耐磁性能を比較すると

今どきの生活ならば腕時計をしたままスマホを持つことがあり、スマホ内のスピーカーやマイク、場合によっては外装カバー等内部の磁石によって、腕時計内のムーブメントにダメージを与え、精度に悪影響を及ぼすことがある。腕時計のモデルによっては、耐磁性能が表記されている場合もあるが、完全なものではない。磁石の存在を少々気に掛けることが、長く愛用する秘訣…なんて教えられたことがある。

耐磁性能については、日本工業規格『JISB7024耐磁携帯時計一種類及び性能』で規定されており、モデルによっては裏カバーに表記されているものがあって、普段使い用の時計にも第1種耐磁時計のマークが入っている。

第1種耐磁時計の例

第1種耐磁時計に分類されるので、JIS保証水準は4,800A/mとなる。

さて、このA/mという値。磁界の強さを示す単位で、数値が増えれば増えるだけN極からS極に向かって強力な磁界が発生していることを示す。セイコーの公式Webサイト上では、身の回りにありそうな機器から、どれだけの磁界の強さが出ているか。一覧表でまとめられている。この表の数値を踏まえて、磁石から5cmほど離せば第1種耐磁時計なら殆ど問題なく扱えることが分かる。

世の中には、耐磁をウリにしたモデルがいくつも出ていて、例として欲しいなぁと興味のあるROLEXミルガウスを取り上げてみる。『ミル』とはフランス語で1000、そしてガウスは磁束密度の単位だ。1,000ガウスに耐えられることが、モデルの由来だ。今度は磁束密度の単位となり、磁力線の密度=磁力の強さとなる。

ROLEXミルガウス
▲画像はROLEXミルガウスRef.116400GVより引用。

このモデルを日本工業規格の耐磁性能に当てはめてみるために、大雑把に換算してみる。

各サイトにある換算プログラムで計算させてみると、1,000ガウスは79.58kA/m、つまり79,580A/mという、第2種耐磁時計の16,000A/mを大幅に超える途方もない耐磁性能を誇る。スマホやら何やらに対しても、スーパースターを取った無敵マリオ状態なのではないか。

さらに耐磁性能を前面に押し出したのがOMEGA。ムーブメントにコーアクシャル機構を組み込み、15,000ガウスにも耐えるという。テスト上では、それ以上の耐久性を発揮したという情報もある。商談に発展し、四本目の時計候補となっているOMEGA Seamaster レイルマスターの計算を行ってみた。

OMEGA Seamaster Railmaster 220.10.40.20.01.001
▲画像はOMEGA Seamaster レイルマスターRef.220.10.40.20.01.001より引用。

15,000ガウスを換算させてみると1,193,700A/mに達し、もはや日本工業規格を無視。戦闘力のインフレ化を起こした、スーパーサイヤ人のような数値になる。ここまでの耐磁性能を持ちながら、至極高価な時計ではないのもポイントで、時計にとって大敵である磁石の存在をほぼ無視できる点では、扱いやすさは抜群。

車趣味がある以上は、その他の機械分野でもスペックを比較してみることは、ある意味では当たり前の行為、どんどん数値が増えていくだけに楽しい部分だ。見た目やサイズだけでなく、目に見えない磁力への耐久力を含めると、面白い比較ができる。

準備運動

勤務日の起床時間は5時26分となっている。中途半端な時間にセットしている理由は、電波時計の受信機能を切ってあえて15分進めておき、クオーツの精度に任せていたら、いつの間にかさらに進んでいただけのこと。布団から出るまで2分程度掛かり、スマホの再充電やパソコンの起動といった朝の日課がスタートし、部屋から動き出せるのが5時30分といったところなので、26分という設定が都合が良かったりする。

ここ数日は、さらに起きる時間を前倒しして、4時45分なった。こんなに早く起きてなにするの。スマホの再充電やパソコンの起動、そしてエアコンの電源を入れて部屋と体を温めておき、寒さが程よく緩んだところで、準備体操がスタートする。準備体操といっても派手なものではなく、前後屈や背筋を伸ばしてみたりする、ストレッチがメイン。だいたい10分程度で終わる運動ながら効果はなかなか大きく、しつこい眠気を一気に吹き飛ばし、寒い外に出てもリズミカルに歩くことができ、寝ている間に圧迫されて痛くなっていた各関節の具合が幾分良くなったりする。

