x64化に向けての準備中、マザーボード、CPU、メモリの三つがようやく揃い、これで起動試験まで持ち込める。まな板(バラックケース)にマザーボードをセットし、試験用に用意した古いCPUとメモリーを取り付ける。

正常起動を確認し、ここからさらにパーツ収集の速度をアップさせていくことになった。
x64化に向けての準備中、マザーボード、CPU、メモリの三つがようやく揃い、これで起動試験まで持ち込める。まな板(バラックケース)にマザーボードをセットし、試験用に用意した古いCPUとメモリーを取り付ける。

正常起動を確認し、ここからさらにパーツ収集の速度をアップさせていくことになった。
私が実感した、痩せてからの変化具合のまとめ。
2010年2月1日にダイエットをスタートし、このときの体重は75kgだったことは先日書いた。自分自身をモルモットにするなんて最高のネタなのは間違いなく、ところどころで体重の変化を記録していた。

ダイエットにありがちな「停滞期」は全く経験せず、順調に落ち続けていた。これは短期間で急激に減少をすることなく、年単位で継続し続けていたことが関係しているのかもしれない。2011年7月より、厳密には±1kgの振れはあるものの、56kgで安定するようになった。これは停滞期ではなく、今の生活サイクルにおける下限値に到達したためだ。今後数年に渡るの目標は、この56kg±1kgの体重を維持すること。落とした体重を維持してこそ、ダイエットは成功といえる。
月単位で見ると、一ヶ月あたりの体重減少量は大したことがないのだが、人によっては急激な減少と見られることがある。そんなことから「病気か?」「死ぬの?」と心配されたことが何度もあった。これまでに、ガン、エイズ、胃腸系の重い病気、ストレス、精神病(メンタルは歴有なので、今度こそヤバいと感じたらしい)、危険な薬物に手を出した…などなど。今のところ、これくらいは言われた。ダイエットですと言っても、あまり信用されないのも謎。危険人物として見られている影響か。
2009年1月6日、職場異動。体重80kg。
2010年2月1日、ダイエットスタート。体重75kg。
2011年1月31日、一年目終了。体重60kg。
2012年1月31日、二年目終了。体重56kg。

2010年よりダイエットを開始し、減量が終わって維持モードに突入したところ。体重が落ちたからといってダイエットは終了ではなく、ここからが本番。健康面に極めて気を使うようになり、食事はかなりの慎重派に転向なった。
身を削る以上、苦労しないダイエットなんてものは一切ない。ある程度の苦痛は覚悟しなければならない。苦労と苦痛がイヤで逃げているようでは、絶対に痩せることはできない。自分で決めたことを持続できるかどうかが成功の鍵。ダイエットに限らず、これは何でも当てはまると思う。辛いのは最初だけで、慣れてしまえば当たり前になる。そうすればしめたもの。
台風15号が都心に直撃した。運悪く帰りのラッシュ時間帯であり、JR、私鉄各線の公共交通機関は全滅した。交通手段が失われたことで、あの忌まわしい3月11日の震災発生時を思い出させる。まさか一年で二回も帰宅困難な状況になるとは思わなかった。
17時に会社を出て、この時点でJR線は全滅。京急等の一部の私鉄線が、まだ動いているとの情報だった。ところが、品川駅に到着する直前に「京急が止まった」という声が聞こえて、調べてみると確かに止まっている。不安を抱えたまま、品川駅に向かう。同駅の港南口と高輪口を結ぶ自由通路は早くも人で溢れていて、動くことすら困難。何とか改札口に到着し、まず京急の状況を見てみようと、京急とJRの乗り換え改札口のほうに向かう。すると、改札口そのものをシャッターで物理的に遮断していた。ここまでやるのか…。
少々のことでは止まらない京急が止まっているのだから、事態はかなり深刻と判断できる。この時点で、帰宅手段は徒歩しかなくなった。しかし風雨共に強くて、とてもではないが歩ける状況ではない。既に野戦病院さながらの光景になっていた品川駅で、ひとまずパンとお茶を買い込んで、長期戦を覚悟する。コンコースはどこも人で溢れていて、落ち着いて待機できそうもない。東海道線ホームに降り立ってみると、コンコースに比べて人は少なめで、ここで待機。
18時を回ったころから次第に暴風雨が強さを増し、完全にピークを迎えたようだ。どうすることも出来ないし、パンを食べつつWeb小説を読みながら、落ち着くのを待つ。一時間経過して、19時。いつの間にか雨は止んでいて、風のみが吹き荒れている状況となっていた。それでも強風による規制で、運転再開の見込みは立たない。さらに時間が経過して、山手線、京浜東北線の運転再開の情報が流れ始めた。つられて東海道線も運転再開するかなと期待したが、全くダメ。しかも、運転再開したはずの京浜東北線は再び止まったようで、悪い状況は全く変らなかった。
運行情報をチェックし続けていると、東京モノレールが通常運行中との情報が入った。しかも、山手線内回りも動いている。一旦浜松町駅に向かい、そこから東京モノレールで天空橋駅に出て、徒歩で帰る…これしかない。超混雑のコンコースを横断して、山手線ホームに出る。幸い、山手線内回りの1番線はガラガラだった。待つことなく電車が滑り込み、ようやく帰宅に向けて動き出した感じ。空いた車内で一休みしつつ、徐行運転で浜松町駅に到着。東京モノレールは定時運行を行っており、やはり待つことなく浜松町駅を出発することができた。通行止めとなった湾岸線を追い出され、交通集中による渋滞となった横羽線。空港西入り口付近で、トラックがガードレールに刺さっているのも目撃。カオスな状況となっている横羽線を眼下にしつつ、スムーズ天空橋駅に到着。ここからは徒歩だ。
3月11日の震災の日は、品川から地元まで9kmの徒歩となったが、天空橋駅からならば、大したことはない。強風が吹き荒れる中、やはりショートカットを繰り返しながらテクテクと歩いていった。先日から足首を痛めていて、今日も痛みが残っていた。日中はロキソニン(鎮痛剤)で痛みを散らしていたが、さすがに効果が切れるはず。予想通り、歩いていると次第に痛み出す足首。普通に歩くのも困難で、足を引きずるようにして歩き続ける。
多摩川の橋に到達すると、運転再開しない理由が体感できた。油断すると、本当に吹き飛ばされそうなくらいの横風が吹き続けていた。痛みを堪えつつ、ようやく家に到着したのは21時ジャスト。会社を出てから4時間後のことだった。
震災時と違って、停電は起きておらず道路は明るかったし、コンビニパニックも無かったので、危機感や精神的な焦りといったものは一切無かった。帰宅後の調査では、家に到着する直前に、東海道線、京浜東北線、京急線それぞれが運転再開したとのことだった。昨日に引き続き足首の激痛に悩まされることになったが、東京モノレール経由での大回りコースでの帰宅が、大正解となった。あのまま東海道線の運転再開を期待して品川駅で待っていたら、帰宅は0時近かったかもしれない。さすがに疲れた。
タミヤTG10-Mk.1にFS-12FXエンジンを搭載しようと思っても、そのままでは搭載できない。リコイルスタータが厚すぎるのと、ドライブワッシャーが存在しないためだ。

