2018年西日本ドライブその4

  • 最終日・航海→大阪→都心
  • 西日本ドライブ最終日は、5時に起きることからスタートだ。大阪到着は6時なので、朝食や船室の後片付けを考えると、5時に起きる必要がある。前日から早めに夕食を終えるよう促され、浴室閉鎖は22時。日付が変わって4時半あたりから、レストランや売店の営業が始まる背景は、まるで寝台急行『銀河』のような、バタバタした印象を抱いた。乗船時間が短いと、どうしても慌しくなってしまうのかもしれない。

    大阪の泉大津に到着して、すぐ近くにある泉大津ICから有料道路に入り、東方面へ進路を取る。通勤の混雑が始まる寸前で市街地を脱することができた。

    西名阪自動車道法隆寺IC付近

    西名阪道に入って、法隆寺IC付近。通過ながらも、車で訪れることはないと思っていた地名を見かけて、感慨深いものがある。とにかく東へ進み、一時間程度で天理PAに到着。ここで休憩を取っておかないと、落ち着いて休憩を取れる地点は東名阪道の亀山PAになってしまうためだ。

    この先の名阪国道は無料区間となっている。高速道路ではないので最高速度は70km/h(一部60km/h)に設定されていながら、実態は100km/h近い速度で走っている。2005年には、全国の自動車専用道路10kmあたりの事故発生件数で、ワースト1位という記録も出てしまうなど、なかなかスリリングな道となっている。道中にあるサービスエリア等には寄らず、一気に走り切ってしまうほうが得策と判断した。

    名阪国道入口

    それでは、名阪国道に突入する。最高速度が60km/hである標識が写っているが、この先至るところに、最高速度の標識を多数見かけることになった。危なっかしい道を周囲と同じペースで飛ばす勇気はないので、山間の道で速度が上げられない大型トラックについていく、コバンザメ作戦に出る。

    Ωカーブ通過中

    名阪国道名物、悪名高きΩカーブを通過中。複合的なカーブで構成され、飛ばしたくなるスジの人には面白い構造なのかもしれない。

    ペースメーカー便りの走行

    Ωカーブを抜けても、細かいアップダウンがひたすら続く。最高速度の都合で無理にペースアップする必要は無く、相変わらず大型トラックをペースメーカーにして慎重に走り続けて、東名阪道の亀山PAに到着。ここまでくれば、走ったことのある道になるので、いくらかゆとりが出てくる。

    このあたりに到着すると、名古屋圏、関東圏の渋滞情報が気になってくる。この先の走行ルートでは、工事による車線規制情報が入り、どうも渋滞まで発生しているらしい。高速道路の車線規制によるペースダウンはあれど、渋滞とは何か原因があるはず。

    伊勢湾岸道で愛知県突入

    伊勢湾岸道にて、愛知県突入。少しずつであるが、帰ってきているという感覚が湧いてきている。

    散々食らうことになる工事渋滞

    伊勢湾岸道の工事による車線規制…だけではなく、渋滞まで発生していた。渋滞の直接原因は、車線規制による交通集中ではなく、路上に設置された防塵用テントに意識が向き、ブレーキペダルまで踏んで見ようとする、一種の見物渋滞だった。新東名に入っても工事の車線規制が相次ぎ、重機の見物渋滞で流れが滞ることがしばしあった。

    豊田JCT

    豊田JCTまでくれば、後は慣れたもの。先に書いたように、車線規制による渋滞を何度か食らい、合計40分近い時間を浪費することになった。何度も走り抜けている新東名は淡々と通過し、人の流れが一時的に落ち着く昼過ぎには、横浜町田ICから出ることができた。渋滞がなければ、もっと早く帰着することができたが。

