本質としては、2023年春の青森往復ドライブだったりする。
鉄道車両用の台車を勉強している中で、パイオニアIII台車という少々特殊な構造の台車があることを知ったのはだいぶ昔のこと。アメリカで開発され、基本設計は1950年代末。日本国内ではライセンス製造として、1960年代前半にデビュー。軽量化、線路や台車本体のメンテナンスフリー化を狙い、これらは見事に達成。一方で、乗り心地に難があり、衝撃に弱くて振動が出やすい、特定条件下で脱線しやすいといったデメリットが判明し、使用は限られた鉄道会社かつ特定形式だけで、新規で使われることはない。
机上での学習より、現物を見たほうが得られるものは多い。青森県の弘南鉄道7000系電車では現役で使用されており、さっそく現地までひとっ走り。

やけに視界が黄色く、遠くの山々は非常に霞んでいる。どうやら中国の砂漠から飛来してきた黄砂による影響らしい。都心以上の黄砂、いやこれが本場の黄砂か!車を短時間でも駐車しておくと、あっという間に砂まみれになる。都心部の大気汚染とは異なる汚さ。

黄砂の中を走り続け、 クロコダイン駅 大鰐駅に到着。いるいる、パイオニアIII台車が。元を辿れば東急7000系電車で、子どもだった遠い昔、東横線の桜木町駅で見た記憶がある。

なかなかパイオニアIII台車を間近で見ることはできず、カメラのズーム機能を駆使してなんとか撮影したようなもの。こちらは津軽大沢駅で撮影した。
最も目立つのが、外側に位置するブレーキディスク。鉄道車両用のブレーキといえば

このように車輪の間にブレーキディスクがあって、外側からは殆ど見えない構造になっているパターン。京急2000形用TH-2000T、頻繁にブレーキを動作させるためか、ブレーキパッドが極厚。

車輪に組み合わせているパターンもある。こちらは新幹線用のディスクブレーキ。
もう一つは、車輪そのものを締め付ける踏面ブレーキ方式。

大井川鉄道のDD20形ディーゼル機関車のブレーキ。車輪にブレーキシューが接触して、ブレーキが掛かった状態を保っている。
これらの見慣れた構造からすると、パイオニアIII台車の構造は、ブレーキ一つだけでも極めて興味深い。

ブレーキディスクが最も外側にあり、使用に応じて摩耗していくブレーキパッドがすぐアクセスできる位置にあるパイオニアIII台車は、メンテナンス部門からは好評だったとのこと。似たような構造として、相鉄8000系でも外側ブレーキディスクタイプの台車を使用中。
パイオニアIII台車の構造上の特徴として、軽量化目的で構造を単純化するため、車軸を支えるバネを省略している。

ブレーキディスク中央の巨大ナット部分が車軸になる。軸受けは台車フレームに固定されている。オーバーホールができるよう、軸受け部分はボルトとナットで分割されている。
先に掲載している、京急の台車と見比べる。

赤い矢印のバネ、フレームを介して黄色い矢印のバネの二段階バネで車体を支え、もしくは線路からの衝撃を受け止める。鉄道車両の台車は、殆どが二段階のバネ構造だ。ところがパイオニアIII台車は、この赤い矢印部分のバネがなく、黄色い矢印部分のバネだけになっている。
大鰐駅を出発すると、そこらの鉄道とは全く違った乗り心地をいきなり実感させられることになる。まるで遊園地のアトラクション状態で、常に右に左にぐわんぐわんとロールしながら走っていく。赤い矢印のバネを省略している分、黄色い矢印のバネを大きくして支えているため、このような独特の挙動になるようだ。もちろん、地方のローカル鉄道ゆえ、線路のコンディションが極めて悪いことも考慮しなければならないが。
バネがないことによる乗り心地の根本的な悪さだけでなく、冒頭に書いたデメリットが次々に判明し、使用車両が広がることはなかった。昔であればともかく、現代は通勤電車でさえ乗り心地が求められる時代だ。二段階バネの台車に一本化して正解だったと思う。

強烈に揺られ続けて大鰐線の終点、中央弘前駅に到着。逆光と黄砂で撮影に不向きだ。片道だけですっかり疲れてしまったが、ここから大鰐駅まで戻らなければならない。待機時間を含め、往復で合計一時間半を要する。
存分にパイオニアIII台車を味わったら、再び車を走らせて青森駅へ向かう。ここで補給したら再出発し、三沢市まで移動。今回は予約が遅れて空きが無かったのと、海外からの観光客が増加したことによる宿泊代高騰により、青森駅前の宿泊を断念したもの。