そしてコーヒーをのんびりドリップし、漂う香りに胃袋が活動を開始し始めたことを実感しながら、二つの機械式時計のぜんまいをゆっくり巻いて、早起き後のプロセスは終わる。だいたい、ここまでやって5時20分近くなので、いつもの時間に沿った朝の身支度がスタートする。

ただ、早く起きていることから、夜になると強烈に眠くなる。休日であれば3時30分の起床、そのままドライブに出かけることが多々あるが、運転中の疲れや何やらで20時過ぎには寝てしまうことがある。平日でも、そんな睡眠サイクルを身につければ休日平日問わず、3時半起きの朝型人間になれそうだ。しかし、夜勤がある以上は、そうも言っていられないのが残念なところ。無くならんかね。>夜勤

医療費のお知らせ

毎年この時期になると、社会保険から医療費のお知らせなるものがやってくる。封筒を開いて読むと、去年1月から10月までの通院ログそのものだったりして、この年月に行った通院はなんだ?と悩むことになる。

自分の身は観察ネタとしては好都合で、当ブログにおいても専用カテゴリーを設置しているほど。思い出せない年月の該当記事を読み返せば、なぜ病院に行ったかすぐに振り返ることができる。そんな具合に読み返したところ、胃腸炎でくたばって通院しており、ウンコと屁のニオイがそれまでの人生の中で、最も酷い悪臭だったことまで思い出した。その他、歯医者への定期通院だったり、去年6月には背中から腰に掛けての強い痛みに我慢できず、整形外科へ行っている。こうして掛かった医療費の総額が60,000円近く、3割負担なので財布からの支払額は18,000円程度になっている。

この先の加齢を踏まえれば、今から歯のメンテナンスを心がけておくことで、将来的な歯のトラブルを回避できる可能性が増し、ここは必要経費として割り切れる。胃腸炎等の偶発的な通院も仕方ないとして、いわゆる筋肉痛での通院は考え方によっては避けられた支出。体を鍛えておけば何事も発生しなかった問題で、回復後に少しずつトレーニングを重ねて、現在も継続中。おかげで痛みはほぼ消失し、続ければ続けるだけ負荷に強くなって、病院に行く機会を減らす=医療費を抑制することができるはず。出さなくて済んだ支出はもったいなく、しかも取り戻すのは容易ではない。二度と同じヘマはしたくはないので、背中や腰のトレーニングは欠かさず行っている。

受け取った医療費のお知らせを見て、総額を職場内のメンツで比較しあうのはウチだけだろうか。そのときのノリは、テストや通知表を見せ合うのと似たようなもの。

火花散る

パソコンの冷却用電動ファンが、些細な負荷でも高回転モードで回るようになり、こうなってくると清掃の時期。吸気口全てにフィルターをつけて粉塵の蓄積はいくらか抑えているが、ほぼ毎日使っている以上はフィルターで止めることができない、小さな粉塵が溜まっていく。それがファンブレードであれば正しい風量は出なくなるし、ヒートシンクに付着すれば風の通りを悪くして、放熱性を悪化させる。して、電動ファンがうなりだす…と。

手元にブロワスプレーの在庫がなく完全清掃は無理なので、手の届く範囲から掃除機で吸えるだけ吸っておく。一箇所だけ、電解コンデンサ冷却用の電動ファンを後付けしており、最も汚いのがこの電動ファンだった。装着方法がマザーボードの固定用ネジと共締めする方式なので、外して清掃することにした。このとき、パソコンはシャットダウンしてあるが、AC電源は生きている。

外して清掃して、キレイさっぱりになった電動ファンを装着しようと、狭いところにドライバーを突っ込んでああでもないこうでもないと動かしていたら、「バチッ!」という音と共にオレンジ色の火花が飛び散った。使用していない空き端子から、ドライバーを介してネジとショートしてしまったらしく、作業手順省略によるミスといったところか。

幸い、このショートによるマザーボードへのダメージは無かった。いわゆる活線状態で作業するなんて日常茶飯事なので、ついつい油断していたらこのザマだ。電気製品のメンテナンスを行うときは、AC電源の元から切る基本を思い出すことになった。

