都心の渋滞を考慮して

一晩休んだら、さっそく青森から戻る。700km弱ある距離と走行時間、世間では今日は平日で都心部の帰宅渋滞を考えると、青森を発つ時間は早いほうが望ましい。

八甲田丸の前で

出発地点は八甲田丸前。ナビの設定や車内整理を終えたら、青森ICへ向かう。市街地はちょうど出勤や通学時間帯なので、少々混雑気味。

青森ICから上り線をひた走る

青森ICから東北道に入る。あとは都心に向かって走るだけ。

天気のいい津軽平野

昨日の天気とは大きく逆転しており、上空の空気も雨水で洗い落とされてキレイなもの。夏の日光に照らされて、車内温度はどんどん上昇。暑さで参ってしまう前に、エアコンを使って体への負担を減らす。エコタイヤとエアコンの併用で、燃費はどれだけ変わるのだろう。

夏の岩手山

安代JCTを過ぎて、すぐに見えてくる岩手山。写真中央、頂上より少し下側が白くなっているが、どうやら雪らしい。標高は2,038mなので、R299の最高地点(標高2,127m)のほうが高い。なるほど、あんな高い位置に道路があるのか…とここで実感することができた。

すっかり走り慣れた東北道、何の刺激もなくなってしまい、撮影はここで終わっている。以後、帰宅までスムーズに走り続けていて、懸念した都心部、首都高の渋滞が始まる前に通過することができた。このことから、青森ICに入る時刻は8時が目安になるようだ。到着後のナビの結果報告では「9時間40分でした」とのこと。700km弱を10時間以下で走っていたのならば、ペースとしては非常にいい。

この二日間の総走行距離は1,602km、総合燃費は16.5km/L。エアコンを使ってこの燃費なら、上々の成績だろう。

二日間、お疲れさまでした。>S15オーナー

階段国道を歩く

春先にできなかった恒例の青森ドライブの日。

現在使用中のタイヤ、Playz PX IIは長距離ドライブにピッタリ。繰り返すが、ハンドルの細かな修正舵が減り、静かな走行音のおかげで、運転し続けることによる疲労感が殆どない。ヘトヘトになることなく、青森ICに到着。

東北道終点の看板に小さな変化あり

設置看板に変化が見られ、『おつかれさまでした』という表記に変わっている。

青森出口の名物看板

2019年4月19日の時点では『おつかれさま』となっている。高速道路ナンバリング付きの看板に交換したとき、同時に『おつかれさま』から『お疲れさまでした』と丁寧な表記に改めたのかもしれない。

R280バイパス区間

普段なら青森駅と八甲田丸がゴールとなるが、今回はまだまだ走る。青森市街地へ入らずに、R280のバイパス区間を経由して津軽半島を北上する。

青函トンネル入り口広場

まずは一つ目、青函トンネル入り口広場。通過する新幹線や貨物列車のダイヤを全く調べずに訪れたので、しばらくは何もこなさそう?と思ってここから離れようとしたら、轟音を立てながら貨物列車が通過していった。大雨に見舞われており、散策することが難しい状況になっている。

R339階段国道入口

さらに津軽半島を北上し、龍飛崎に到着。二つ目の目的地、国道339号の階段国道に到着。国内で唯一、階段歩道が国道として指定されている。完全に観光地化されており、大きな案内看板もあってよく目立つ。大雨と霧に覆われて、視界が本当に悪い。

階段国道を降りる

さっそく階段国道を降りていく。大雨で滑りやすく、慎重に階段を進む。「なんかカブトムシのニオイしねぇ?」

踊り場的中間地点

中間地点のような、踊り場に出る。前方には海が見えているが、大雨で展望はなし。

階段国道より海を臨む

開けた崖の斜面に応じて、ここから先は九十九折りになった階段を下りていく。

終わりが見えてきた

そろそろ海側に到着する。

民家の路地

民家の路地が階段国道になっているという事前情報はキャッチしていたが、見て納得。ここに限らず、家の前が観光地化されて人の往来があるという環境は、住んでいるとどういう感覚を抱くのだろうか。

