三国トンネル、最後の夏

国道17号線の三国トンネルが、2022年春頃を目途に新トンネルへ切り替わる予定となっている。そうなると現行のトンネルは役目が終わることが予想され、馴染み深い道路を今のうちに記録しておくことにして、さっそく出かける。役目が終わった道路は近寄れなくなることがあり(※1)、もっと見ておく、記録しておくべきだったという過去の失敗によるもの。

駐車スペースと徘徊できる見通しの良さから、全て新潟県側からの記録としている。

新旧三国トンネル新潟県側坑口

三国トンネルの新潟県側の様子。新旧トンネルの坑口が並んでおり、道路が新トンネル経由に変わったとしても特に違和感なく通過できそうだ。

三国トンネル新潟県側坑口

車の通過は殆どないため、道路の真ん中に立っての撮影も簡単に行える。坑口そのものは広く見えるが、中で絞られるような構造になっており、これで大型車のすれ違いを困難にしている。さらに開通から60年以上が経過し、経年による老朽化も無視できなくなってきて、新トンネルへの切り替えが進むことになった。

三国トンネルの長さと標高、ラジオの看板

三国トンネルの長さは1,218m、標高は1,076mとなっている。新潟県側から見れば群馬側に向かって上り勾配が続き、こちらの看板では標高1,084mと表記が微妙に異なっている。AMラジオの周波数も掲載されており、緊急時における避難誘導情報を流す役目もあるそうだ。

一般道だけあってトンネル内は人や自転車も通行できるようになっているが、歩道や自転車が走れるようなスペースはなく、かなりの緊張感を強いられる通行になることが予想される。

三国トンネル銘板

坑口に掲げられたトンネル銘板。旧字を使った『三國隧道』の表記が渋い。その他、久しぶりに見た建設省の文字、竣工は昭和三十二年(1957年)十二月となっている。当時の建設大臣だった、根本龍太郎の名前も。

国道17号新潟側を見る

坑口側から国道17号線の湯沢インター方面を見る。路面には白い点線で新トンネルへ向かうであろう予定線が引かれており、スノーシェッドからまっすぐ新トンネルに向かうかたちになるようだ。

新三国トンネル新潟県側坑口へ誘導される

路面の点線は、新トンネルへ誘導されていた。

工事中の新三国トンネル新潟県側坑口

現段階では仮称となるが、新三国トンネルは貫通している。現在はトンネル坑口周辺の工事が進められており、土木工事が得意な国柄、冬場を迎えるまでには一通りの作業は終わると思われる。

群馬県側は駐車できるスペースがなく、撮影しにくい環境となっているため、今は記録は取っていない。まだ時間的余裕があるので、機会を見て群馬側もチェックしておきたい。ただ前にも書いたが、グンマー特有の走りにくさが少々ネック。総走行距離は496km。

※1 役目が終わった道路は近寄れない
旧国道139号の松姫峠より、山梨県大月市側が代表例。2014年に松姫トンネルが開通した後、現在まで通行ができない状態が続く。

リハビリドライブ

コロナ禍で遠出しなくなることが当たり前になり、どこへ行こうか考えようとしても「早朝に起きるのが面倒」となり、ドライブプランを組み立てようとしても「疲れるだけだし」となっていることに気づく。

これはマズい…ということで、早朝出発することなくダラダラと走れて、日の高いうちに帰宅できるようなプランとする。高速道路ばかりも面白くはないので、下道を流せるようなコースも取り入れる。いつもなら走るだけ走って終わりとなるが、今日は目的地を設定して、ちょっとした観光も含めることになった。

その目的地とは。

ツインリンクもてぎのゲート

ツインリンクもてぎだったりする。何年かぶりの訪問となって、これって並ぶんだっけ?え?入場料と駐車料で計2,200円?と右往左往。というのも、過去の訪問では関係者枠の立場となっており、入場料だけ支払っていたため。

事前検温と手の消毒を経て、サーキット場内に入る。

ホンダコレクションホールでのシビック展示状況

目的は、ホンダコレクションホールで開催されている『CIVIC WORLD 受け継がれるHondaのDNA』と『TAKUMA SATO Special Exhibition』の見学。展示終了日は何度か延長されているが、そろそろ再延期もなさそうだし見に行っとくべぇと、リハビリドライブに組み込むことになった。実際のところ、シビック本体よりも各フォーミュラーマシンや汎用エンジン、農作業機械のほうに見学時間を割り振っていたが。