    大黒PAで最後の休憩

    普段は近寄らない大黒PAで、最後の休憩。ここまで帰ってきても、まだ距離は残っているので、気を抜かずにハンドルを握り続け、無事に帰巣…する前に、明日からは早くも街乗り車、買出しカーに戻ることから、真っ先に給油へ向かう。燃料計の針が、トリップメーターの数値から信用ならない角度にあり、その一方で微かな期待を込めて「いつもどおり、ハイオク満タン現金でー」と注文。そして驚くべき燃費が出た。これは改めてレポートに仕上げたい。

    西日本ドライブのGPSログ

    今回のGPSログ。宇高航路と阪九フェリー内においてもGPSロガーを動作させていたので、航路のデータも全て取得することができた。総走行距離は1,856km、総合燃費は18.1km/Lという成績で、渋滞や各地の市街地で信号に引っ掛かるシーンが多かったにも関わらず、北海道を走るより低燃費を達成できた。

    高速道路をかなり多用していたが、溜まりに溜まったETCマイレージのポイントでペイしており、今回のドライブに限っては高速代は掛かっていない。お土産代や食費、各種雑費についても、Suicaのチャージから支払いを繰り返しており、現金支出といえば二つのフェリー代をはじめとして、本当に限られた店舗での支払いのみ。持って行った現金は、殆ど持ち帰ってくることになり、北海道へ遊びに行くよりも安上がりで済んだようだ。

    計画開始から半年、2018年度の超長距離ドライブは無事に終了となった。山口県のY氏を筆頭に、夜分にありがとうございました。
    大変おつかれさまでした。>S15オーナー

    2018年西日本ドライブその3

  • 三日目・山口県→北九州市(新門司港)→航海
  • 西日本ドライブの三日目は、山口県内のドライブが主体、そして都心に向かって帰宅が始まる日だ。秋吉台と角島大橋まで足を伸ばし、日本海側から北九州市に出る。

    神戸空港近くで給油してから509.2kmを走っており、燃料計の表示としてはまだ走れそうだが、「この先はスタンドの数も減る」というY氏の助言から徳山市街地で二回目の給油となった。出た燃費は18.1km/Lで、北海道を走るより良好な数値が出てきた。

    秋吉台へ向かう道

    秋吉台までは、Y氏の先導で向かう。日曜日の朝だったことも関係しているのか、車の量が非常に少なく、軽快に走り続けることができた。

    秋吉台の風景

    出発して2時間弱で、秋吉台に到着。無数の石灰岩柱が見える。カルスト台地で、数百万年単位の雨で石灰岩が水に溶けて、溶けなかったものが、この石灰岩柱として地表に残る。石灰岩が溶けた水は地下へ浸透し、秋芳洞と名づけられた鍾乳洞もある。時間の都合で、鍾乳洞歩きはキャンセル。

    観光客の車に紛れてスポーツカーがやたら多く往来しており、そういった人たちが好む場所でもあるようだ。秋吉台エコミュージアムの駐車場まで行ってみると、東京オートサロンというか、大黒PAっぽいというか、古き良き時代の辰巳PAを思い出させてくれるというか…。おは秋(おはよう秋吉台)の定例日だったらしく、毎月第一日曜日がその日…今日が該当していたとは。

    やたらとホンダ車が多かったのが印象的だが、こうも集まる場所は『情報収集』に最適なわけだ。例えば大黒PAでは、フロア下やエンジンルーム内のコンディション、全体の見た目を嘗め回すように見ては、コーションプレートを含めた写真を撮っていく変な外国人の集団がけっこう多い。インスタやTwitterでの素材集めではなく、窃盗団によるめぼしい車の品定めではないか?という懸念が常に存在する。そういった環境で過ごしているためか、スポーツカー勢が集まる場所はかなり苦手なので、早々に退散。

    角島大橋へ向かう

    次の経由地であり、最後の目的となる角島大橋までは、一時間半。ナビ画面上ではとても遠い描写になっていたが、相変わらず車の量は少なく、スイスイ進んでいく。途中、山陰本線と並走する区間があり、臨時観光列車の『○○のはなし』が追い抜いていった。昨日の徳山駅では115系やキハ40が動き回っていたりして、国鉄時代の電車が現役で動いている光景は、けっこう衝撃的だった。