この道幅と民家の状況から、思い出されるのは小学生の低学年だった時代。路地という路地を走り回っていて、こんな雰囲気の場所もたくさんあったなと懐かしい気分に浸る。

写真右側では家を建てているらしく、以前はここで火災が起きていたそうだ。近い将来、晴れている日に再訪問することにして、その時は立派な家が建っているのかもしれない。

階段国道海側入口

階段国道の海側から撮影。下まで降りたら、今度は上り。階段国道を往復することになる。

今度は階段を上がる

崖を見上げるようにして、急角度な階段国道を眺める。駐車場に戻るころには、雨や霧で裾が濡れて、ついでに高温多湿な空気で暑い、とにかく暑い。車に戻って、エアコン全開で体を一気に冷やしていく。

R280の海側

それでは青森市街地へ戻る。ナビの案内ではR280のバイパスを経由することになるが、そんな面白くない道は選ばずに沿岸の道をチョイス。晴れていれば眺めも良かっただろうが、この雨では慎重に走り続けるだけの道になる。

基本的には快走路

左手には海が迫っていて、海水と雨粒の両方を受けて、車がどんどん汚れていく。階段国道の上側にある道の駅「みんまや」から青森駅前まで、R280の海側をトレースしていくとだいたい70km、計2時間ほどの行程となった。

本日のGPSログ

久しぶりにGPSロガーが登場。青森、そして本州の先っちょ、大間崎と龍飛崎の両方に立つことができた。

準備を含めれば、午前3時から活動を開始していたこともあって、20時過ぎには解散。そのまま寝ることにする。

山口から素早く帰巣

一晩休んで、山口から帰る。昨晩は嵐のような強い雨が降っていた。下松市という場所柄、潮風、花粉、黄砂を含んだ雨になっていて、それに打たれ続けたシビックRは、都心以上の汚れ具合になっていた。帰ったら洗車しないと。

徳山東から帰巣開始

徳山東ICから関東圏に向かって走行開始。広島から中国道に戻るコースを選ぶ。

怪しい雲行き

雲行きが怪しい。この後、大雨に見舞われ、勾配とカーブが続く中国道ではより緊張して走ることになり、撮影どころではなくなった。

京都大阪圏通過中

そのまま関西圏を突っ切る。大阪あたりでは雨は上がっていたものの、京都から再び大雨が降ってきて、走りにくくなる。

再び大雨

外出自粛と週末の効果で交通量は少なく、雨に降られたまま名古屋圏へ突入。

中央道へスイッチ

太平洋側(東名/新東名)は走り飽きており、ちょっとした事情から中央道を経由することになった。

山にかかる雲を眺めながら

中央道側でも、雨に降られ続ける。雨雲レーダーには反映されない雨が舞っており、相変わらず走りにくい。

虹出現

晴れ間が出てきたところから、虹が見えた。上空の空気が雨で清浄され、雨粒が虹のすぐ後ろにあり、太陽の角度が理想的な状態にあることを示す。

岡谷JCTまで戻ってきて一安心

そんな風景を見ながら、岡谷JCTまで到達。東京の文字が出てきて一安心。ここまでくれば、もう走り慣れた道で庭先のようなもの。

唯一寄ったSA、諏訪湖SA

今回のドライブで、諏訪湖SAは唯一寄ったサービスエリアになった。17時あたりの土曜日となれば、観光客で駐車するのも一苦労する場所だが、今日はこのような閑散具合。ここに立ち寄った理由は、猛烈に峠の釜飯を食いたくなったため。店舗の出入り口付近に店があって助かった。

いつもなら渋滞しているはずの中央道

釜飯で腹を満たし、都心に向かって下り坂が続く。いつもなら渋滞して動けなくなる上り線だが、今日の交通量の少なさは目を見張るものがある。首都高内も似たような状況が続き、ハイペースを保ったまま帰着することができた。

交通量の少なさから、全国的な外出自粛要請は効いている。その他、企業の経営も抑制されているので物流も滞っており、空荷状態で走り続けるトラックを何台も見かけることができた。また、高速バスも空気輸送状態。道路事情を通じて国内経済が壊れかけている様子を知ることになり、一日でも早く収束することを願うばかり。

総走行距離は1,909km、総合燃費は17.6km/l。今日から二週間、経過観察開始。

いざ山口へ

毎年、この時期は遠出ドライブを行うことになっている。が、昨今の新型コロナウイルス感染症で外出自粛要請が出ており、昨日には全国に緊急事態宣言が発令されるという、最悪の条件となっている。