ドライブに出かけなくなったことで、忘れ物が多い。GPSロガーを忘れ、出発後に車内BGM用のiPodを取りに戻り、万一に備えての鎮痛剤も携帯していなかった。今回は距離が300km少々と短距離だったので、忘れ物が多くても問題は無かった。

オリンピックがどうなろうと知ったことではないが、開催期間が過ぎた後は、遠出を控えていた反動であちこち走り回る可能性がある。すぐに感覚を取り戻すと思われるので、忘れ物の多さは今だけだろう。暑い中お疲れさまでした。>S15オーナー

いつか訪れる解除日を楽しみに

毎年の5月の連休が明けて、道路の混雑や行楽地の書き入れ時がようやく一息つけるころ、花見ドライブとして出かけることが定例だった。

標高が1,000mを越える峠道では、麓側と違って今の時期でもけっこう寒く、桜は見ごろを迎える。しかも林道や酷道といった他人が来ない道なので、咲き具合や桜の種類を観察するには好都合。R299の十石峠(含、林道矢弓沢線)、r124のぶどう峠がいつもの周回コースだった。特にR299の十石峠は、酷道趣味の原点とも言える聖地みたいなもので、定期的に訪れることがシビックRの維持ルーティンとなっていた。

が。

2019年の台風19号の上陸によって、十石峠、林道矢弓沢線、ぶどう峠は路肩決壊、土砂流出が起きてしまい、通行止めになってしまった。2年が経過した現在でも通行止めが続いており、今シーズンは早くも諦めモード。過去にも5年近くの通年通行止めが起きていたことがあったりするので、数年レベルの通行止めの後、いつかは開通するだろう。ひたすら待つしかない。

r124ぶどう峠付近

過去に撮影した、5月中旬のぶとう峠付近の様子。麓は初夏の陽気で20℃として、標高1,500m級のぶどう峠ならば10℃ほど。この温度差によって、周辺の桜はようやく咲き出す。

峠に咲く桜

しかも満開ではない。気温状況とタイミングが良ければ、より見応えのある山の桜を楽しむことができる。

今の時期に山の桜を楽しめる地点は数多い。しかし、先述した理由からR299の十石峠でないとダメ。いつになるかは分からないが、元に戻って通行可能になる日はやってくる。次の機会を楽しみにしつつ。

R138の慣熟走行

国道138号で長らく工事していた、須走道路の延長と御殿場バイパス(西区間)が完成し、4月10日にようやく開通。どのような道になったのか知っておくために、さっそく走ってくる。

国道138号御殿場バイパス西区間

東名御殿場ICを出て、山中湖方面に走ってR246を横断すれば、すぐにR138の御殿場バイパス西区間に入ることができる。普段なら篭坂峠経由で山中湖に入るが、今日は道の状況を知る意味でこの御殿場バイパスと須走道路を走り、東富士五湖道路を経由した後、山中湖を一周してから帰路とする。

遠い昔。須走道路の須走IC付近にはオートパラダイス御殿場というカートコースがあって、ちょうど道路沿いにある好立地条件だった。軽快な排気音を響かせ、R138の車内からも見える。シーズン中、御殿場ICを出てR246を横断したあたりで渋滞が始まり、通過に一時間前後も掛かることは珍しくは無かった記憶がある。事故か?と考えていたら、このカートコースの見物で信号の切り替わりに気づかず、発進が遅れて渋滞する…という典型的サンデードライバーの運転が原因だった。

そのオートパラダイス御殿場は2016年8月末に富士スピードウェイ寄りに移転し、見物渋滞も過去のものとなった。そして今回の須走道路と御殿場バイパスの部分開通によって、あれだけ渋滞していたR138はr418へと移管された。コロナ禍が落ち着いて観光シーズンが戻った時には、交通状況も大きく変わるだろう。

