学生時代はサイクリング部だった。夏の合宿は、上越新幹線の浦佐駅からR252の六十里越を経由し、福島県南会津郡に入って一泊。そして東北新幹線の新白河駅に至るのが、定例コースだった。峠道が中心の全長200km近い距離を自転車で走り抜け、しかも六十里越という名前も関係して、今なお印象が強く残っている。入社してきた後輩もサイクリング部で、やはり六十里越は別格の思い出となっていることから、記憶に深く刻まれるコースになっているらしい。
汗水をこれでもかと流し、いつまでも頂上に達する気配のない上り坂に絶望しながら、苦痛に喘いだR252の六十里越。今回は自転車ではなく車で走ってみて、どんなコースだったか思い出してみることにした。

自宅から浦佐駅までは、新幹線にて輪行で移動。駅前でせっせと組み立てて、出発となる。今回のドライブにおいても一旦浦佐駅に立ち寄り、補給を行ってからスタートした。

しばらくR17を走り、いよいよR252へスイッチする。緩い上り坂が続き、少しだけ下り坂となったら、再び緩い上り坂がダラダラ続いていたことを思い出す。ここで体力を消耗してしまい、後の峠越えで苦労していた。

只見まで42km。住宅が減って、勾配が強くなってくると、本格的な峠越えがスタートする。峠越えに挑むサイクリストを見かけることができた。

いくつものスノーシェッドをくぐっていく。自転車で峠越えに挑んでいた当時、途中で水を飲みきってしまい、スノーシェッドの工事現場で水を分けてもらったこともあった。

小休止と補給地点だった大白川駅。「どうしようもなくなったら只見線に乗れ!」が合言葉だったが、列車の運転本数はとても少なく、乗れるわけがない!とツッコミを入れるのがお約束。

右に左に、九十九折れの急カーブを走っていたら、あっという間に六十里越トンネルに到着。自転車だとあれほど苦労させられた上り坂も、自動車では一時間も掛からないで到着してしまった。つらーいつらーい、とても長く感じたコースは思い出補正だったのか。いや、内燃機関の凄まじさの恩恵によるもので、自転車なら間違いなく長くて苦痛のコースだ。

小休止したら、六十里越トンネルを抜けてダウンヒルだ。

六十里越トンネルを抜ければ、スノーシェッド内では長い下り坂が続く。駐車スペースがあったので、走ってきたR252と記憶を蘇らせていく。途中で再び上り坂が始まるが、先ほどまでの登坂に比べれば短いもので、苦労した記憶は全く無いことから、何事もなく通過していたらしい。


雪解け水による滝で、スノーシェッド内は水浸し。この時期になっても、雪はけっこう残っている。

田子倉ダムに向かう下り坂において、白沢トンネルが最も危険とされていた。内部には照明がなく、しかも左にカーブしている。かつて、このトンネルを無灯火で突入した部員が路面の状況を把握できず、かなりの速度でトンネル内の壁に衝突。自転車は大破して千切れた鉄パイプの残骸と化し、相応のケガを負うという事故があった。以後、ヘッドライトの装着が絶対条件となり、明るさを求めて、複数のライトをセッティングする部員もいた。

その白沢トンネル内部のカーブ。しっかりとヘッドライトを使わないと、車でも恐怖感を覚えるカーブだ。

田子倉ダムからのダウンヒルは、すぐに終わってしまった。上りで苦労した分、下りは一瞬だ。とはいえ、その一瞬の爽快感を求めるのが、自転車での峠越えの楽しさ。再び自転車で走破するにしても、まずは走り込んでトレーニングを行わないと、現状では絶対に無理。

只見駅前の交差点に到着。当時の合宿では直進したが、今回のドライブでは右折してR289に入って、帰宅コースを取る。ここで一旦、六十里越の思い出しドライブを終える。小休止のために、只見駅に立ち寄る。

R252内では、只見線の線路に向かって、カメラを構えている鉄道ファンを何人も見かけた。狙っていた列車は、どうもこのキハ40系らしい。ちょうど只見駅の出発シーンを見ることができて、運が良かった。それにしても、キハ40系は本当に久しぶりに見た。補給を済ませたらR289を経由して、宇都宮方面へ進路を取り、帰宅開始。

これまでの走行歴から、R352/r50(シルバーライン)のログデータは溜まっているが、今回の六十里越思い出しドライブで、ようやくR252のデータも採取することができた。一泊二日を要した自転車での走破が、今ではドライブでの日帰りルートになったことは、なんとも不思議な感覚で、普段のドライブとは一味違ったものとなった。総走行距離は633km。