ただ、基本的には車で移動し続けることが目的で、観光や現地での買い物を楽しむ趣味はない。よって感染拡大防止の3密(密集、密室、密接)を回避していることになり、あとは自分自身が感染しない、感染させないことを守ればいい。普段は必要最低限のものしか持っていかないが、今回はマスクをはじめとする感染防止用品を持参して、いろいろな縛りをルールとして設定した。

・極力SAPAに寄る回数を減らす。なるべくならPA、それも小規模なPAを選ぶ。基本的には店舗内には入らない。

・人と接する可能性のある場所では、マスクを着用。

・トイレでの入念な手洗いは当たり前。ハンドタオルの代わりに紙タオルを使い、手を拭いたらその場で捨てる。

・車内に戻ったら、携行用のアルコールで指先を殺菌。

このような休憩パターンを決めて、さっそく出発。目的地は青森ではなく、山口県下松市。日立や東洋鋼鈑の工場がある、工業地帯の街だ。

早朝の東名

見慣れていると何も思わないが、県外の人間からすると衝撃的に見えるらしい「70代を高齢者と言わない街 大和市」の横断幕。それはともかく、早くも交通量の少なさに違和感を覚える。

安全牌で左ルート

事故から負傷して、病院に担ぎ込まれる事態となれば、病床の余裕の無さから確実に詰む。リスクをできる限り減らすため、とにかく安全最優先。大井松田ICからの右ルートと左ルートでは、線形が良い左ルートを選ぶ。

右ルートは上り線として使われていた歴史があり、実は線形があまり良くなく、カーブがキツい。走りが楽しい区間で、おのずとペースが上がりやすくなるが、事情とリスクを考えれば、今日は左ルートを使ったほうが無難だろう。

新東名内の状況

新東名内になるとより交通量が減っていく。3車線区間に入ると、広々とした道路に一台だけ…という普段なら絶対見れない光景が広がる。

豊田市付近

名古屋。いつもなら物流のトラック集団が並び、時間調整なのか最低速度ギリギリまでスピードを落として走り続ける光景が見られるが、今日はこのような交通量。トヨタの工場では生産が休止しており、その影響もあるだろう。軽快に走れたことは良かったが、その一方で経済が死にかけている様子を目の当たりにすることになり、強烈な恐怖感を抱いたもの。

交通量が激減している

少し交通量が増えているような気がするが、総じてハイペースで走り抜けており、実際は激減。

関西圏も交通量は少ない

去年、新名神の三重県区間が新規開通して、関西圏へのアクセスが非常にスムーズになった。交通量の減少もあって、あっという間に兵庫県へ突入。

中国道走行中

中国道へ入る。普段から交通量が少ないようだ。山間路線だけに、勾配やカーブが続き、漫然とした運転になりにくい。適度な緊張感を保って走るなら、山陽道よりも中国道だ。

広島付近

山陽道に戻って広島付近。交通量が増えるかな?と思ったが、少ないまま。山口県下松市には、明るいうちに到着することができた。

東京青森を一日で往復すれば、1500kmにギリギリ届かない距離になる。この実体験が身についているので、山口県下松市までの900km弱の距離は大したことがない。そこに交通量の少なさから精神的な消耗は殆どなく、疲れもそこまで溜まっていなかった。

2020年度の蒸気暖房会

寒い冬場こそ、暖房のありがたさを実感できるもの。今シーズンも真岡鐡道のSLもおか号に乗り、蒸気暖房で冷えた体を暖めることにした。

客車列車の蒸気暖房

蒸気機関車から接続された配管を通じ、高温の蒸気で客車室内を暖めるのが蒸気暖房方式。客車には蒸気の放出口が備わっていて、蒸気機関車から送り込まれた蒸気が流れ着いて、ふわふわと白い蒸気が立ち上がる。これが蒸気暖房中のサイン。

冷えた車外に比べれば、車内は蒸気暖房によって暖められていることは実感できる。ただ、座席位置によっては冷たいままとなっているところがあって、電気暖房のような均一な暖房には程遠いものと感じた。今時の電気暖房とは異なり、正常に暖房されるかどうかは、車両のコンディションと乗務員の腕次第というところが実情のようで、旧国鉄時代の乗務員さんによる苦労話はあちこちで見つけることができる。そんな旧来の暖房システムを体感するのも、今回の乗り鉄の目的の一つ。

