古いG-SHOCKの電池交換

「バックライトを点灯させると、文字が暗くなってしまうんです」と持ち込まれたカシオのG-SHOCK、DW-9000/1627。中学時代から使っているもので、仕事の絡みもあって現役に復帰させて、再び使いたいそうだ。

古いG-SHOCKにおいて、最も厄介な現象(持病)が、加水分解だ。耐衝撃構造のケースはウレタン樹脂を使っており、経年で白化とベタつきから始まり、最終的にはケースに掛かる自身の重さにさえ耐えられなくなり、バラバラに砕けてしまう弱点を抱えている。欠陥や不具合ではなく、ウレタン樹脂の特性であるため、基本的には加水分解を止める手段はなく、一度崩壊が始まれば直すことは不可能。加水分解の数少ない対策は、放置せずに装着して適度なストレスを与える、使用後はキレイにして完全に乾かす、保管するにしても高温多湿や直射日光を防ぐ…といったところ。

まずは外装の点検から。加水分解を予感させる変色やヒビ割れはなく、状態は極めて良好。20年以上の年数が経過していながら、長年の使用による汚れ以外の異常が見当たらず、奇跡的なコンディションを保っている。

ケースとムーブメントを分離

ケースとムーブメントを慎重に分離し、汚れが蓄積しているケースとバンドはブラシ類を使って、丁寧に洗浄する。ムーブメント内の電池を交換して…。

電池を交換したらACリセット

新しい電池をセットしても、液晶部分には何も表示されないまま。デジタル時計のムーブメント上にはAC(All Clearの略か?)と表記された端子があり、電池のプラス極をピンセットでショートすることで、内部回路をリセット(再起動)させて、時刻表示を復帰させる必要がある。「新電池装着にて又入れ、ケ良」。

パッキンに専用シリコングリスを塗布

いきなりケースを閉じるのではなく、パッキンが入る溝は全てのホコリや小さな異物を摘み出し、入念に清掃しておく。防水パッキンについても、時計専用のシリコングリスを塗布しておく。パッキンは劣化で痩せてしまい、防水機能が低下したままなので、シリコングリスで少しでも防水性を確保。DW-9000系はパッキンの向きがあるので、ここを間違えると大変なことになる。

『100円ショップで売られているコイン電池を買って、DIYで時計を直しました』系の記事では、殆どがパッキンへのシリコングリスを塗布したかどうかの記載がない。ただ単にアップしていないのではなく、シリコングリスの重要性を知らないのかもしれない。そういった安易な修理記事が検索エンジン上では上位になっているのも、けっこう怖いところ。

ムーブメントをケース内に組み立てて、返却準備よし

洗浄を終えたケースにムーブメントをセットし、バンド類を装着して元通りに組み立てていく。全てのボタンを押して、異常なく操作できるか、電子音が正しく鳴るかチェックして、返却準備よし。お待たせしました。

コンディションは良好なので、ガンガン使ってあげることが、劣化を遅らせる唯一の手段。古い時計であることは間違いないので、機械式時計と変わらぬ緊張感を味わったが、これもまたいい経験になった。

インストゥルメンタルの原点

ドライブ中、車内で聞く音楽は99%がインストゥルメンタルだ。歌詞がないことから、曲の隅でひっそりと使われている楽器に耳を傾けたりする等、音の表現方法や演奏そのものを楽しむことができる。歌詞があると、そちらのほうに意識が集中しがちで、どうしても『音を楽しむ』ことは二の次になってしまう。

インストゥルメンタル好きになった原点が、TETSUYA "TK" KOMUROのSPEED TK RE-MIX~炎のコマ。テクノとトランスをベースとしながらも、それらのジャンル特有のハイペース過ぎるテンポではなく、ゆったりと伸びのあるクラシックのような印象が見え隠れする。初めて聞いたとき、こんな凄い音楽が世の中にあるのかと衝撃を覚えたほど。

当時、小室哲哉氏のファンだった知人からCDを借りて、MDにコピーして何度も聴いていた。同時にMP3へのコンバートも行っていたが、この時代のMP3は音質よりも容量優先だったので、オリジナルには程遠い音質にショックを受けた。MDの役目が終わって聴けなくなり、MP3としての音楽データも消失。CDも廃盤になっていて、中古市場でもなかなか見当たらず…。