リコイルスタータが厚いため、燃料タンクに押されるかたちでエンジンが後方にズレてしまう。エンジンマウントのネジ穴は赤い線、シャーシのネジ穴は黄色の線で示した。

クランクシャフトはテーパーコレット仕様で、両面Dカットされていないため、これまでのドライブワッシャーが使えない。このままフライホイールを装着することは可能だが、フルスロットル時など大トルクがかかった場合、滑ってしまう。タミヤTG10-Mk.1にFS-12FXエンジンを装着するには、リコイルスタータを薄くし、テーパーコレットの代わりを用意する必要がある。

そこで準備したものとして…。
タミヤから、
19804208-000 TG10-Mk.2SG用ウェーブワッシャー×1
(5mmと7mmがセットになって1個になっている。写真で「個数2」になっているのは、予備品としてもう1個買ったため)
写真は撮影していないが、
17684378-000 FS18SR/12SWG リヤアダプターガスケット×1
17684136-000 FS-12SW,18S リヤアダプタ取付ネジ(4)×1
17684380-000 FS-12SWG リヤアダプター×1
の合計4点を入手した。

↑これだけ揃えて、使用部品はわずか2つ…。
小川精機製MAX-12TG-Xの補修用パーツから、
21411400 スターティングシャフト×1
73008000 N1リコイルスタータ一式×1
その他、パイロットシャフト、フライホイール、クラッチ、クラッチベルについては、TG10-Mk.1用のパーツをそのまま使う。
※検証したところ、MAX-12TG-Xのリヤアダプターは、FS-12FXには大きすぎて使えなかった。このことから、リヤアダプター、ガスケット、スクリューはタミヤのFS-12SWG用を使う。

レインボープロダクツ製アルミストッパー内径7mm×1(1パッケージ2個入り)

FS-12FXの小改造に伴う、唯一の懸念部分がココ。コンロッド大端部と、クランクシャフトの連結部分。スターティングシャフトと接触するピンが別パーツ化されている。

ご覧のとおり、クランクシャフトからピンを外すことができる。最高速時(数万回)において、ピンが脱落するとクランクケースの中で大暴れし、エンジンブローの原因になってしまう。アイドリング時でもかなりの回転数なので、簡単な脱落防止策を施しておく。