工事を行っていた時も、片側通行規制や仮設道路の付け替えが度々行われ、応じて事故渋滞も妙に多かった。谷間の狭い土地でよくやるよ…と土木根性を見た気がした。

ぐみ沢ICから国道246方面を見る

山中湖から戻り、ぐみ沢ICで旧来からのR138に戻る。設置された橋脚は、後々R246号と接続するためのもの。ぐみ沢上交差点からR246に掛けて開けた土地になっていた理由は、バイパス工事を見越した準備だったことにようやく気付く。秋口になるとコスモスの花が一斉に咲いて、これはこれでキレイなもの。この光景も、いつかは過去のものになるのか。

周辺道路状況が大きく変わったことで、ナビ上のマップデータと全く一致しなくなっている。観光地への重要なアクセスルートなので、次の更新で修正されることを期待。

久しぶりの中距離走行

ここのところのドライブパターンとしては、100~200km程度の短距離の走行に留まっている。そろそろ体も鈍ってくるころなので、500kmオーバーの中距離ドライブを行っておき、長時間に渡る運転感覚を取り戻すことにした。

地図をバラバラッとめくっていたところ、国道151号が目に入った。過去に一度だけ走っており、当時はEK4シビックSiRII…となれば、再訪問は悪くはない。途中にあるループ線をGPSロガーで記録することも兼ねて、大雨の中走り続ける。

GPSロガーによるループ線の記録

GPSロガーは5秒間隔で地点データを採取し続けているので、どうしてもカーブのログは粗くなってしまう。それでもループを描いた記録が採れたので、こちらは目標達成。

雨模様のR151

ループ線に入るところで小休止。雨模様で視界は悪く、周辺の景色は全く分からず。標高は610mほどで、平地より明らかに寒い。あちこちで鮮やかなヤエザクラが咲いており、ちょっとした花見気分。

行く先が見えるループ線

山の中腹にあるガードレールは、これから進むループ線のもの。写真右側から左側へ走り抜けることになる。短距離で標高を上げつつ、ギア比を変更しているためか5速では厳しい場面が多く、4速メインで新野峠へ向かう。

新野峠

雨の新野峠到着。腰を伸ばしつつ、再び小休止。ここから鳳来峡までは基本的には下り坂となり、1,000m級の峠道かつ雨で寒いとなれば、スリップしないように慎重に下っていく。三遠南信自動車道の鳳来峡ICまで来てしまえば、ダム巡りで散々訪れている場所だけに、走り慣れたコース。とはいえ、引き続き緊張感を持って運転することになるが。

EK4でR151を走り抜けた遠い昔の記憶は全くなく、辛うじて阿南町、豊根村の標識を覚えているくらい。走り直したことで道中の雰囲気もしっかりと把握できた。

総走行距離は640kmで、狙い通りの中距離運転となった。日々の筋トレ効果で、鎮痛剤を服用するような腰痛、肩の痛みはなし。長時間続く集中力維持や周囲の状況把握は問題ない。が、昼食後に来る眠気が我慢できないほどキツくなっている。3時半に起きて、それから走り続けて昼食となれば、眠くなっても仕方ない部分はある。とはいえ、居眠り運転の恐れということで、安全性に直接関わる問題を抱えていることが分かり、休憩配分を見直す必要がありそう。

2021年度シーズンイン

そろそろ山の方も暖かくなって、雪解けが進んで路面凍結の危険性もなくなってくるころだろうか。ネット上で調べてみても、いまいち状況が掴みにくく、それならばと実際に走ってみて状況を見るほうが早い。こうして2021年度のドライブシーズンが静かに始まり、一発目は定例となっている山中湖コース。

GPSロガーのテスト

併せてGPSロガーとPhoto Taggerの動作テストも行うため、久しぶりにログを記録していく。結果的にロガーの動作に問題はなく、パソコン側のPhoto Taggerも異常なし。

ログから分かるように、普段ならR137の御坂みちを経由するが、今回は中央道富士吉田線から東富士五湖道路を使うコースとした。出発した時点でガスが半分以下だったこと、人の往来が活発になる8時前には帰宅したかったため。相変わらずの早朝ドライブ、朝練状態となった。

雨が舞う山中湖

富士吉田線を走っている時点で雨粒が舞っていて、山中湖ICを出るあたりで本降りに。路面凍結や路肩の積雪は全くなく、夏タイヤでも問題なく走れたが、路面には塩カルが撒いてあって車体全体が塩まみれ。予定通り8時前には帰宅。塩分を浴びたまま放置するわけにはいかず、昼前からは地元でも雨が降ると分かっていながら、下回りを含めて洗車。走行距離は250kmと少なめ。