SPEED TK RE-MIX~炎のコマ

…と思ったら、意外なところで発見、即購入。15年以上経過して、久しぶりに聞くTKサウンドの感動を再び味わうことになった。昔と違って、聴覚の好みが変わっていることが分かり、高音側の広がりが心地よく感じられた。かといって、低音側の力強さは快適で、相変わらずテンポはぴったり、溜めて溜めて溜め込んでからドンと盛り上がる表現方法は聞いていてやはり面白い。加齢や耳の感触が変わったときでも、変わらずに音楽を味わえるのが、小室哲哉氏の曲の特徴ではないだろうか。

何も考えずに曲を圧縮してしまうと、音の伸びが消されてしまう。ナビやiPod内にコピーするとなれば、扱いがけっこう難しくなるはず。

思ひ出の419系とか

青春18きっぷで旅行していた昔のこと。旅の定例パターンは、まずは北陸線に向かうことで、そこで活躍していた普通電車は『食パン』こと419系だった。

419系

これが419系。写真はWIKIMEDIA COMMONSのJNR 419 series EMU 016.jpgより引用。

寝台特急電車の583系を改造したもので、1両あたり片側一箇所しかなかった乗降扉は、車体に穴を開けて乗降扉を増設、加速と減速が有利になるよう、他車種の駆動ギアを流用してギア比を下げ(但し最高速度は犠牲に)、短編成化に伴い足りなくなる運転台は、車体を切断して運転台を装着(写真右側の車体が増設運転台仕様)…という、 大改造を経ている。改造ベース前の特急電車時代よりも、改造後のほうが長く活躍していたほど。奇妙な見た目で、乗ってみると特急電車っぽい座り心地だけど何かが違うという、印象に残りやすい車両だった。

鉄道模型界では、419系が今年5月にTOMYTECの鉄道コレクションの一つとして発売され、それ以前にもマイクロエースからも発売されていた。実車の雰囲気を思い出すなら、高価なマイクロエースの製品ではなく、鉄道コレクションで事足りる。というわけで、数年ぶりの模型の購入となった。

鉄道コレクションの419系

この419系の模型を見るとよく思い出すのが、古くからの鉄道模型を知っている人ならご存知、東京堂モデルカンパニーという(伝説の)鉄道模型会社。TEXTブランドで419系が発売されると発表されたのが、2001年のこと。青春18きっぷの旅行で、419系の実車をたっぷり堪能したものだから、当然鉄道模型でも味わいたくなるもの。3両編成なので、小規模なレイアウトでの取り回しがよくて扱いやすいとなれば、これは買わなければ…と思っていた。

しかし、繰り返し繰り返し、発売は延期された。公式Webサイトでの延期の謝罪や、まともな説明は無く、2ちゃんねるのスレッドでもだいぶ盛り上がりを見せていた。当時は会社の公式WebサイトにBBSがあるのが普通で、説明を求めに突撃していた人も少なくはない。結局、発売されたのは2004年から2005年あたり。散々待たされて、やっと出てきたと思ったら難点が多くて、ロクでもない製品、買うほどのものではなかったというオチ。今考えるとTEXTブランドの419系の期待は、熱狂の渦そのもので、ある意味では楽しんでいた過去の一つ。

ゆくゆくはパンタや連結器を交換して、最低限のディテールアップは行っておきたいところだ。

ショット数

職場のカメラ部の人たちと会話していて、カメラのショット数の話題に上がり、そういえばEOS 60Dのカメラのショット数は見たことがなかった。さっそく、調べていく。

ファームウェアのアップデート

インフォメーションソフトを立ち上げてみたところ、新しいファームウェアの存在に気づき、まずはアップデートを終わらせておく。パソコンのBIOS(UEFI)を書き換えるときも言えるが、ファームウェアの更新はどういう規模であれ、独特の緊張感を覚える。あらゆるトラブルを回避するため本体に触ったり、振動を与えるようなことも避けるため、画面をじっと見つめたまま身を動かすことなく、待機が続く。

無事にアップデートが終わって、改めてインフォメーションソフトを立ち上げて、ショット数をチェックする。

60Dのショット数は14,333回

なるほど、今日現在のショット数は14,333回。この60Dは私で三人目なので、あまり使っていなくても五桁のショット数になるのは仕方ない。

では次に、レポート作成やblogの写真撮影用に使っている、リコーCX6はどうか。

CX6のショット数は1,666回

入手した時点でショット数は700回程度だったので、手元に来てから900枚は撮っていることになる。耐久回数は分からないが、定期的にチェックしていくことは悪くなさそう。

