青森県立三沢航空科学館において、HondaJet技術実証機が常設展示されるようになり、これは見に行かなければならんと、青森県三沢市までひとっ飛び。

三沢航空科学館に到着し、すぐにHondajet展示エリアへ。こいつが『空飛ぶシビック』ことHondaJetか。曲線で描かれた独特の鋭さと美しさは、フェラガモのハイヒールからインスピレーションを得ているそうな。
建物そのものは格納庫をベースにしており、空調の効いた空間になっていて、長期的な保管でもコンディションの悪化は心配なさそう。なぜ、HondaJetが三沢市にあるのか。HondaJetの製造元であるホンダエアクラフトカンパニーの社長が、少年時代に青森県で過ごしていた縁があって、寄贈されたそうだ。

HondaJetが眺める先に、飛ぶまでの歴史を記した多数の展示パネルがある。ぜったい、アレがあるだろう…アレが…と探してみると、やはりあった。

2000年代の開発中、ほぼリアルタイムで「ホンダはワケの分からんことやってるぜ」と周囲から冷めた目で見られていたことを何かで知った。このネタを記したパネルは絶対にあるだろうと思ったら、やはりあった。
ちょっとした余談として、第二次世界大戦後、日本が航空機の開発、研究を禁じられた背景には「日本に飛行機をやらせると、また性能のいい機体が用意されてこちら(連合国)が困る。そうならないように徹底的に潰せ」なんて理由があるとかないとか。
本田宗一郎は飛行機に憧れを抱き、エアショーを見にいくほど。それくらい、空の世界に夢を持っていた。ホンダは飛行機の研究開発を行っていたが、既に引退していた当人には完全に極秘とされていた。やっていることを知られれば、復帰を言い出して現場を混乱させられるかもしれない。自分が持っているスキルこそ一番と、現場を困らせたことは過去にもあった。それが社長引退の遠因にもなっているから、同じ歴史を繰り返してはならないという危機感を抱いたのかもしれない。

HondaJet技術実証機だけあって、搭載しているエンジンは量産型のHF120ではなく、HF118となっている。残念ながら(?)HF120及びHF118にはVTECは搭載していない。
HondaがF1エンジンのターボチャージャー開発に手間取り、HondaJetのエンジン開発部門に助けを求めたエピソードは有名だが、逆に考えれば別の部門との交流がないとか、共振という物理的なトラブルを解決できなった点など、『技研』の名が廃れていないか?と思えてくる。手が切り粉で切り傷だらけになり、爪先がオイルで黒ずむことを嫌がるのだろうか。

削り出しで製造された主翼。エンジンが反射して写っており、歪みや塗装の荒れがないことが分かる。

機首下部にあるノーズギア。緩衝機能とステアリング機能だけで、ブレーキ機能はないため、見た目はけっこうシンプル。

主翼から繋がるメインギア。主脚と呼ぶだけあって、太いタイヤになっている。Goodyearのタイヤを使っている。

メインギアの裏側。ホイール部分を覆っているのはブレーキ。太いダンパーからヒンジを介して車輪がつけられており、艦載機に見られるようなトレーリングアーム方式を採用。部品点数が増えて構造が複雑になりやすいトレーリングアームを使っている理由は「地上走行時の乗り心地を重視したため」。こういったところが、やはりシビック、いやホンダ。

アビオニクスはガーミンがベース。デモ画面は三沢空港を周回飛行している状態となっていた。コックピット上の表示についても非常にシンプルかつ分かりやすくなっていて、ちょっと航空系をカジっている人ならば、システムをだいたい把握できるレベルになっている。
その場に居合わせた案内担当者からは「詳しそうだねぇ、HondaJet買うのかい?」なんて言われたが、金がいくらでもあるなら免許を取って飛ばしたい。購入費用と年間維持費用も聞いたが、とりあえず毎年億単位の金が掛かる、とてつもない『シビック』だ。
HondaJetに限らず、三沢航空科学館は見どころが多かった。残念だったのは、YS-11がコロナ禍の影響で機内見学ができなくなっており、こちらはコロナ禍が落ち着いてからの宿題。もう一つ、DC-9のコックピットも見忘れていたことに気づく。近いうちに再訪問することにして、帰路についた。一日お疲れさまでした。>参加者