山中湖周辺は、3月末の時点で走れないことはないが、塩カルの散布状況を考えれば訪れるにはまだ早かった。

ソロキャン×3

過去ログから調べるに、どうやら2年ぶりのキャンプとなるようだ。

コロナ禍で、アウトドアブームらしい。新型コロナウイルス感染防止対策である三密を確立しながら、野外に出かけることができるためか。世間のブームや動きにはけっこう疎いので、よく分からないが。

「キャンプしてぇ」と言い出したのは私。そこそこの距離を走ることができて、バーベキュー式に肉を食らう。立冬を過ぎて、体を冷やさないよう焚火を眺めつつ、時折星空を見上げる…。こうして何も考えず、ぼーっとした夜を過ごすのも悪くはない。

日没後のキャンプ準備

アウトドアにはふさわしくない車でやってきて、それぞれがテントを張ってキャンプ道具を持ち込んでくるので、実態としてはソロキャンをする三人が同じ場所に集合したようなもの。

焚火

木を切っただけの単純な薪とは異なり、超良質な木材を使った焚火は灰が殆ど残らず、そして目も痛くならない。夜風に吹かれてゆらゆらと揺れる火を眺めながら、どうでもいい話をしながら2時以上は過ごしていた。これこそが、キャンプ中の焚火の楽しみ。

仙台港下見ドライブ

先日、シビックRは長距離走行前提で…という記事を書いたところ、さっそく出かけたくなる。どこ行こうか僅かばかり考えて「そうだ、仙台行こう」と決めたのが、昨日のこと。

ゴールは仙台港とする。太平洋フェリーで仙台から北海道へ上陸、もしくは北海道から仙台へ戻る場合、自宅と仙台港の所要時間や状況を調査することも兼ねる。自宅から仙台港までは約400kmなので、所要時間はだらだら走って5時間弱の予想がつく。これを踏まえ、仙台港に入港してくるフェリーも見ようということになって、午前4時に出発。

夜明けが始まった東北道

春先から初秋にかけての青森旅行では、4時過ぎには明るくなってくるので、何も感じない。が、今の季節柄、日の出は遅く、宇都宮市の日の出時刻は6時3分。起きたのが3時なので、明るくなるまでの3時間は、どうしても眠気を感じることがある。東側の空が青くなり、暗い空が後退し始めると、少しずつテンションがアップ。

朝日を拝みながら

ようやく太陽が見えてきた。セロトニン効果なのか、これで一気に目が覚めてくる。走行ペースとしては、普段の青森旅行と全く変わらない時間配分となっている。

今回は仙台南部道路方面

蔵王PAが往路最後の休憩となり、8時半過ぎに仙台南JCTを通過する。フェリーの仙台港着が10時なので、こちら側はその時間よりも前に到着することができそうだ。

仙台港の駐車場に着いたのが9時過ぎで、自宅から5時間弱で仙台港に到着。予想通りだ。船のリアルタイムレーダーでは、航行しているフェリーはきたかみ。既に仙台港のすぐ先にいるようで、少し待っていると船体が見えてきた。

フェリーきたかみ、入港

静かに接近してきたきたかみ。港湾内で作業していた職員から「写真を撮るなら、もっと近くに行けるから」となぜか案内され、そこでカメラを構えておく。

接岸作業中

きたかみが目前に迫ってきた。サイドスラスター特有のゴロゴロとした音が響いて心地よい。

ランプウェイ展開中

岸壁のビットにローブを掛けて安定すれば、入港と接岸作業は終了となる。乗船口が繋がり、車両甲板ではランプウェイが展開される。乗船していた車が降りてきて、混雑する前に復路のスタート。

帰りは常磐道で

帰りは常磐道経由にして、仙台港から下船して最短ルートで帰宅すると仮定し、自宅までの所要時間をシミュレート。常磐道を初めてフルで走ったが、対面通行区間特有の走りにくさ、三車線区間に入ってもそれぞれの車線で一定の走行ペースが保てない車が多く、アクセルワークが面倒…とデメリットばかりが目立ってしまい、走り慣れた東北道のほうがラクかな?という印象だった。おかげで走行距離は短いのに、遠回りな東北道と所要時間が殆ど変わらないという、変な結果に。総走行距離は800km、総合燃費は17.3km/L。