コンデジは使う機会が極めて多く、消耗品であることを実感している。というのも、先代のCX4は撮影し過ぎてレンズのメカが崩壊、CX4の前に使っていたCX3は使用し過ぎて内部キャパシタが損傷、CX3の前に使っていたR10はシャッターボタンを酷使し過ぎて動かなくなった。全て使い込んで壊したので、ある意味では満足のいく結末で惜しくはなかった。R10から数えれば総撮影枚数は8,000枚に達するはずで、これだけ撮影を繰り返せば「お前のマクロ写真は独特の味がある」と言われるくらいにはなる。

だから頻繁に、無断転載されるらしい。一言くらい謝罪があってもいいのでは?

分解調査 鉄道時計編

不調で預かっているセイコーの鉄道時計を実際に分解し、どこに不調の原因があるのか診断していく。セイコーの『61スカイライナー』はいつか入手したいと思っているところに、今回の鉄道時計を預かった。鉄道時計と61スカイライナーは同系列にあたるムーブメントなので、オーバーホールの習得を兼ねることになった。

風防を開け、針を抜く

まずは風防を開けて、針を抜く。圧入状況が全く予想できず、変に力を入れて曲げてしまわないよう、慎重な作業となる。針や文字板は時計の顔であり表情であり、僅かな損傷でも非常に目立つので、この工程を終えたら一休みを入れるほどだ。

いきなり文字板が外れる

一休みを終えたら、ケースからムーブメントを取り出すために、時計本体を持ち上げた。するとカラカラと音がして、文字板が脱落しかけてヒヤッとさせられる。原因は、文字板裏側にあるピン(干支足)を締め付けるネジが緩んでいたことによるもの。これで今までよく足が折れなかったな…と思うのと同時に、ネジの緩みはあちこちから散見されることになった。

文字板を外したところ

文字板が外れたことで、ケースからムーブメント本体を取り出すことができた。ツツ車(時針用の歯車で、12時間で1周する)は文字板の間に挟まれたスプリングワッシャーで押さえてあり、このまま裏返すと脱落する。ツツ車を抜き、オシドリやカンヌキも順番に外して、文字板側の分解を進めておく。

輪列受けのチェック

今度は輪列側だ。輪列受けを外し、ダイヤフィックスと名づけられた耐震機構の状況をチェックしていく。分解と組み立てが地味に厄介という事前情報から、現物を見て納得。ルーペでのチェックでは異物は見当たらなかったので、非分解によるベンジン洗浄に留めておく。

テンプ一式まで分解

分解作業はあっという間に進み、残るはテンプ一式となった。ここでもう一度休憩を入れて、手先と目をしっかり休ませてから作業を再開する。慎重にテンプを持ち上げて、ムーブメントから外していく。

テンプを外してアンクルをチェック

残るはアンクルだけとなった。ここまでくれば、分解作業は一区切りとなる。外した歯車を一つひとつチェックしていくと、長い間に渡って油切れのまま動作していたような痕跡がいくつも見つかり、これでは正しい運針には程遠く、遅れがちになってしまう。今のところ、落下による損傷らしい異常は見当たらず、この点では一安心か。

ここから折り返して、いきなり注油しながら組み立てるのではなく、長期間の運用に耐えることを期待して、薬剤の塗布…エピラム処理を行ってみることになった。購入するとなれば凄まじい値段のようだが、材料を揃えれば自前でも調合できてしまうらしい。レシピは簡単に見つかるので、それらを参考にして準備していく。

外した文字板はカメラのレンズケースに保管

とても大きな文字板は、部品ケース内に収まらないので、カメラのレンズケース内で保管しておく。ちょうど発泡ウレタンのシートが敷いてあり、文字板の足の保護も兼ねることができる。

腕時計の初めてのオーバーホールは、セイコー5(Cal.7S26)だった。その経験をしっかり覚えていたようで、今回の分解作業そのものはとても順調に進み、古いムーブメントでもセイコーはセイコー、Cal.7S26にどこか似たような印象を抱いていた。必要な材料が揃うまでは作業中断。焦って作業を再開しても、いい結果には至らない。腰を据えて、準備を積み重ねていくことになった。