    残り12kmの表示

    ようやく見えてきた、角島大橋の文字。残り12kmで、走行ペースからしても、すぐに到着する。

    角島大橋

    角島大橋に到着。海流の衝突で発生する波の違い、海底の砂と太陽の角度から、海面の色がよく変化することから、抜群のロケーションとなっている。ちょうど昼時で、観光客が押し寄せて自由に身動きが取れなくなってしまい、本土と角島の往復はフィット一台に絞る。

    山陰地方から海沿いを走る

    角島大橋からは、R191で日本海の海岸線に沿って南下していく。穏やかな潮風と快晴で気分が良いが、帰ったら真っ先に洗車せねば…という現実が常に頭の中にあった。

    下関近くを振り返る

    R191の下関北バイパスはマラソン大会で通行止め。海沿いの高台をぐるりと回って、下関IC近くのコンビニに到着。Y氏とは、ここでお別れ。身体には気をつけてくださいな。

    下関から新門司港までは、下道(関門トンネル)か高速道路(関門橋)のどちらかを選べる。もちろん、風景のいい後者をチョイス。

    関門橋を渡って九州上陸

    関門橋を渡って、いよいよ九州へ上陸。どのようなカタチであれ本州を拠点に、北海道島、四国島、九州島の主要四島をシビックRで上陸を果たすことができた。

    新門司港到着

    新門司港へ到着すると、大阪(泉大津)行きのフェリーが出港に備えてしばしの休憩をしていた。乗船手続き開始まではまだ時間があったことから、帰宅に備えた給油を行っておく。218.7km走り、14.6km/Lと一気に悪化。走行距離を伸ばせなかったためらしい。

    阪九フェリー いずみ

    乗船するのは阪九フェリーのいずみ。九州大阪間は名門大洋フェリーと競争路線であり、九州内からはフェリーさんふらわあオーシャン東九フェリー(徳島経由東京行き)も就航しており、選り取り見取り状態だったりする。

    阪九フェリーを選んだ背景には、これら就航船の中で最も大きかったことや、新日本海フェリーと同じくSHKライングループに属し、船内の様子や使い勝手に馴染み深い部分が多かったため。

    主機はV型12気筒のディーゼルを二機搭載、一機あたりの総排気量は646.8Lに達する。一種のハイブリッドシステムを搭載しているそうで、主機に繋がっている電動機兼用軸発電機を使うことで、燃費を向上させるようになっている。

    乗船開始

    夕日に照らされ、オレンジ色に輝く船体を見ながら、いよいよ乗船。

    ファンネルマーク

    ファンネルマーク。煙突の下にある網目状のフィルターは外気の吸気口となってるようで、中からはブロアファンの動作音や吸気音が鳴り響いていた。

    門司港を離岸

    17時半過ぎ、離岸。九州の地を離れていく。

    11月の秋の空

    11月特有の澄んだ空の向こうに沈んでいく太陽を眺めつつ、新門司港の灯台を出るまで展望デッキで九州の地を見続けていた。湾外に出ると、いよいよ加速開始。20ノット以上の快足ぶりを発揮し、大阪へ向けて航行。

    デラックス和室

    新日本海フェリーで利用することが多い和室タイプ、いわゆる一等船室を阪九フェリーでも使う。SHKライングループの船だけに、思ったとおり似た感じだ。テレビは航行ナビ画面に設定し、現在位置を常に把握しておく。

    内海、そして風力は3mだったことから揺れは殆どなく、海面を滑っているような感じで、これまで乗ってきたフェリーの中では最もラクだった。大阪到着は明朝6時で、5時には起きておかないと慌しい朝になってしまう。走り回った疲れと翌朝に備え、さっさと寝る。

    2018年西日本ドライブその2

  • 二日目・兵庫県三木市→淡路島→四国(高松)→山口県
  • 西日本ドライブ二日目は、Y氏のいる山口県へ向かう。直接向かうのではなく、まずは淡路島経由で四国に出る。