一年前、2019年3月の乗車時は、春休みシーズンだったこともあって立席乗客が出るほどの混雑があったが、今日はちょうどセンター試験当日、昨日からの低温と雪予報で、終始乗客はまばらだった。

連結部分

蒸気機関車からの蒸気が高温のまま送られてくるはずの1号車に座っていたが、ダウンジャケットを脱ぐまでの暖かさにはならず。燃料費(石炭消費)を抑え、水の消費量を少しでもセーブする意図があるのか、加速は穏やかに、汽笛吹鳴はできるだけ短く、そして蒸気暖房はギリギリまで弱めているいった具合。財政難でC11 325を手放しているだけに、経費節約かな?と思える手段を垣間見ることになった。

C12の運転室

アナログな計器や大小のバルブ、配管類がよく目立つ、C12形蒸気機関車の運転室。

停車時間が程よくあるとき、小さな子供や家族向けに、ファンサービス的な接客対応を取らないのが真岡鐡道といったところで、一歩間違えると「SLに乗せてやる」「結局は三セク」と捉えられてしまいかねない態度は、相変わらず。本来の業務にしっかりと徹しているという意味では大正解だが。純粋な私鉄たる大井川鐡道のSL列車とは、大きく差があると再認識できた部分。

発熱しながらの乗車となった去年の経験から、体調を万全に整えたつもりだが、出張から帰ってきた翌日だけに疲れそのものは残っていて、同乗者がいなければ危なかったかもしれない。総走行距離は300㎞。寒い中、お疲れさまでした。>参加者

砕氷艦ふじの宿題回収

砕氷艦しらせが、南極の昭和基地に到着したのが今年5日。この報道を受けて、名古屋ガーデンふ頭のふじに行かなきゃなと思い出し、名古屋までひとっ走り。

前回、現地に訪れたのが去年3月で、その時は外から眺めるだけで船内は踏み入れておらず、乗船は次回と設定していた。そんな宿題を回収する意味も込めている。

名古屋ガーデンふ頭ふじ

砕氷艦ふじは全長100m。コンパクトな船体なので見学コースも短く、一時間もあればだいたい回ることができる。

砕氷艦ふじの食堂

船内に入場して、いきなり食堂ゾーン。艦のメシは乗組員の士気に直結するだけに、美味で温かい食事が提供されるようになっている。海自に所属していた人が、空自や陸自の食事を見て「海自には及ばん」。その源たる厨房では、少ない人数で大量に調理できるよう独特の装備や機能があったりする。

もやし栽培機

その厨房の特殊装備として、もやし栽培機とアイスクリーム製造機があったそうだ。新鮮な野菜が足らないなら自前で育てて食うという、地産地消ならぬ艦産艦消といった感じ。アイスクリーム製造機については、砕氷艦ふじに限った機械ではなく、娯楽の一つとして現役で搭載している艦がある。

砕氷艦ふじの医療室

医療室。低い天井ながらも無影灯をはじめとして医務設備は整っていて、船上で虫垂炎の手術を行った記録があるそうだ。医務室だけでなく、ガラス扉越しに船内個室を見れるようになっており、各個室に設置してあるマネキンは今にも動き出しそうな雰囲気。

砕氷艦ふじの寝室

一般乗組員の居室。三段ベッドで、真上に起き上れば頭をヒットしてしまうほどの高さしかない。船体が45度傾いてもベッドに影響を与えないよう、ブランコのように吊り下げられている。ここはガラス越しの見学ではなく柵で囲ってあり、その気になれば布ベッドの感触を確かめることができる。

砕氷艦ふじの推進システム

機関室は立ち入ることができず、上層甲板から下層の電動機とインタークーラーを眺めるだけ。機械趣味を持つ者としては、一番見たいところがコレしかなく、どうしても面白みが欠けてしまう。

砕氷艦ふじのブリッジ

ブリッジ。昔の船だけに、デザインや計器類は他の展示船に似た印象だった。

開館時間に合わせて5時に出発。4時間半で名古屋に到着して、正午前には帰宅開始し、到着は16時過ぎ。近くて遠い場所と思っていた名古屋圏内だが、感覚が変わったのかちょっとそこまでというドライブ範囲にしか思えなかった。総走行距離は685㎞、総合燃費は17.1㎞/L。

