宇宙の出島

石川県にあるコスモアイル羽咋は、アポロ月着陸船や探査機を展示している博物館とのことだ。アポロ計画ファンとしては行っておかなければならず、ついでに片道500km程度なら日帰り圏内なので、さっそく行くことにする。

まずは公式Webサイトを読んでおき、展示品等をしっかり調べておく。なぜ羽咋市に宇宙関連の博物館ができたのかといったことも併せて。「香港もイギリスに100年借りられてたのだから、月面・火星探査機や月の石を100年貸してよ」という逸話がある。

コスモアイル羽咋のアクセス情報

能登半島の付け根に当たる部分に、コスモアイル羽咋がある。公式Webサイトのアクセス情報では、東京から7時間となっている。目安タイムとして参考にしておき、では実走するとどうなったか。

東京から本当に7時間を要する

本当に7時間を要した。トイレ休憩を含むが、できる限り走っているよう心掛けてこの結果。正直なところ、東京から青森へ行くより精神的疲労は激しい。

マーキュリーレッドストーンロケット

コスモアイル羽咋に到着すると、真っ先に視界に入るのがマーキュリーレッドストーンロケット。弾道飛行用ロケットとはいえ、元を辿れば弾道ミサイルであり、妙な迫力がある。胴体がマグネシウム合金なので錆知らず、野外展示に耐え続けている。

マーキュリー宇宙船

マーキュリーレッドストーンロケットの先端に装着され、宇宙へ飛んだのがこのマーキュリー宇宙船。

マーキュリー宇宙船内部の様子

中を覗く。「マーキュリーは宇宙船に『乗る』のではなく『着る』」という表現があったそうだが、中を見て納得。多数のスイッチ類に囲まれ、身動きできる空間は殆ど無し。無重量状態なら上下の区別は無くなるが、それでも狭いだろう。

宇宙飛行士がいて、自らの手で操縦してこそ!というアメリカに対し、宇宙開発競争の相手だった旧ソ連はどうだったか。

ボストーク宇宙船

こちらは旧ソ連が打ち上げたボストーク宇宙船。実際に打ち上げられ宇宙を飛び、大気圏再突入を経た実機とされる。裏話的なものとしては、共通設計だった無人偵察衛星を転用し、有人宇宙船として仕上げているそうだ。

ボストーク宇宙船内部

ボストーク宇宙船の内部。マーキュリー宇宙船に対し、ボストーク宇宙船は計器盤らしいものは極僅か。人間である以上、宇宙空間で操縦ミスをさせるわけにはいかぬ!と、コントロールは地上側から行われていたことが背景にある。アメリカの宇宙飛行士がソ連の宇宙船を見て「何もないではないか」と驚いたとか。

アポロ司令船

アポロ司令船。長野県原村に展示されているものとは異なり、船内には入れない。モックアップだが、船体表面に張られている銀色のフィルムは本物だとか。手垢でベトベトだったが。

背後には巨大なオメガスピードマスターが展示されている。

オメガスピードマスターも展示

そのスピードマスター、月へ持って行ったことを展示していた。文字板を詳細に見れば、製造世代がある程度掴める。ガラスケースと照明のバランスが悪く、うまく撮影できなかった。

アポロ月着陸船

今回のドライブ目的は、このアポロ月着陸船。サイズ感が知りたく、ここまで走ってきたようなもの。当然モックアップだが、金色や銀色に光る断熱シートは本物らしい。猫背でちょいと疲れた様子の宇宙飛行士のおかげで、月着陸船の大きさが掴みやすい。

鳥山明氏がデザインしたような宇宙船で、見た目は完全に虫。完全に空気が無いところを飛ぶため、このような形状になった。船体の殆どが燃料タンクで占められており、軽量化のために宇宙と船内の隔壁はアルミホイル一枚に満たない部分もあったとか。後期型の船体では、発電用原子炉や月面車が装着され、さらに賑やかになる。

上昇段を間近に

月面から月着陸船を見上げると、こういう感じで見えるのかもしれない。

月面用宇宙服

月面用の宇宙服。常に飛び交っている微小隕石、強力な宇宙放射線、直撃する太陽熱や光から身を守るため、これだけ分厚くなってしまう。ここでもオメガスピードマスターが展示されていて、左腕に巻かれている。

アポロ船内用のツナギ

アポロ船内で着るツナギ。薄い服であることが一目で分かる。事故を起こしたアポロ13号では、節電のために暖房機能が停止させられた。水滴が凍り付くほど寒くなった船内で、この薄手の服で過ごすことになった。これは寒いぞ。