    三木JCTを明石海峡大橋方面へ

    昨晩から三木市に泊まった理由として、明石海峡大橋へのアクセスルートが最も分かりやすかったため。日本最大のジャンクションである垂水JCTをいきなり攻略しろと言われても、地味に難易度が高い。そこで、同JCTを一直線に走り抜けられるよう、三木市からすぐに神戸淡路鳴門自動車道に入る。

    明石海峡大橋を渡る

    いよいよ明石海峡大橋を渡る。この橋の建築は、ロープを張るのにヘリコプターを使った、建設中に阪神淡路大震災に見舞われ、地殻変動の影響で全長が伸びたとか、水道電力通信のライフライン橋でもあり…そういった歴史や付帯設備関係の情報収集は、近くにある橋の科学館という施設で行うとして、後々の宿題とした。

    淡路島の下道を走るが

    淡路SAから下道に出て、淡路島の海沿いの道をダラダラと流し、淡路島南ICから大鳴門橋を渡るつもりだった。が、島には島独自の時間の流れがあるようで、ここ淡路島では「急がない、ウインカー出さない、加速しない」の三ないという印象だった。

    前方に四台の軽自動車が連なっており、この時点で嫌な予感しかない。先頭のペースメーカーがのんびり走り、スピードが上がらない状態が続く。横を軽やかに駆け抜ける、ロードレーサー(自転車)のほうが早い。そのペースメーカーが横道に入って、ようやく回復運転になるか?と思ったら、二番目の車も実はペースメーカー状態だったりして、やはりトロトロとした走行を強いられる。

    あまりのローペースに参ってしまい、洲本ICから神戸淡路鳴門自動車道に戻り、四国を目指す。

    大鳴門橋を渡る

    大鳴門橋を渡り

    高松自動車道

    いよいよ四国へ上陸を果たす。

    当初の予定では、三木町あたりまで下道を使うつもりだったが、淡路島で時間を失ったことや、四国も同じようなローペースがあるのではないか?という懸念から、一気に高松市街地へ向かう。

    高松市街地

    こうして到着した、高松市街地。ここに訪れた理由は二点あり、高松琴平電気鉄道で活躍する電車…元京急の電車の様子を見に来たこと、そして宇高航路を使い、山陽地方に戻るためだ。

    高松港から出る宇野行きフェリーの出港時間まで、少々の余裕を取り戻せた。高松港に車を置いておき、さっそく高松築港駅に行く。

    高松琴平電気鉄道1300形電車

    琴電の1300形は、元京急1000形。写真の1305は、京急ではデハ1305。番号からして、京急時代では実際に乗車した経歴がある。

    懐かしい運転台

    かつての活躍の場は、品川横浜間。すぐ横を走る湘南色の電車に対し、ドライバーは「視界に入ると意識しますよ。負けたくないですからね」と言いながらハンドルを握っていた運転台。アナログ計器に囲まれた、狭いスペースは、今となっては珍しく見えてくるもの。

    高松琴平電気鉄道1200形電車

    沿線を歩いていると、今度は1200形が追い抜いて行った。こちらは元700形で、大師線のヌシでもあった。両数や車体カラーは異なるものの、沿線の風景から大師線を思い出させる光景だ。150kWの トルクチューンモーター 大出力モーターや特徴あるギア比は京急時代のままのようだ。

    高松港にて待機

    ちょっとした乗り鉄を終えて高松港に戻ってくると、宇野行きフェリーの乗船待ちの列が増え始めたところだった。瀬戸内海の各島を結ぶフェリーが頻繁に出入りしており、写真左側のフェリーは到着して客が入れ替わったら、すぐに離岸していった。

    かつては複数のフェリー会社によって24時間運航となっていた宇高航路は、今現在は四国フェリー一社、しかも日中時間帯だけに減便されて、辛うじて運航している状態になっている。宇野駅から高松駅間での鉄道連絡船(宇高連絡船)を含めれば、宇野高松間の航路は100年を超える歴史がある。