旧北陸本線トンネル群を走る

秋口は台風15号と19号の上陸で、ドライブを計画していた地点が被災してしまい、遠出は青森往復と黒部ダムだけ。このまま気温が下がれば、積雪や路面凍結で遠くに行くことが難しくなってしまう。そこで雪に降られる前に、今シーズン最後の遠出として、福井県敦賀市の旧北陸本線トンネル群まで出かけてきた。片道500kmなら、十分に日帰り圏内だ。

今回もまた、週末に雨が降られる天気予報だ。出先の北陸地方なら曇り予報で、むしろ好都合。午前4時、出発。行きは、カーブや勾配の連続で緊張感が保てる中央道経由で、のんびりと。

夜明けの八ヶ岳

中央道から見えた、八ヶ岳。今回のドライブで唯一の晴れ間となった。

琵琶湖の霧

遠くに見える雲の筋。あれは一体何事か?とナビの画面をチラリと見ると、遠く前方にあったのは琵琶湖。琵琶湖の暖かい水に向かって冷えた空気が接し、水蒸気として霧が広がっているのかもしれない。

働く車

某業務車にパスされる瞬間。今日は平日だったことをここで思い出す。お疲れ様です。

R365から側道のr140へ

北陸道木之本ICから降りてR365をしばらく北上していくと、側道のr140への標識が見えてくる。このあたりから、旧北陸線のトンネル巡りがスタートする。

柳ヶ瀬トンネル

旧北陸線トンネル一本目、柳ヶ瀬トンネル。旧北陸本線トンネル群には属していないが、このトンネルもかつては鉄道用トンネルだった。すれ違いのできない単線トンネルで、最長6分30秒の信号待ちとなる。新疋田駅方面への最短ルート、抜け道としての現役バリバリで使われているため、信号待ちであっという間に車列が出来上がる。長居は難しい。

柳ヶ瀬トンネルの説明板

信号待ちの間に片っ端から写真撮影して、後々見直すことができるようにしておく。こちらは柳ヶ瀬トンネルの説明板。

伊藤博文による「萬世永頼」の額

伊藤博文による「萬世永頼」の額。

柳ヶ瀬トンネル入口

柳ヶ瀬トンネル入口。信号機の左側に残り待ち時間を表示バーがあるが、まだ数本の表示が残っている段階でいきなり0になって青信号に変わる、油断できない信号。

後方に車列が出来上がっていて、トンネル出口側(新疋田側)に止めて撮影するような余裕はなく、柳ヶ瀬トンネルは通過するだけとなった。遺構探しはまた別の機会の宿題とした。

敦賀市に出て、まず向かったのは敦賀港。新日本海フェリーのターミナルで一休みするべと向かってみたら、見覚えのある船体が見えてきて、あれ?

欠航により停泊中

すずらんが停泊している。これは海上荒天の残影響で欠航になっていたため。ちょうど逆光で、まともな写真は撮れなかった。

欠航によるトラブルとはいえ、数年ぶりに新日本海フェリーの船を見ることができた。高速航行(27.5ノット=50km/h)を踏まえたスマートな船体が本当に美しい。

一休みしたら、本命である旧北陸本線トンネル群に向かって出発。R8を北上してr207の万葉の道へ入るが、交差点に標識があるわけではなく、かなり分かりづらい。ナビが無かったら見逃していたかもしれない。

旧北陸本線トンネル群スタート

r207をしばらく走ると、目的の鉄道トンネルが出てくる。一方通行ではないので、トンネル内で対向車が出てきたら突入口寄りがバックすることになる。酷道険道ランナーなら、躊躇せずバックして相手に道を譲れるくらいのスキルがないとね。