21411400 スターティングシャフトに写真のようにアルミテープを貼って、ピンの脱落防止策とする。この状態で1.5L近くの走行をやってきて、問題は一度も発生していない。

リヤアダプターにガスケットを装着し、リコイルスタータをエンジンに組み付ける。MAX-12TG-Xの分解説明図を参照すればOK。

アルミストッパーは、段付き加工側をベアリングに向けて取り付ける。次にフライホイールのスリップ防止用として、TG10-Mk.2SG用ウェーブワッシャーを装着する。ウェーブワッシャーは5mmを使用し、7mmは使わない。そしてフライホイール、パイロットシャフト、クラッチ、クラッチベルはこれまでと同様に取り付ける。

シャーシに搭載すれば完成となる。切削を伴う加工は一切していないのに、ピニオンギアとスパーギアの位置はぴったり。走行後は、アルミストッパーのイモネジの緩みを必ずチェックする。イモネジへの緩み止め塗布も効果的。
たぶん何とかなるはず…という勢いだけでやってみたら、見事に完成してしまった。リコイルスターターはポン付け交換ながらも、今のところ破損等のトラブルは一切起きていない。タミヤTG10-Mk.1に搭載できるエンジンは、側方排気、遠心クラッチ、リコイルスタータ仕様に限られている。この組み合わせの12クラスエンジンは姿を消してしまい、FS-12FXが実質最後のエンジンになると思う。今回のチューンは旧型(基礎設計は1990年代)のTG10-Mk.1が、これから先も現役で走り続けられる大きなきっかけになった。
VIA C3のテスト中、ヒートシンクを外そうと固定レバーにマイナスドライバを掛けたら、弾かれてしまい、あろうことかマザーボードを傷つけてしまった。被害はチップ抵抗と積層セラミックチップコンデンサ。両者とも、へそのゴマのような小さな部品で、ハンダ付けしている部分は1mmに満たないという細かさ。このマザーボードは電解コンデンサを全交換しているので、もうどうなろうと知ったことではない。破壊したチップ部品も、壊れたメモリーから移植して復旧することができた。

R100の220抵抗とC115の積層セラミックチップコンデンサが、破壊して復旧した部分。背後にあるのは、間隔1mmのスケール。回路パターンを削らなかったのは奇跡だった。もし削ってしまったら、完全にアウトだった。ただ、高熱でメモリースロットが少々溶けてしまったのと、メモリーの接触がシビアになってしまったのは、この際仕方が無い。発熱の少ないC3に、強烈な圧着力を誇るAthlonXP用のクーラーを使っていたのが失敗だった。軽い力で脱着できるクーラーがどこかにあったし、これを使うしかない。二度と同じ失敗をしないように、心に決めたのだった…。
地震で崩れ落ちた羽田神社の灯篭。