    その宇高連絡線の歴史の中に、紫雲丸事故という、国鉄五大事故の一つが存在する。国鉄五大事故の概要が質問事項としてよく出され、『桜木町事故(架線ショート)』『三河島事故(信号無視)』『鶴見事故(脱線衝突)』の三つはすぐに出るが、鉄道連絡線という馴染みの薄い手段による事故と船名のためか、残り二つが出にくいらしい。宇高連絡線による『紫雲丸事故(船と船の衝突、沈没)』、青函連絡船による『洞爺丸事故(台風で沈没)』が、残る二つの事故だ。テストに出るし、何度も繰り返し頭に叩き込まれる事例となっている。

    いよいよ伝統の宇高航路で、山陽地方、宇野港へ渡る時間となった。フェリーへの乗船待機列はトップバッターだったので、真っ先に車両甲板へ案内される。

    第一しょうどしま丸の車両甲板

    車両甲板の指定位置に誘導されて停める。波で船体が動揺したときに、車がズレ動くのを防止するため、手歯止めが設置されていた。

    また行くぜ四国!

    高松港を出て、四国から離脱する。宇野港までは一時間程度の航行となる。淡路島で時間を失ってしまい、琴電の乗り鉄が短くなってしまったことが残念。橋の科学館と琴電をメインにすれば、十分な時間を確保できるかもしれない。

    混雑した瀬戸内海を縦断することになるので、フェリーの先で、他の船が横切っていく光景は当たり前のように見ることができる。船は右側通行だよな?という基本ルールを振り返りながらの乗船となった。

    一路山口県へ

    宇野港から、瀬戸中央自動車道と山陽自動車道を継いでいき、途中のサービスエリアにてY氏と合流。この時点で山口県までは200km以上の距離があったが、距離だけなら余裕で走れる。

    山口県のホテルには18時に到着。その後、Y氏や他の出向者からの近況報告を聞きながら、ゆったりとした時間を過ごすことになった。

    2018年西日本ドライブその1

  • 初日・関東→兵庫県三木市
  • 2018年の今年は、定例であれば北海道へのドライブだった。4月、職場内の自動車部(通称シャブ)所属のY氏が、山口県の某社へ出向した。これを理由に北海道へは行かず、西方面へドライブしながら、Y氏の様子を見に襲撃するのもありではないか?という流れになって、生活ペースが掴めるであろう半年後を目処に、計画開始。日程調整を繰り返して、ようやく実行に移すことになった。

    都心と中継地点の名古屋は、往復を同じルートで走るのは面白くはないので、行きは中央道経由、帰りは新東名経由と設定。途中、淡路島から四国へ上陸し、宇高行路で山陽地方へ戻り、山口県のY氏のところへ到着する。そして、福岡県北九州市まで走り、フェリーにて大阪に戻って、都心までの残りは自走というルートプランとした。

    KUREスーパーパワーブースター

    ただ単にドライブするのではなく、今回は燃費チャレンジを兼ねている。自宅を出発して、まずは給油。トリップメーターを0kmに戻し、満タン法での燃費計算を行いやすくする。

    中央道の最高地点は157.3KP地点にある標高1,015mで、ここを軽快に走り抜けられないか?ということで、KUREスーパーパワーブースターを使ってみた。添加剤で走りが劇的に変われば体感できるだろうが、あいにく鈍感なので全く分からなかった。

    中央道から眺める八ヶ岳

    天候に恵まれ、中央道からの八ヶ岳はハッキリと見える。休憩しながら、淡々と西へ西へ。

    阪神高速を西へ

    舞台はいきなり大阪へ。阪神高速3号神戸線で、神戸空港へ向かうことになった。今日の予定走行距離は500km強で、ドライブでの走行パターンからすれば普通の距離でしかなく、宿泊地へ早過ぎる到着となるため、神戸空港にて時間調整を行う。