3分待ちの信号

伊良谷トンネルに限っては、トンネル内にカーブがあって見通しが悪く、3分待ちの信号機が設置されている。

トンネルに次ぐトンネル

トンネルに次ぐトンネル。かつては鉄路だったルートをゆっくりと走っていく。

山中スイッチバックの広場

山中トンネルを抜けると、やけに広い場所に出る。貨物列車の輸送力増強策として、この山中スイッチバックが設置されたそうだ。

山中スイッチバックの説明板

設置されている説明板。写真のディーゼル機関車はDF50形。旧北陸本線トンネル群はここで終わる。

山中信号場の広場

山中スイッチバックを出ると、今度は山中信号場の跡地だ。道路左手にある藪地が信号場の待避線。待避線が水平となって、旧鉄道線の道路が25‰の勾配となっている。そこで勾配のある本線から、水平の待避線に入り、そこで勢いをつけて勾配に挑むという運転になっていたようだ。

山中信号場の説明板

山中信号場にも説明板が設置されている。勢いをつけて坂を上っていくにしても、蒸気機関車の加速力や貨物列車の重量を考えれば、本当にゆっくりとした速度で登坂していたのかもしれない。

旧大桐駅跡

いくぶん広い道になってしばらくすると、大桐駅跡に出る。かつてのホーム上には、D51形蒸気機関車が走っていたことを伝える案内板や、D51の動輪と従輪が設置されている。

現北陸線南今庄駅

南今庄駅付近で、現在の北陸線と合流してゴール。北陸トンネルの開通によって、旧北陸本線トンネル群を含む旧線跡地は道路に転用されているが、管理状況は極めて良好と感じた。GoogleマップのストリートビューやWikipediaに掲載されている写真よりも道路状況がよくなっており、鉄道の歴史を伝えるように敷地が拡張されている点も見逃せない。

帰ってきてから、鉄道遺構はまだまだたくさんあることに知った。このルートはもう一度訪れることになりそうで、次に来るとすれば、来年の秋口だろうか。

今庄駅近くで給油し、北陸道今庄ICから帰宅開始。帰りは新東名を使い、少しでも疲れにくくする。総走行距離は1,005km、総合燃費は18.6km/L。

淡々と帰るよ

青森から帰る日。起床時間は4時30分と早く設定していたが、昨夜は20時過ぎには消灯したことで8時間ほどは寝ることができた。身支度や前日に買い込んでいたパンで朝食を済ましたら、5時ちょうどにホテルを出発。あと30分もすれば日の出時刻になり、完全な暗闇の中を走ることは避けられる。

東北道の夜明け

都心の汚染された上空の空気では、ここまでキレイな空の色は出ないなと思いつつ、秋特有の高い雲と鮮やかな空を見ながら、東北道の南下を開始する。

濃霧で対面通行という最悪の条件

秋田県側は何かと天気が悪くなりやすい…というのが私の中のイメージで、今回は強烈な濃霧。しかも小坂ICから十和田ICに掛けてはリニューアル工事による終日対面通行規制が行われており、このドライブにおける唯一の悪条件走行となった。

街中では必要の無いフォグランプを点灯させて走っているのに、濃霧では一切点灯しない車ばかり。ドライバー自身が前方を見えているか否かではなく、相手方に自車を気づかせるために点灯する。このあたりを理解していないのが、サンデードライバーかつ地元住民らしいところか。規制は7kmほどの距離があり、通過に10分も掛からない時間がとても長く感じられた。

気温は8度

気温は8℃。暑い環境に慣れている身ゆえ、いきなりの低気温は骨身に沁みる。冷えで脚や腰が痛くならないように、足元への温風をコントロールしながら走り続ける。

岩手山のシルエット

出発から2時間ほど経過。安代JCTを越えて、岩手山を望む区間に到達。今日は「裏側」から岩手山を眺めることになって、稜線がはっきり見えて美しい。

不意に現れるS時区間

何かの工事の結果からなのか、S字区間が設置されていた。アスファルトはまだ真新しく、雨が降れば油が浮き出て滑りやすくなると直感するほど、浮いた感触がある。下り線に至っては、スピンしてガードレールに衝突した痕跡があった。

上り線の中間地点

上り線の中間地点を越える。メーター読み90km/hのペースを保って流し続けているので、疲労感はない。

東京青森日帰り弾丸ツアーの場合、ここを越えるのが17時から18時に掛けてで、日没に差し掛かって視界が悪くなり始めるタイミングだった。家までは400km近くあるので、これだけの距離を暗い中を走り続ければ、酷く疲れるのも仕方ない。