九七式中戦車 チハ

太平洋戦争や大日本帝国陸軍が絡む歴史を調べていると、目にするのが九七式中戦車 チハ関係の記述。考えてみれば、サブカルチャー方面でも取り上げられていたような気がするし、いったいどういう戦車なのか。静岡県富士宮市にある若獅子神社にて、サイパンからの帰還戦車として安置されていることを知り、近所ということもあってさっそく出かけてきた。

若獅子神社

若獅子神社に到着。1984年(昭和59年)10月に創建されたそうで、遠い過去のハナシではないようだ。神社といえば、こげ茶色のイメージだったが、この神社は白色の鳥居、拝殿、本堂で、やけに明るい印象だった。誰もいない早朝を狙い、しかも日の出時間に合わせて走ってきたので、このときの気温は氷点下を下回っていた。さっそく、境内の手水舎にて身を清め、安置されている九七式中戦車 チハのところへ足を運ぶ。

安置されている九七式中戦車 チハ

目の前で見るチハ。太平洋戦争におけるサイパンの戦い(1944年)で撃破され、その後海岸に埋められたそうだ。そして30年余りが経過して掘り出されたようで、1975年(昭和50年)、この地に奉納されたことが記されている。

スペック表と修復の碑

スペック表。サイズや重量、何かと取り上げられてネタにされる装甲の数値、エンジン、装備が記されている。表の下には、帰還年度、過去二回の修復を行ったことを示す碑が置かれている。

弾痕が多数残る

車体左側に丸く描かれている部分は、弾痕の位置。崩れかけている履帯は防錆処理によって転輪に貼り付いており、乗ったりする等のストレスを与えなければ、すぐに脱落することはなさそう。履帯にぶら下がっているのは御札ではなく、「乗らないでください」という注意書き。履帯に限らず、車体が壊れかけているのをいいことに、部品を盗み出すとんでもない罰当たりがいるそうだ。

えぐられたり、貫通したり

弾痕を近くで見てみる。貫通したり、えぐられたりと実にさまざま。サイパンで戦って受けた、作り物ではない、本物の痕跡。先ほどまで会話し、生きていた乗員が、攻撃を受けた次の瞬間には亡くなったのかもしれない。戦争を知らぬ世代だけに、勝たなければ死ぬという恐怖や絶望は、全く想像できない。とても重たく、張り詰めた緊張感のようなものを抱いていた。

左右非対称の砲塔

写真やイラストでは、たいてい斜め前方からの視点になっていることが多く、「特徴的な左右非対称の砲塔」と解説されても全くイメージできなかった。現車を真正面からみて納得、確かに左右非対称だ。斜め左を向いている主砲が九七式五糎七戦車砲、正面を向いている九七式車載重機関銃が副武装となる。

右側は弾痕が少なめ

車体右側は被弾部分は少ない。履帯は殆ど失われているが、おかげでサスペンションの構造がハッキリと見える。

製造所の文字が見える

転輪の一部には「製造所」という文字が見えた。ゴムのように見えたが、ゴツゴツした感触で正体は不明。ただ、製造からの経過年数や外気に晒した保管状況でも、ある程度の形状が残っている点からしても、やはりゴムなのかもしれない。

チハの足回り

チハの足回り。写真内における四つの転輪で二つのボギー転輪を構成し、スイングアームを介してスプリングケースに接続されている。そして写真外側にある二つの転輪は独立懸架とする、計六輪の転輪となっている。アメリカ軍によれば、平地での走破性は悪くなかったというテスト結果があったそうだ。現在でも、滑らかに動く足回りで乗っている人が殆ど振られていない様子が、動画としてアップされている

タミヤの古いRCカーでは、左右のサスペンションをダンパー一本で支えるシャーシが存在していたが、戦車のプラモデルを昔から製造し、数多くの取材をしていただけに、戦車の足回りに構造のルーツがあるのかもしれない。

二つの戦車砲

主砲と副武装、そして大きなリベットで接合されている車体。印象強いディテールは後にタミヤによって取材され、プラモデルとして発売されることになった。チハを見るだけでなく、祀られている戦没者を追悼するため頭を下げ、若獅子神社を後にした。