    夜明け前の出発で時間調整が発生しているが、日の出と共に出発すると、今度は通勤渋滞に巻き込まれながらの移動となってしまう。疲れと事故のリスクも増えることから、早めに出発することで、落ち着いた走行と現地での滞在時間を入手することができる。

    神戸空港で一休み

    神戸空港で時間調整しつつ、休憩。ちょうど宮崎行きの便が出発しようとしているところで、飛び立つまでの一連の流れを久しぶりに眺めることになった。

    次の出発便と到着便はしばらくないことや、宿泊地への到着時間が確保できたことから、神戸空港を出る。朝の給油から598.7km走り、燃料計の針が怪しい位置に来たことから、今回のドライブ一回目の給油となった。燃費は17.6km/Lという、まずまずの成績。

    給油後、今日の宿泊地となる兵庫県三木市へ向かう。

    神戸淡路鳴門自動車道で三木市へ

    空は厚い雲に覆われて、16時を少々過ぎたばかりなのにずいぶん暗かった。これはむしろ好都合で、沈む太陽の角度と方向が、走行中の向きと一致していた。晴れていれば、眩しくて走りづらい環境だった。

    ホテルに到着後、少し早めの夕食となった。夜明け前の出発だったことや、走り慣れない関西圏の道路に疲れてしまい、早めに寝て疲れを回復させることになった。

    みちびきさん、本格運用開始

    日本版GPSとも称される、準天頂衛星システム「みちびき」の本格運用が今日からスタートした。

    準天頂衛星のみちびき初号機が打ち上げられたのが2010年9月で、運用開始は2013年。この準天頂衛星は軌道傾斜角が高いために、地表から見ると大きく8の字を描く軌道となっている。衛星が日本上空から離れて南半球側へ移動すると、位置情報の信号を受信できなくなり、日本版GPSと表現されながらも、受信できる時間帯が限られている状態が、5年に渡って続くことになった。

    準天頂軌道

    24時間、常時受信できるようにするためには、常に日本上空に準天頂衛星が存在せねばならず、複数機の運用が必要になる。2017年の中ごろから、ようやく2、3、4号機と打ち上げられ、試験運用と搭載プログラムの調整を経て、本日の運用開始に至った。

    測位精度は数センチ以内にまで向上するようで、この恩恵を真っ先に受けるのがカーナビ。近代化改修と称してナビを換装しており、当然みちびきにも対応している。今日からは、みちびきによる高い精度の常時測位が行われることになるので、高精度が実感できるかけっこう楽しみだ。

    アメリカのGPSに頼らない、日本独自の衛星測位技術の取得も関係しているようだが、衛星本体は無限に稼動できるわけではなく、寿命が尽きる前に新しい衛星を打ち上げなければならず、費用面では相当なものになってしまう。そうして掛けた多額の費用が活かされるサービスやシステムが見当たらないと、無駄として捉えられてしまう恐れがある。「宇宙や衛星がどうした。そんなことより国内の問題に目を向けよ」という意見も、間違ってはいない。

    準天頂軌道衛星

    出典:qzss.go.jp、提供:内閣府宇宙開発戦略推進事務局より

    衛星バス(プラットフォーム)はDS2000を使用しているそうで、身近な衛星ではひまわり(気象衛星)がDS2000だ。運用目的や搭載機器で見た目は多少違ってくるが、似ている部分があるとなれば親戚みたいなものか。

    歯ブラシ

    歯の定期健診もとい、定期クリーニングの方向性が若干変わって、日常のブラッシングについても指導が入るようになった。どうもブラッシングが上手ではないようで、ブラッシング後の汚れの付着具合をチェックすると、磨き残しがけっこう目立っている。

    この汚れの残り具合を調べる方法が、薬剤を口に含んで、一旦水で濯ぐ。すると、薬剤は汚れだけに反応し、色が変わって目でチェックできるというもの。担当技師に「小学生以来ですよこれ」と告げると「そうですよねー」なんて返答で、確かに久しぶりかもしれない。