ナビのバージョンアップ一回目

先月末、パイオニアからナビの最新データがダウンロードできるという案内メールが届いた。回線の混雑が最も少ない午前4時前にデータ(9GB)をダウンロードしておき、ナビの更新作業を行った。

SDカードスロットのカバー

内部データのアップデートは、SDカードを使うことになり、画面裏側のSDカードスロットにセットする。穴の開いた保護カバーがあって、いかにも外してくれといわんばかりのデザイン。説明書には「必要時のみ開けること」となっている。

何が入っているのか、見えないものを見たくなるのが男の性だ。保護カバーを開けてみると。

カバーを開けると、もう一つのSDカードがある

もう一つのSDカードがセットされていた。マップデータを収めたメディアはCD-ROMからDVD-ROM、ハードディスクときて、今は内蔵メモリが主流なのだろうと思っていたら、実態はSDカードなのかもしれない。

それにしても、メディアスロットを一見では分かりにくくしてあるデザインは、昔のノートパソコンみたい。隠しPCカードスロットが本体内部にあって、分解するとアクセスできるという機種(DIGITAL HiNote Ultra 2000 GTX5266M)がいい例だ。

32GBのSDカード

ナビが動作しているときに内蔵用SDカードは取り外せないので、エンジンを切ってSDカードを取り出してみる。32GBのSDHCカードだった。トラブルは避けたいのでこれ以上は余計なことはやらず、SDカードを再セットしてエンジンを始動。何事もなくナビが起動した。

アップデートに45分

さっそく最新データのアップデートだ。いきなり45分掛かると表示され、とにかく時間が掛かるという噂どおり。実際は、最初に内部OSのアップデートに15分程度要し、そこからマップデータの更新で40分近く掛かった。合計一時間コースとなって、45分という時間は、説明書にも記載があるとおり目安でしかない。1時間以上の猶予を確保しておいて正解だった。

最新バージョンの公開タイミングが極めて悪く、6月2日…昨日は東京外環道の三郷南ICから高谷間JCT間が開通した。常磐道や東北道から都心に向かう際、道路事情によっては新規開通区間を使い、大きく迂回するコースが考えられる。スムーズな案内のためには、次のデータ更新まで待たなければならない。次の更新は、いつになるだろう。

スマホ経由での更新(差分アップデート)は、公式アプリが意外と使いにくいらしく、そうなると今回のようなパソコン経由での全データ更新しかない。実車で一時間、パソコン側での準備…圧縮ファイルの解凍とSDカードへのコピーもまた、かなりの時間が掛かる。アップデートが終了して更新できないよりは、はるかにマシだ。

六十里越を走り直す

学生時代はサイクリング部だった。夏の合宿は、上越新幹線の浦佐駅からR252の六十里越を経由し、福島県南会津郡に入って一泊。そして東北新幹線の新白河駅に至るのが、定例コースだった。峠道が中心の全長200km近い距離を自転車で走り抜け、しかも六十里越という名前も関係して、今なお印象が強く残っている。入社してきた後輩もサイクリング部で、やはり六十里越は別格の思い出となっていることから、記憶に深く刻まれるコースになっているらしい。

汗水をこれでもかと流し、いつまでも頂上に達する気配のない上り坂に絶望しながら、苦痛に喘いだR252の六十里越。今回は自転車ではなく車で走ってみて、どんなコースだったか思い出してみることにした。

浦佐駅の駐車場、スタート地点

自宅から浦佐駅までは、新幹線にて輪行で移動。駅前でせっせと組み立てて、出発となる。今回のドライブにおいても一旦浦佐駅に立ち寄り、補給を行ってからスタートした。

R17からR252へスイッチ

しばらくR17を走り、いよいよR252へスイッチする。緩い上り坂が続き、少しだけ下り坂となったら、再び緩い上り坂がダラダラ続いていたことを思い出す。ここで体力を消耗してしまい、後の峠越えで苦労していた。

只見まで42kmの看板

只見まで42km。住宅が減って、勾配が強くなってくると、本格的な峠越えがスタートする。峠越えに挑むサイクリストを見かけることができた。

スノーシェッドがたくさん出てくる

いくつものスノーシェッドをくぐっていく。自転車で峠越えに挑んでいた当時、途中で水を飲みきってしまい、スノーシェッドの工事現場で水を分けてもらったこともあった。

補給地点だった大白川駅

小休止と補給地点だった大白川駅。「どうしようもなくなったら只見線に乗れ!」が合言葉だったが、列車の運転本数はとても少なく、乗れるわけがない!とツッコミを入れるのがお約束。