ボイジャー惑星探査機

天井にはアメリカのボイジャー惑星探査機(モックアップ)と旧ソ連のモルニア通信衛星(実機)がぶら下げられていた。

ボイジャー惑星探査機は1977年の打ち上げで、現役で稼働して観測を続けている。現在も通信が確立して日々の観測データ等を送受信しているが、その通信速度は160bps(=20バイト/秒)。ボイジャーへ信号を送って、その返答が来るまで一日半掛かる。

決して大きくはない館内だが、展示物はけっこう濃い。ただ、宇宙をイメージしたのか照明は殆どなく、写真撮影は基本的に不向き。眺めて記憶していくという、本来の博物館見学スタイルが強いられる。

EK9と並べて撮影

野外のマーキュリーレッドストーンロケット前はロータリーになっていて、係員に尋ねてみると「車、入れますよ」とのことだ。というわけで、シビックRとロケットを並べて撮ってみる。

往路に7時間を要していた。復路では渋滞を考慮してより時間が掛かることになるので、早くも出発時間となる。片道500kmならまた訪れることができる場所だ。十分に日帰り圏内なので、また訪れればいい。

GPSロガー

復路では、糸魚川市から下道で南下するコースを採った。R148は何度も経由した道で、走り慣れたコースのほうが精神的にラク。総走行距離は1,000km。

コスモアイルは「宇宙の出島」という意味があるそうな。

大和とあきしお

番堂原第4踏切で貨物列車を見届けたら、次は呉市にある大和ミュージアムと海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)へ向かう。

原爆ドームを中心として見れば、市街地は平地ながら山に囲まれた地形となっており、しかも短距離でけっこうな角度の坂が続く。昨晩、やたらと暗い中を走り続けることになったが、市街地の光が周囲の山に遮られていたことで、より暗い環境になっていた。ネオンが発達した現代でこの暗さなら、戦時中の夜はもっと暗かった。そこに空襲で攻めてくるのだから、全く想像できない恐怖があっただろう。なにより安心して寝ていられないのが辛い。

ゆめタウン呉の駐車場の背後には、ゆうしお型潜水艦の『あきしお』(SS-579)がいて、ここではこれが日常の風景。自分の車と潜水艦のリアセクションを同時に撮影できる、唯一の場所だったりする。もちろんスクリューは偽物で、外板部分のあちこちにも防諜のために加工が施され、作り替えられている。

大和ミュージアム、海上自衛隊呉史料館と続けて見学したが、撮影は殆ど行わなかった。時間に余裕がなくて、まずは見ることに集中していたこと、特攻で人が死んでいるという重さゆえにわちゃわちゃする場所ではなかったこと。潜水艦内部も見学できるが、あの特有の狭さは写真では絶対に分からず、身をもって体感していたほうが良かったこと。潜水艦内部に関しては、防諜の観点からも撮影しようとは思わなかったが。

大和波止場から内陸を望む

近くには大和波止場があり、戦艦大和の実寸サイズを再現したパネルが設置されている。大量輸送を担う商船とは異なり、それだけで戦艦一隻分の重量を誇る主砲を複数搭載し、さらに高速航行せねばならない性質から、船首部分は大きく湾曲した船体になっていることが実感できるようになっている。緑地帯には大和の錨が置かれ、その奥には海上自衛隊の活動を伝える任務に就くあきしおが見える。

海上自衛隊油船25号型

ちょうど海上自衛隊油船25号型(YO27)が出港した。

計画されていた予定は全てクリア。都心に向かって帰宅を開始。総走行距離は1,800km、全線でエアコンを使いながら平均燃費は17km/Lと極めて好成績。弾丸ドライブ、大変おつかれさまでした。>S15オーナー

セノハチ番堂原第4踏切へ行く

ホテルで夜を明かして、朝は鉄分補給。近くに山陽本線八本松駅と瀬野駅間の『セノハチ』があり、どういう区間か見に行くことにした。

山陽本線の八本松駅から瀬野駅は、鉄道路線における難所の一つ。瀬野駅から八本松駅に向かっては、最大22.6‰(パーミル)の急勾配区間があり、貨物列車はその編成重量から先頭の機関車だけでは登れない。そこで貨物列車のケツに、「補機」なる別の機関車を連結。先頭で引っ張るだけでなくケツからも後押しして、山越えを毎日行っている。

この難所を攻める貨物列車を眺めようと、番堂原第4踏切へ向かう。八本松駅を基点とすると、国道2号から並行する県道46号に入り、瀬野川沿いの小道に入ったところにある水神社を第一目標とする。水神社を左手に見ながら西進すると、すぐに番堂原第4踏切に到着する。