チハは靖国神社にも奉納されていて、こちらは外観が復元されて建物の中で保存されているそうだ。ただ、それでは戦争当時の恐ろしさや生々しさといった、伝えるべきものを覆い隠している部分もあるのではないか。若獅子神社のチハのように、弾痕まみれの傷だらけで、発掘された当時の姿のまま安置されて、しかも触れることもできる。このほうが、平和についてより深く、考えさせてくれるものと思う。

午前7時帰宅開始、総走行距離は295km。

冬でも走るよ

免許を取って以来、12月上旬から年明けを迎え、3月下旬まではシーズンオフとしていた。山の方は積雪や路面凍結により夏タイヤでは走れなくなり、高速道路や幹線道路は凍結防止剤が撒かれて、下回りへのダメージが怖い。過去の走行歴を振り返ってみても、シーズンオフ中は総走行距離が伸びず、春先から一気に距離を稼ぐようになり、これで年間走行距離が20,000km程度になっていたようだ。

シビックRの下回りでの防錆対策がほぼ完了し、部分によっては追加で防錆剤の塗装や注入を行っていることで、そこまで神経質にならなくても大丈夫かな?ということで、去年末からは走り収めといったことは意識しなくなり、年始早々に霞ヶ浦方面をぐるりと回っていた。それでも冬場で遠出した以上は、帰宅前に下回りの高圧洗浄は欠かさずに。

東名高速にて

遠出には、距離と時間を大きく稼げる高速道路を多用していることから、ETC利用に伴うクレジットカードの請求額が久しぶりに高額となった。ETCマイレージによるポイントは、どれくらい貯まるのやら。そして、シーズンオフを設定しないことで、年間の総走行距離がどれだけ伸びるか、これが最も楽しみな点かもしれない。

Aピラーの様子

以前、Aピラーが錆びてザグザグになっている写真を見て、錆びやすい部分は下回りのパネルだけでなく、Aピラーも弱いことを知る。ルーフモールとフロントガラスの間の穴から防錆剤を定期的に流し込み、錆びるきっかけを少しでも減らしてきた。

EK9のAピラー

鋼板が重なっている部分から、僅かに出ているシミは防錆剤か、サビ由来の変色か。フロントガラスに近いスポット溶接部分には、ハッキリと分かるくらいのサビが見つかった。ここは慌てず騒がず、防錆剤を塗布しておく。

サービスマニュアル(ボディ整備編)を参照しても、Aピラーに関する防錆手順の記事は見当たらず、これまでの経験を踏まえた自己流の対策を施すことになった。

カタログ眺めて

セイコーのカタログを眺めて、気になるモデルを詳細にチェックしているところだ。ふつーのセイコーだけでなく、セイコー・プレザージュやセイコー・プロスペックスを含めていくと、いいモデルはけっこう見つかる。TPOに応じて服装を選ぶのだから、同時に装着する時計を選ぶのも変な話ではないと思う。

セイコーの新作カタログ

カタログを読んでいると、大方のキャリバーが、ソーラー発電、電波時計、非受信時の月差平均±15秒となっているものが多い。このパターンの時計カタログが、セイコーのモデルだ。セイコーの時計は探せば探すほど、いぶし銀的なモデルが出てくるので、それが選ぶ楽しみの一つだったのに。例えば、年差クォーツといえば、グランドセイコーの9Fムーブメントが第一線モデルとして取り上げられているが、セイコーにも8J41というムーブメントがあり、これが年差±10秒の年差クォーツとなる。しかも定価は50,000円と、性能の割りには安価。

そういった、知る人ぞ知るようなモデルがカタログに一切記載されていなかったので、とうとうカタログ落ちしたのか?と公式サイトを閲覧してみると、引き続き掲載があって一安心。先ほどから読んでいたカタログは、どうやら2018年新作モデルの紹介カタログだったらしい。普及価格帯においては、現行販売モデルとカタログ落ちモデルは、その後の維持に大きく関わることから、安価なモデルでも長く使い続けようとするならば、かなり神経質になる部分だ。