    小学生のときに使った薬剤はピンク色だったが、この歯科では青色。磨き残しのある歯に反応した薬剤は青く染めるので、口の中がとてもハロウィーン状態。口に含んだ水がいちいち真っ青になるので、青い血は不気味だなと妄想したり、ちょっとしたメイクを施せば、お化けのコスプレが仕上がるかも?と技師と笑いあっていた。

    さて、日ごろのブラッシングの指導としては、隙間を重点的に磨ける歯ブラシを使えとのことだった。既に電動歯ブラシによるブラッシングを行っているので、補佐するように先端が三角錐になっている歯ブラシや、歯周ポケット向けの歯ブラシが揃い、ついでに歯間ブラシ、スケーラーと、ずいぶん道具が揃っていた。まるで、小さな機械のメンテナンスキットのような。

    おかげで、一回のブラッシング時間が15分は掛かるようになり、コップに水を溜めて節水なんてことも心掛ける必要が出てきた。ただねぇ、10歳前後で永久歯に生え変わり、そして一生、その歯で過ごさなければならぬとは、人体における欠陥構造にも思える。既に親知らずを四本失い、ある意味ではバックアップが無くなった。こう考えると、日々のブラッシングがとても重要になってくる。気を抜くことはできない。

    屋根上の湯沸かし器

    電車での通勤時、高架線を走っていると、住宅地の屋根が見渡せる部分がいくつかある。その通勤経路は、かつて義務教育時代にも毎日使っていた通学経路でもあるので、眺めている光景はかれこれウン十年レベルになってくる。ところどころで家は建て直され、工場だった場所は更地になって、気がつけばマンションの建設が始まっていたりと、常に変化し続けていることがよく分かる。

    下町的な雰囲気がある住宅地からか、かつては屋根に太陽熱温水器を設置していた家が数多く見られた。今どきのソーラーパネルによる発電装置ではなく、黒くて四角い大きな板と銀色の長方形の物体が組み合わさっている、あの装置だ。太陽の熱によって、内部に溜めた水を温めておき、給湯するシステムとなっている。

    高架線からの眺めでは、戸建ての建て替えが増えるのと同時に、太陽熱温水器がずいぶん減ったな?というのが第一印象だった。そんなことを資産家の人に話してみると、一つの傾向ではあるという。装置の経年劣化があり、ちょうど家の建て替えでそのまま撤去し、新しい家には設置しないのだとか。確かに新しい家は、斜めの瓦屋根というパターンは少ない。実際、太陽熱温水器で検索をかけてみると、関連キーワードに『撤去』という文字が出てくるほどなので、減っていることは間違いなさそう。

    儲けや投資を一切抜きにして、屋根上に太陽光発電システムと太陽熱温水器を設置して、光熱費をある程度カバーする家なんてのも、メカニズムとして面白い。例えば、太陽光発電システムからの電力でコンプレッサーや各種作業用の電源とし、太陽熱温水器は各種洗浄用の湯として使える、ガレージハウスとか。妄想だけならタダだぜ。

    汚れとはいえ

    シビックでひとっ走りしようとドアノブに手を掛けたら、なんだか線キズのようなものが入っている…!?

    線キズのようなもの

    エラいこっちゃ!と慌てる前に、まずは触れて確認だ。慎重にチェックしてみると、塗装面の損傷はないようで、どうやら汚れらしい。とはいえ、爪でカリカリ摺ってみても、落ちる様子はないことから、コンパウンドの出番。クリア層の劣化がだいぶ来ていることもあって、磨く範囲は汚れた部分だけに留めておく。

    どこで付着したかは不明で、身内へ貸している間だろうか。手にモノを持ったままドアを閉めようとすると、ちょうど写真の位置にものがくることがあり、偶然付着したものと割り切っておく。