あっという間に六十里越トンネル

右に左に、九十九折れの急カーブを走っていたら、あっという間に六十里越トンネルに到着。自転車だとあれほど苦労させられた上り坂も、自動車では一時間も掛からないで到着してしまった。つらーいつらーい、とても長く感じたコースは思い出補正だったのか。いや、内燃機関の凄まじさの恩恵によるもので、自転車なら間違いなく長くて苦痛のコースだ。

六十里越隧道

小休止したら、六十里越トンネルを抜けてダウンヒルだ。

長いスノーシェッドを見る

六十里越トンネルを抜ければ、スノーシェッド内では長い下り坂が続く。駐車スペースがあったので、走ってきたR252と記憶を蘇らせていく。途中で再び上り坂が始まるが、先ほどまでの登坂に比べれば短いもので、苦労した記憶は全く無いことから、何事もなく通過していたらしい。

滝状態になっている雪解け水

雪がたっぷり残る

雪解け水による滝で、スノーシェッド内は水浸し。この時期になっても、雪はけっこう残っている。

危険地帯だった白沢トンネル入口

田子倉ダムに向かう下り坂において、白沢トンネルが最も危険とされていた。内部には照明がなく、しかも左にカーブしている。かつて、このトンネルを無灯火で突入した部員が路面の状況を把握できず、かなりの速度でトンネル内の壁に衝突。自転車は大破して千切れた鉄パイプの残骸と化し、相応のケガを負うという事故があった。以後、ヘッドライトの装着が絶対条件となり、明るさを求めて、複数のライトをセッティングする部員もいた。

白沢トンネル内部、照明がない

その白沢トンネル内部のカーブ。しっかりとヘッドライトを使わないと、車でも恐怖感を覚えるカーブだ。

あっという間に峠越え

田子倉ダムからのダウンヒルは、すぐに終わってしまった。上りで苦労した分、下りは一瞬だ。とはいえ、その一瞬の爽快感を求めるのが、自転車での峠越えの楽しさ。再び自転車で走破するにしても、まずは走り込んでトレーニングを行わないと、現状では絶対に無理。

只見駅前交差点

只見駅前の交差点に到着。当時の合宿では直進したが、今回のドライブでは右折してR289に入って、帰宅コースを取る。ここで一旦、六十里越の思い出しドライブを終える。小休止のために、只見駅に立ち寄る。

只見線のキハ40

R252内では、只見線の線路に向かって、カメラを構えている鉄道ファンを何人も見かけた。狙っていた列車は、どうもこのキハ40系らしい。ちょうど只見駅の出発シーンを見ることができて、運が良かった。それにしても、キハ40系は本当に久しぶりに見た。補給を済ませたらR289を経由して、宇都宮方面へ進路を取り、帰宅開始。

GPSロガーによる記録

これまでの走行歴から、R352/r50(シルバーライン)のログデータは溜まっているが、今回の六十里越思い出しドライブで、ようやくR252のデータも採取することができた。一泊二日を要した自転車での走破が、今ではドライブでの日帰りルートになったことは、なんとも不思議な感覚で、普段のドライブとは一味違ったものとなった。総走行距離は633km。

初夏の北風

昨日の雨で今朝は気温が低下し、ついでに北風が少々強めに吹いていた。家を出ると涼しいを通り越して、少し寒い。こんな日の自転車通勤は完全に向かい風なので、少々苦労させられる。それでも、ペダリングで熱くなった体がすぐに冷えてくれることから、決して悪いものではない。

水無月の空

上空は雨と北風で洗浄されたようで、雲がとても高いところを流れていた。

夏のシーズンの中で、印象的な雲を見れるチャンスはそう多くはない。よくよく考えてみると、この先の人生において、夏を味わえる回数は限られてくる。日本人男性の平均寿命から、現在の年齢を引いた数値が、今後の夏が来る回数ということ。しかも、いつ死ぬか分からないことから、実は最後の夏になるかもしれないと思うと、けっこう怖いものがある。無事に生存できたとしても、同じ夏は二度と来ないとなれば、今ある時間はとても貴重ということ。

流れていく雲を眺めて、そんなことを思いつつ。カラカラに乾いた暑さで、気持ちのいい6月初日。