右側と左側の灯篭の瓦礫が、一直線上に並んでいるのが分かる。強い横揺れに見舞われたことを意味する。
首都高は全面閉鎖中。

非常事態だからこそ、現場に出なければならない人たち。どうかご安全に。
さて、地震が発生して仕事は少々混乱したが、何とか区切りを付けて帰宅を決めた。とはいえ、東海道線、京浜東北線は動いていないし、少々のことでは動じないはずの京浜急行本線ですら止まっている状況。それでも帰るとなると、徒歩しかない。品川から地元までの10kmを歩くことになった。普段からチンタラ歩いている人を避けるように足早に歩き回っているため、歩行そのものは問題ない。
首都高は全面通行止めになってしまい、車は全て一般道に押し出された。もともと一般道を使っていた車の列に合流していった結果、車道は完全に機能しなくなり、全く動かなくなっている。車の渋滞よりも、徒歩のほうが早いという逆転現象が発生していた。車の中は暖かいかもしれないが、アイドリングしっ放しはガスを大量に食うし、何より便所の問題が付きまとう。全く動かない車列のドライバーは誰もがうんざりし、連絡がつかないだろうから一刻も早く帰りたいのは一緒。誰もが終わりの見えない我慢を強いられているのに、クラクションを鳴らして煽り散らすバカが目立つ。そういう浅はかな行為に及ぶのは、だいたいミニバンに乗っている連中だ。渋滞の横を徒歩で見続けているこちらとしては、嘲笑うしかない。動きたくても動けないのは誰もが一緒で、渋滞の先頭なんて存在しないのだから。
再び大きな揺れに見舞われたときの危険性は大きいものの、大通りを使うことなくショートカットを繰り返し、地元までの歩行距離をできるだけ短くしていく。今回の歩行帰宅に関し、すぐ近くに住む後輩と一緒だった。一人で黙々と歩くよりも、二人で適当な話をしながら帰るだけで、ずいぶんと気が紛れる。地元に近づくにつれて、気になる情報が入ってきた。「停電らしいです。しかも現在進行形で!」と。自宅は大丈夫かなぁ。
確かに、多摩川の橋から見る街は、普段よりも暗い。新築の高層マンションそのものが真っ黒だから、本格的に停電となっているようだ。信号はところどころ灯を失っていて、機能を果たしていない。街灯も暗いままで、渋滞の車のヘッドライトが街灯代わりだ。地区によって給電状況が異なっているようで、道路を隔てて、停電している地域と給電されて通常通りの地域に分かれていたりする。給電されている地域のコンビニに人が殺到していて、外までレジ待ちの列ができている。ここで補給しておかないと危なそうということで、念のため私と後輩もこの給電されているコンビニに立ち寄ることにした。 商品棚は完全にスッキリ。床に置かれた陳列前の商品を直接手に取っている。最も重要となるであろう水と、士気維持のための甘いものを確保。
コンビニを後にした直後、後輩と別れる。やはり後輩が住む地区は、停電が続いているようだ。自宅が存在する地域に入ると、急に明るくなる。よかった、停電は起きていない。家に戻って、状態を確認。部屋のあちこちに派手に揺れた痕跡はあるが、損傷そのものはなし。
帰宅してから計算したところ、ショートカットが功を奏し、会社から自宅までは9kmジャストだった。時間にして2時間。歩行速度は5km/h程度を上下している感じ。普段からハイペースで歩き回っている結果によるものだろう。一度は徒歩で帰宅することになるだろうと思っていたが、まさか本当に実行することになるとは思っていなかった。ひとまず情報収集だ。今回の災害は、地震による被害よりも、大津波による被害のほうが大きいのではないか。
阪神大震災のころと違って、情報伝達速度は比べ物にならないし、何より私自身が大きな揺れを食らったことが、他人事ではないことを痛感させられる。地震の翌日となる今日、街中を自転車で一通り走ってみた。昨日の地獄のような渋滞は姿を消していて、道路そのものはしっかりと機能していた。大きな揺れに見舞われ、一時的な混乱は見られたものの、既に通常と変わりない状態に戻っていた。
14時46分に発生した、東北地方太平洋沖地震。震源は三陸沖で、マグニチュードは国内観測史上最大となる8.8だそうだ。
15:46 2011/03/13追記→結局9.0までアップ。
この時間といえば、大掛かりな仕事が一段落して、新幹線車内での点検作業がメインとなる時間帯だ。普段であれば15分足らずで終わるし、さっさと終わらせて、お茶でも飲もう(=サボり)かなと考えていたときのこと。
誰か歩いているのかな?それとも空気バネの調整か?まぁいい。柔らかい空気バネに支えられた車体は、人一人が歩き回っていても結構揺れるときがある。ところが、だんだん揺れは強くなっていき…。
後輩「コレって地震ですよねー」
私「っぽいねー。おー揺れとる揺れとる」
ぐごごごごごっ
後輩「何かやばくないですかっ!?」
私「やばいって!車両の外出ろっ!!!」
強烈な揺れのせいで、車両は大時化の海を航行する船の如く、大きく上下にうねっていた。その場にいた誰もが「脱線」の二文字を想像したはずだ。
後輩「すげぇ揺れてるよ!!」
私「いいから下に降りろ!庫の外に逃げろ!!」
総括責任者「庫の外に出て早く!!」
うわぁあぁあああぁああぁあああぁあああぁあ?…右ヨシ、左ヨシ…おああぁあああぁああぁあああ!!!!(こんな緊急事態なのに、線路を横断するときは一端停止して左右確認ヨシ!と指差喚呼する人が多数)
職場は鉄筋フレームで構築された建物なので、強い揺れでフレーム同士が好き勝手に暴れ周り、地震による地響きよりも金属が擦れる非常に大きな音が響き渡った。立って移動するのも困難なほど強烈な横揺れが続き、ようやく収まった。その場にいた誰もが崩れることを予感したのか、建物が無事ということを認識すると、無事だったなぁケガないか?とお互いを称えあう。
引き続き派手な余震で、ビル等の建物はコンニャクのようにプルプルと揺れることを確認。上層階ほど派手に揺れる仕組みが、ひと目で分かった。この地震は一体何だ?と、すぐに情報収集が開始される。東海大地震と思ったが、三陸沖を震源とする地震と判明。緊急災害行動により、一時避難、点呼、損傷状態の確認。被害は決して少なくはないようで、保管棚が崩れたり、一部ガラスが割れたという情報が入った。ようやく仕事が再開できたのは、17時を回っていた。散らかった現場を片付けて、被害状態を記録しておく。
18時ごろは、都心部の鉄道各線はほぼ全滅となっていて、動いている路線はゼロとなっていた。帰宅できなくなった人が多かったものの、それでも何とか帰ろうとする人がいるのもまた事実。私も帰宅組として、さっさと帰ることに。
つづく。