現状調査

ちょっとした雑務及び現状調査のため、三島までひとっ走り。

東レ三島工場付近

夜明けを迎えつつある三島市街地。目前に見える要塞風味の建物は東レ三島工場。前にいる三菱デリカSGは後期型のガソリンモデル。いつみてもイカした車。また乗りたい。

三島駅北口へ向かう

三島工場を右手に、一旦三島駅北口へ向かう。その後、南口に回ってちょっとした調査を続行。夜明け前に全ての処理が終了。ここから国道一号線へ入り、第三新東京市を経由しながら、のんびりと東方面へ。

箱根旧道で帰宅コース

芦ノ湖からはr732(箱根旧道)を使い、小田原まで下り坂。小田厚、東名共にスムーズにパスしたが、首都高に入るあたりで、平日の朝の通勤時間帯だったことに気づく。先ほどからラジオで流れる渋滞情報はどこもカオスな状況で、普段なら20分の道のりが最終的に60分を要したのだった。

失敗、そして忘れ去られ

去年10月下旬、「埜口(のぐち)三部作」と称した三冊の本を読み終えたことを記事にした。その中の一冊、みかん畑に帰りたかった(小学館2003年、絶版)での最終章は、冒険家河野兵市氏の地元、愛媛県の佐田岬半島へ向けて、北極点から徒歩で帰還するリーチングホーム計画の記述となっている。

リーチングホーム計画のゴール地点となるはずだった道の駅瀬戸農業公園では、今もその碑が立っているらしく、どういうものか見てみたかった。36時間を確保できたある日、ふと「佐田岬にあるリーチングホームのゴールを見に行くか」と思い立って出発。集中力が切れない限りは、シビックRを西へ西へ、とにかく走らせ続けた。

四国上陸目前

時間的猶予があまりなく、道中は悪天候が続くという環境から、かなりの緊張感を抱いたままの走行となる。瀬戸大橋経由で四国へ乗り込むのは実は二度目。改めて走ってみると、時間が大幅に節約できて宇高航路に勝ち目が無くなった理由もよく分かる。

道の駅 瀬戸農業公園

四国に入ってからもとにかく西へ。坂出JCTからゴール地点となる道の駅瀬戸農業公園まで200kmを走り、ようやく到着。日暮れが近づき、現地滞在可能時間は15分程度まで縮まっていた。

リーチングホームの案内板

Wikimedia Commonsにアップロードされている、リーチングホームのゴール地点写真は、石を積み重ねた記念碑と、その後ろにルート案内板があるらしい。僅かな時間で瀬戸農業公園内を散策してみて、記念碑を見つけたのだが。

リーチングホーム記念碑

リーチングホームの記念碑の前に立つ。しかし、ルート案内板はない。案内板の土台すらなくなっており、次の走行に備えて体を休めつつ、状況を観察してみる。

まず、佐田岬半島は常に強い海風が吹いている土地。Wikimedia Commonsでの掲載写真は2007年に撮影されたようで、リーチングホームの計画は2001年。既に6年が経過しており、案内板のフレームは海風からの錆だらけ。常に吹き付ける強い海風を受け続けて劣化が無視できず、ボロボロになっているところに台風でも上陸されたら、いよいよ吹き飛ばされる危険性が出てしまい、撤去されたのかもしれない。

もしもリーチングホーム計画が成功して、当人が生きて帰ってきていたのならば、この地はどうなっていたのだろう。案内板は撤去することなく現存し、称えるような記述に変更されていたのだろうか。河野兵市氏が死亡したことでルートを案内する理由が失われ、失敗した計画の存在を伝える意味もなくなった。今となっては、積み重ねられた石にREACHING HOME 15,000とは何を示すのか、すぐに知ることはできない。

忘れ去られていく冒険家の実態を目の当たりにし、若干の失意を抱いたまま、誰もいない道の駅瀬戸農業公園を10分で出発。次の補給地点までは、さらに100km近くを走ることになる。