腕時計沼にハマると、そう簡単に抜け出せないのが怖いところ。油断すると、もう三本くらいは増えそうな勢いだ。

100本到達

先日の、ドラレコ装着のレポートを仕上げるため、ファイル名を設定するときに100という数字を打ち込み、レポート数が100本に達した。いくつかのレポートを削除しており、番号も永久欠番となるので、実レポート数は若干少なくなるが、それにしても100か。うれしさとか、そういったポジティブな気持ちは全く無かった。なんだかよく分からないけど、ここまで来たかー…というのが第一印象だった。

これだけのレポート数があって、検索エンジン側から見てもキーワードが無数に散りばめられており、運営年数も長くなっていることから、『EK9 ○○交換』で検索すると、大抵の場合、当サイトが引っかかるようになっていた。それだけでなく『部品名 交換』で引っかかり、単純に『部品名』でもヒットする例がある。さらには画像検索において、シビック等とは全く関係の無い事柄を探していると、一覧の中に紛れ込んでいることが多々あって「見たことある写真と思ったら、ウチじゃねーか!!」と検索エンジンの闇の深さを知ることもある。おかげで、無断転載するバカを発見することもあり、悪いことはすぐにバレる仕組みとなっている。

レポートを作る以上、心がけているのは序破急…いわゆる三幕構成の流れだろうか。車に手をつける以上は目的や動機があり、極端な例では「やってみたかった」という軽いノリもあったりする。そして本筋が続き、締めで終わることになる。流れは厳密に守っているわけではないが、学生時代からやってきたレポート作成の感覚が現在まで続いている部分もあって、どのレポートも似たような構成になってくる理由にもなる。おかげで、薀蓄の垂れ流しになることがあり、結果だけ知りたくて文章を受け付けない人からすれば、全く面白くないだろう。

今も昔も、強風で簡単に吹き飛んでしまうような、古めかしい弱小Webサイトだ。何かの目的で検索していて、たまたま当サイトの記事がヒットし、問題解決のきっかけになれば幸い。お読みいただき、ありがとうございます。

降ってきたのは泥水?

昨日、ドラレコの装着作業中に雨に降られることになった。スマホから雨雲レーダーをチェックすると、ところどころに雨雲が発生して北から南東に向かって流れており、夕立の季節には早すぎる。幸いにも雨雲は非常に速く流れており、強い北風に乗っているようで、降っている時間も10分程度のこと。車内のあちこちに雨粒の跡が点々としているが、構わず作業続行となった。

さて、作業を終えて車体全体を見渡すと、茶色の汚れに覆われていることに気づいた。シルバーの車体でもハッキリと分かるほどで、白いS15シルビアに至っては酷く目立つ汚れだった。

車体の泥汚れ

粘土質の土が乾いて固まったような状態で、この正体は大気中の汚れだ。大気…というより、雨雲が発生するくらいの、比較的低い高度の上空は粉塵や細かい砂埃が大量に舞っているらしく、雨がパラパラと降ったことにより、雨水と共に地表へ向かって落下、車体を汚していった。このまま雨が降り続ければ、シャワーのように車体の汚れもある程度は落ちていくが、僅かな時間だけ雨が降ると、上空のゴミを地表に落下させるだけで終わる。しかも当時は非常に空気が乾燥しており、車体に付着した雨水はあっという間に蒸発し、汚れだけを残していった。

東京近郊各県でディーゼル規制が始まるまでは、半日でも窓を開けっぱなしにしておけば窓の桟は黒い粒で覆われ、出窓部分の棚は煤煙で字が書けるほどになった。雨が降れば車体は酷く汚れるし、居住地によっては、外に洗濯物が干せなかったというから、散々な環境だった。国がやろうとしないディーゼル規制を最初にスタートしたのが東京都で、それから国や周辺の県も規制に動き出した。おかげで煙幕のような黒煙を噴出す高公害ディーゼル車は次第に姿を消し、部屋も汚れにくくなった。そういえば、洗濯物を干せるようになったと聞く。かつてに比べ、大気環境はずいぶんと良くなった。

車体に残る茶色い汚れを見て、ディーゼル車によるかつての大気汚染を思い出すことになった。汚れの正体は北風に乗って遠くから運ばれてきた砂埃か、周辺の土地から舞い上がったものかは分からない。ディーゼル車由来の汚れではないことから、拭き心地は泥汚れの除去と殆ど一緒で、簡単に落とすことができた。少量の雨粒で上空のゴミが落下したことで、空はとてもキレイになっていた。