3車線区間に戻る

2時間毎の休憩を繰り返しながら、宇都宮ICを通過したのが正午あたり。長らく2車線区間に留まっていたからか、3車線の広々とした道路は走りやすい。首都高内も渋滞することなくスムーズに通過し、家に到着したのが14時30分、合計9時間半の走行時間となった。総走行距離1,493km、総合燃費は18km/Lだった。

東北道を走り終えるあたりで295,000kmに達し、帰宅してもまだ日が高く、今日はもう動きたくないという疲れもない。荷物を片付けたら、工具を持ち出してもう一度車に戻って、ドライブ後の後始末を始める。

津軽平野区間はトンボが多く飛び交っており、バンパーのグリルメッシュには運悪く衝突して砕けてしまったトンボがあちこちに引っかかっていた。メッシュが防御壁になっていることで、ラジエターやコンデンサまで到達した虫は一切なく、羽や足の破片が少し付着しているくらいだ。ブラシで掻き落として除去。

帰ってタイヤローテーション

さらにタイヤローテーション、サスアームのブッシュへのシリコンスプレーを噴射する定例作業も行って、後始末作業は終了。青森港で潮風を浴びて、虫の衝突で汚くなったボディの洗浄は、また明日。

船を見に青森へ

今年二度目の青森ドライブ。「大阪出張が終われば青森ドライブが待っている…!」と自身への励みになっていた。起床は夜明け前の3時25分。昨日はちょっとした残業があって疲れていたらしく、これで睡眠良好。ドライブ日の前夜は楽しみで寝れないという、子供みたいな性質が今もあったりするが、しっかり寝れて体調は万全。3時55分、出発。

体調が良かったことで、家から300kmほど離れた東北道吾妻PAまでノンストップで走るほどで、以後2時間毎の休憩を繰り返していく。平日かつ週末だったためか、交通量がそこそこ多くてペースが乱されっぱなし。燃料計がどんどん落ちていく。

東北道から見える岩手山

青森に到着するまで好天に恵まれ、疲労の直接原因となる横風もなく終始無風。よって東北道を500kmほど走ったあたりから見えてくる岩手山も、はっきりと見通すことができた。青森への往復をするようになって、ここまでキレイに見えたのは初めてのこと。

東北道名物のスイカは見えにくくなった

かつては東北道から巨大スイカ(柄のガスホルダー)を見ることができたが、現在は滝沢中央SICが設置され、下り線では非常に見えにくくなった。

津軽平野を縦断

遠くまで見渡せる津軽平野、東北道のすぐ横にはリンゴの果樹園があって、この景色を見たくて東北道を延々と走ってきたようなもの。ここまでくれば、青森ICまであと少し。

青森ICから少し走って、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸に到着。さっそく船内見学、2015年7月の宿題を片付けていく。

八甲田丸の車両甲板

2015年7月に訪れたときは船体の補修工事が行われており、車両甲板は一部しか歩くことができなかった。だいぶ前に補修工事は終わっており、今度はドライブの都合から船内見学のコースを組み立てることができず、今年になってようやく車両甲板を歩くことができた。

200m級のフェリーに馴染んでいるせいか、やけに小さく、狭く感じる。八甲田丸の全長は132mで、車両甲板はさらに短くなるため。それでも15t積みの貨車換算で48両(1両7.9m)を積み込むことができた。Youtubeでは、車両甲板への入れ替えを撮影した動画がいくつもアップロードされている。

宿題を片付けて、次は青森港へ行く。青函フェリーと津軽海峡フェリーそれぞれの船が、あと30分ほどで入港時刻となっており、接岸作業を間近で見ることができる。津軽海峡フェリーのターミナルで土産モノを選んでいると、すぐに函館発の船が揃ってやってきた。

3号はやぶさ

青函フェリーの3号はやぶさが入港。函館を11時35分に出港した。青函フェリーといえば、投げやりで無愛想な接客態度という印象が強いが、今も変わらずだろうか。青森と函館の車両輸送費用を抑えるなら、こちらが勝る。

ブルードルフィン2

続いて、津軽海峡フェリーのブルードルフィン2が入港する。函館の出港は12時ジャストで、航行時間はこちらのほうが若干短い。フェリーらしさが感じられる船体のデザイン。旧東日本フェリーから引き継がれたベテラン船で、進水は1994年とEKシビックよりも前、EGシビックの時代。

