたので、懐かしさすら覚える。

久しぶりにW3Cの並びを見て、ふと思い出したのが『W3C信者、W3C原理主義』という存在。W3Cの標準から外れているWebサイトやサイト管理者に突撃し、文字通り荒らしまわっていた。そういう行為をやる人間が、W3Cの標準に完全に準拠するページを作っていたかと言えば、それは実は闇の中。実際は妬みや単なる自己陶酔だったように思える。

そんな思い出よりも、WHATWGが提唱するHTML Living StandardによるHTMLのバリデータはどうなるのか。現実的にはこちらのほうが重要で、今のところはHTML5での書き方でOKのようだ。まず<!DOCTYPE html>から始まり、言語コードと文字エンコーディングを指定し…といった基本は変わらなくて、これには非常に安堵。今からレポートのHTMLを一斉書き換えするなんて、地獄でしかない。

資料的にはW3Cの方が多く、WHATWGのHTML Living Standardは全く気にしていなかった。今後はWHATWG HTML Living Standardを見なければならないようだ。この世界、自分から気にして調べていかないと、あっという間に置いて行かれるので。

アポロと車趣味の原点

朝4時半過ぎの起床で、深夜から早朝に掛けてのニュースを流し読みしていると『立花隆』という見覚えのある名前が出てきて、一体何事?とリンクをクリックしてみると、4月に亡くなったというニュースだった。一気に目が覚めた。

現在も続く、アポロ計画への関心と興味。そのきっかけになったのが、子どもの頃に見たアポロ13号のドキュメンタリー番組で、そこに出ていたのが立花隆氏、そして小宮悦子氏の二人だった。

アポロ11号で月面着陸に成功していることは子ども用図鑑の記載で既に知っていたが、それ以上のことは全く知らず。そしてこのドキュメンタリー番組で、初めてアポロ13号の出来事を知った。番組中では宇宙船のメカや全力でサポートする地上のスタッフも取り上げ、立花氏も熱く語るシーンが印象的。その後、図書館へ行った際に立花氏の訳著『アポロ13号 奇跡の生還』を見つけ、これが番組のベースか!と気づき、何度も借りて読み続けた記憶がある。

ドキュメンタリー番組は映画『アポロ13』の公開前に併せた流れもあったようで、ドキュメンタリーとしての『アポロ13号奇跡の生還』、映画『アポロ13』と続けざまに見ることになり、前者のほうに強い関心があった。いや、後者も捨てがたく、甲乙つけ難い面はあるが。

その後、訳著『アポロ13号 奇跡の生還』は文庫版で発見して入手しており、さらに立花氏の宇宙本ならコレも必須と紹介されたのが『宇宙からの帰還』。アポロ計画の宇宙飛行士に取材を重ね、宇宙に出て精神的変化を手に入れた人間の取材した、立花氏に言わせれば「世界で初めての本」とのことだ。1985年初版とかなり古い本ながら、2017年現在で39刷に達するロングセラーだ。手元にある立花氏の本はこの二冊だが、繰り返し読み直すことで、行間に埋め込まれた本当のメッセージが見えてくるようになっている点が共通しており、氏特有の書き方だったのだろうか。

立花隆『アポロ13号奇跡の生還』『宇宙からの帰還』

アポロ13号の訳著とドキュメンタリー番組がなければ、今の車趣味は全く成り立っていないし、氏の「調べて書く」という大原則は、当Webサイトのレポートにも大きく役立っている。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

約3年

HTML5が廃止になったそうで、その件について調べていたら、いつの間にか『ウェブページの平均寿命は約3年』という結論のレポートページ(PDF)に辿り着いた。

当該レポートのリンク(PDF)、keio.ac.jpというドメインからして慶應義塾。2013年公開の少々古いレポートながらも極めて興味深く、一気に読み切った。が、ツッコミどころが多く、まだまだ濃くすることができるレポートに感じた。

当Webサイトを基準にして考えてみると、平均寿命とされる3年は遥かにオーバーしていて、今年で19年目になる。当Webサイトはもともとはノートパソコンの改造レポートページからスタートしており、公開と削除を繰り返しながら現在でも『hinata.jp PC report!』として残っている。メインに見える『hinata.jp シビック タイプR EK9 report!』は、あとから始めたコンテンツだ。実はEK4シビックSiRIIやDC2インテRでも維持レポートは作っていたのだが、今のようなスタイルとは程遠いレベルで、そんなある種の黒歴史があったからこそ、現状が成り立っている部分がある。

物事はあまり長続きしないタイプで、いつかの成績表だったか家庭訪問か面談か。そういった指導の場で「まずはコツコツと続ける努力をしましょう」なんて忠告を受けたこともある。それが19年に渡って長続きしていることに、自分自身でも不思議と思っている節はある。恐らくは人に言われて続けることと、自らの意思でやり続けるという大きな違いによるもの。旧来の個人サイトだけあって、長くやったところで誇れるようなものではないし、いちいち口にすることもないが、よくもまぁ飽きずに続くものだ。

維持の観点では、当Webサイトの優先度は最も低い。ドメイン、そしてメールサーバがあって今の生活が成り立っているので、そちら側が維持の最優先となる。だから過去にやった、シビックRのレポートの一斉削除は全く躊躇しなかったし、今でもどこかで区切りをつける日は必ず来ると考えている部分はある。

現代の発信プラットフォームは各種SNSを含めて膨大な数になり、ページの平均寿命の調査は、非常に難しくなっていると思う。2013年代で約3年なら、2021年ではどう変化しているのだろうか。

икра

成長するにつれて、味覚が鈍くなる。だから子供のころに食べられなかったものが、今になって食べられるようになる…とのことだ。昔はダメでも、今なら問題ない食べ物の一つが、イクラ。

イクラ丼

噛み砕いた瞬間、中身がブチッと口の中で広がり、子供のころはコレが気持ち悪くて全く食べられなかった。それが突然大逆転して「なんだ、うめぇじゃん…!」となり、今まで食べられなかった過去がどれだけ残念だったか。

その大逆転になった瞬間は鮮明に覚えていて、2010年9月5日の北海道ドライブにおける夕食。野寒布岬近くの食堂で食事となったが、北海道という土地柄、あるのは魚介系だけ。かつては魚介系は本当に口にせず、食堂に食べられるものが何もないことが分かり、これは腹を括るしかないか…と注文したのが、写真のイクラ丼だった。

恐る恐る口にしてみると、疲れと空腹もあったためか、本当においしかった。醤油で味を調整できることを知り、少しずつ垂らして変化を楽しんでみたりして、こんなにウマいものがあったのかと驚くことになった。以後、返礼品やギフト等でイクラセットがあると、チョイスすることもしばし。