    とはいえ。

    車を盗まれて、よくよく振り返ってみると『車、買い取ります』と、貼り紙広告が行われていて、それが窃盗団のマーキングだった…というオチは、つい最近も見たばかり。汚れを落とさない=目を掛けていないとも取れることから、妙に気味が悪い出来事であることは間違いない。

    職場内の自動車部(通称シャブ)の協力で、この貼り紙広告コレクション(黄色い紙のアレ)が増えてきたところなので、再び記事にしようと思う。

    あちこち走り回って

    雑務処理のため、まずは羽田空港へ。空港周辺の環八道路は工事で車線が潰され、スムーズな走行には程遠く、空港内の循環コースも迷ったサンデードライバーがウインカーもなしに突然車線変更したりと、ずいぶんカオスな道路環境だ。

    横浜駅が「日本のサグラダ・ファミリア」と称されているところだが、羽田空港の沖合展開事業の最初期から見続けていた身であるためか、実感的なところではこちらも負けていないと思う。空港本体の工事だけでなく、周辺の道路工事一つにしても、沖合展開事業の絡みからか、数ヶ月毎に道路の配置場所が微妙に変化している。さらに川崎市川崎区の殿町地区から陸橋を設置する工事が進んでおり、当面は走りにくい状況が続くようだ。

    昼前から国内線第一ターミナル駐車場は満車になり、入場まで数時間待ちはザラなので、早めに入っておく。

    羽田空港出発ロビー

    まだまだ混雑が少ない、朝の出発ロビーを眺めつつ、到着ロビーにも行ってやることをこなしていくが、どうも目処がつかず。時間の経過と共に混雑が始まり、このままでは処理が終わらなくなると判断して、空港から退出することになった。次に、羽田空港へのアクセス口となる蒲田に出て、処理続行。無事に目的を達成することができた。

    遊び目的ならゆっくり過ごせる場所も、今日のように目的があると感じ方が全く違う。最短経路を採るため、エスカレーター横の階段を早足で上り下りすることが殆どで、季節はずれの大汗をかくことになった。

    5年経過

    下顎水平埋伏知歯抜歯術を行ってから、5年が経過していた。

    簡単に言えば、水平に生えてしまった下顎の親知らずを抜く手術だ。歯肉を切開し、歯冠(歯の頭)を切断して除去。次に、歯茎に残った歯根を抜き取る…という流れだ。歯と顎の骨の癒着状況によっては、骨を削ることもあるそうで、どうなるかは当人の顎次第。

    幸い、歯と顎の骨の癒着はそこまでではなく、スムーズに抜くことはできたが、痛みに耐えながらの作業…ではなく、手術となった。手術日までの一週間で疲れが溜まっており、ついでに寝不足により、麻酔が効かなかったためだ。合計3回の追加麻酔を行っても痛覚はあって、擦り傷を垢すりタオルでゴシゴシ磨いたときの、ビリビリとしたあの痛みに耐えることになった。

    体調によって麻酔の効き具合は派手に変わり、例えば貫通創(文字通りトンネルが開いた)をやったあとの緊急縫合や、腫瘍の手術の際は麻酔が効いていた。寝不足一つで運命は変わるので、麻酔の予定があるならば、しっかり寝ておくことが最大の準備となる。

    術後、腫れと発熱が始まる中、歯医者から真っ先に向かったのは家ではなく、近所のホンダディーラーだったりする。待合室で不穏な噂をキャッチし、時間との勝負と判断してシビックRの部品を即発注、それから帰宅となった。夜になってから38℃の熱で、翌日も37℃とまだ高く、平熱が35℃の身からすればパンチ力のある体温だ。

    抜歯後、親知らずがあった部分はクレーター状になっていたが、5年が経過するうちに骨が盛り上がっていき、今ではすっかり周囲と馴染んでいる。大雨の日、昼過ぎに歯を抜いて、そのままディーラーに向かい、部品購入後に発熱で二日間ダウンしたというなかなか濃い行動は、今でもはっきり覚えている。