3号はやぶさの車両甲板

3号はやぶさの前に移動してみると、車両甲板をデッキブラシで磨いており、水洗いをしていた。こうして到着から2時間少々の間に、車両甲板や船内の清掃を行って、次の出港に備える。3号はやぶさの青森出港時刻は18時。

船見物に満足したところで、青森駅に向かってもう一度移動。今回もまた、味の札幌大西にて味噌カレー牛乳ラーメンを食べて、ホテルに移動して終了。午前3時台から起きていたせいもあって、20時過ぎには消灯。

関電トンネル電気バスに乗る

立山黒部アルペンルートを構成するルートの一つに、かつて関電トンネルトロリーバスがあった。トロリーバスとは、道路の上に張られた架線から電気を取り入れ、モーターを回して走るバス。見た目はバスだが、その実態は鉄道、電車であり、無軌条電車が正式名称となる。

日本国内では戦後に各地で運行されていたそうだが、モータリゼーションによる自動車の増加に伴い、渋滞だらけでダイヤを維持できなくなったこと等で次々と廃止され、2018年の時点では関電トンネルトロリーバス、立山トンネルトロリーバスの2路線が残っていた。2018年12月1日、車両の老朽化で関電トンネルトロリーバスは鉄道路線としては廃止。翌年春からは、電気バスによる運転になり、鉄道路線からバス路線に切り替わることになった。2019年現在、立山トンネルトロリーバスが、日本唯一のトロリーバスとなっている。

2018年9月22日、関電トンネルトロリーバスが廃止される前に『乗り鉄』をやっていた。電気バスに転換されてから、どのように変化したのか、さっそく見に行くことになった。

バス路線化されてバス停留所となった現在でも、引き続き扇沢駅を名乗る。往復きっぷを購入して、すぐに構内へ入場する。バスは麓側の扇沢駅にて急速充電を行って、車体に搭載したリチウムイオンバッテリーの電力だけで黒部ダム駅まで駆け上がり、扇沢駅まで下ってくると、再び急速充電を行う…というサイクルを繰り返す。

電気バスの充電用パンタグラフ

そんな扇沢駅にて、充電用のパンタグラフを上昇させて急速充電中。充電用のパンタグラフなので、走行用パンタグラフとは形状が大きく異なる。停車位置が多少ズレても、パンタグラフの接点が接触できるように前後の余裕が確保されている。

黒部ダム駅での発車待ち

大勢の登山客に紛れて、黒部ダム駅に到着。車体は日野ブルーリボンがベースとなっており、乗り心地や車内の雰囲気は路線バスと全く変わらない。モーターの駆動音や制御装置からのノイズは殆ど聞こえず、音鉄ファンは落胆すること間違いなし。

黒部ダムの対岸から

後々、立山トンネルトロリーバスの乗り鉄も視野に入れるとして、まずは黒部ケーブルカーの黒部湖駅まで歩いてみる。黒部湖の対岸に見えるのは、先ほどまでいた黒部ダム駅やレストハウスなど。

ダムの設備や構造調査のため立ち止まって見ていると、何か興味深いものがあるらしい…と察した他の観光客が押し寄せてくるので、裏をかくような行動を心がけてデータを収集。観光客の行動パターンを読んで、混雑する前にダムカレーを食して、早めに黒部ダムから引き上げる。

パン上げ充電中

扇沢駅に戻ると、さっそくパン上げで急速充電を開始。カチャンッと音を鳴らしながら、給電線とスリ板が接触する様子は、電車のパン上げと全く変わらない。「パン上げは変わらんね」と、仕事中の意識に戻ってしまう瞬間。

300形で使われていたトロリーポール

扇沢駅では、解体された300形のトロリーポールが展示されていた。他にも歴代のトロリーバスの部品が展示してあって、ここにはバス路線ではなく鉄道線があったことを伝え続けている。

総走行距離は595km、総合燃費は17.5km/L。今日は13日の金曜日で仏滅という強烈な組み合わせで、コレが関係しているとは思えないが、単独事故、車両火災、パンク、縁石ブロックに乗り上げて亀の子状態、猿身(人身ではない)事故未遂と、なかなか濃い道中となった。お疲れ様でした。>参加者