Google Mapでの解説リンク

番堂原第4踏切その1

到着。なるほどここが名物ポイントの踏切!と感激し、同時に周辺散策。残暑を意識させられる気候ながら、都心のように蒸し暑くはない。蝉しぐれとトンボが飛び交う自然豊かな場所で、大きなトンボ…ヤンマが当たり前のように飛ぶ。

番堂原第4踏切その2

線路を含めた路面の凹凸はけっこうな具合、車高が低い車だとフロア下を擦るかもしれない。車一台分しかない狭い道ながら、一方通行ではない。しかも生活道路ゆえに地元住民の車が頻繁に往来する。地元の車を最優先して、行儀よく静かにするのが鉄則。鉄道ファンなら、こんなことは書くまでもない当たり前の常識だと思うのだが。

八本松変電所

勾配区間を駆け上がる電気機関車への大電力供給用として、八本松変電所が設置されている。過去には大出力の電気機関車(EF200、定格出力6,000kw…8,157.6馬力)のパワーリミッターを解放するために増強工事も行っている。しかし、輸送需要の低迷で大出力電気機関車はパワーリミッターを解除しないままの運用が続き、2019年には運用そのものが終了。

架線の設置が上り線と下り線で異なる

大電力を給電できるよう、上り勾配となる上り線の架線は二重に張られている。対する下り線は坂を下ってくるので電力はさほど必要とせず、よく見られる一本モノの架線となっている。

架線断路器

受電設備や架線断路器も忘れずチェック。どこを動かせば電気が遮断できるか、すぐに見えてしまうのがある種の職業病で嫌なもの。

さて、勾配を駆け上がる上り貨物列車はいつくるのか。ダイヤの目途は立ったが、30分以上は待つことになった。秋口とはいえ、まだまだ厳しい炎天下。僅かな日陰を探しながら、日焼けを防ぐ。

上り貨物列車通過開始

待ちに待った上り貨物列車がやってくる。先頭の機関車はEF210-312。ノッチを入れている(車でいうところのアクセルを踏んでいる)ためか、独特の低い唸り音が山の中に響き渡る。

貨物列車通過中その1

番堂原第4踏切から先、八本松駅方面は緩いS字カーブと16.7‰の勾配となっている。普通列車と違い、貨物列車の長さを実感できる。

貨物列車通過中その2

ところどころに空の貨車があるのが残念。機関車のハンドルを握る運転士は、貨物の中身や重量状況までは分からず、コンテナの状況だけで「重い」「軽い」をイメージするのだとか。そこに雨が降れば線路は濡れて滑りやすくなり、後押し運転にも影響が出てくる。よって運転状況は毎日変わり、それを踏まえた職人技。

再び低い唸り音が聞こえてきたら、編成が後端までやってきた証拠。

後押し機関車が押し上げる

後押し担当の補機機関車は、先頭の機関車と同じ形式でEF210-314だった。過去はEF67形という、セノハチ後押し専用のオレンジ色の機関車がいたが、2022年3月に運用終了。以後、このEF210形300番台が後押し担当となっている。

貨物列車の通過を見届けた。朝から炎天下でのスタンバイを続けたおり、熱中症の予兆が出始める。これは危ないと、車に戻って水分補給と体を冷やしつつ、次の目的地へ向かう。

今度は広島へ

大阪から帰ってきて、一晩寝たら今度はシビックRで広島へ行く。ここからは完全なるプライベート。出張の疲れが少々残っており、そこから800km近いドライブは危険性がある。そこでいつもより遅く出て、暗い中で走ることは避ける。と言っても4時起床の6時出発だが。

関東圏から出発し、いつもは中央道から名神を使って関西圏へ向かう。今回は心身への負担低減目的で、新東名と新名神というシンプルルートを採る。

中国地方は基本的に中国道を使って横断する。平日でも車が少なく、中央道以上にカーブが多く、長距離運転にはちょうどいいため。

中国道の急カーブその1

新見付近では高速道路らしくはない、R=260のカーブが続く。最もキツいカーブはR=250に達する。

中国道の急カーブその2

急カーブと勾配で、サーキットか?と思える線形も存在。適度に休憩しながら広島市街地へ滑り込んだのが夕方。一旦車をデポしておき、徒歩で市街地を徘徊。

原爆ドーム

しっかりと見ておきたかった原爆ドームを訪れる。遠い昔、チラッと見た曖昧な記憶しかなく、マジマジと眺めたのは今回が初。映像や画像で見る原爆ドームは大きいものと思っていたが、実際に見ると小さな建物という印象。

1945年(昭和20年)8月6日(月曜日)の午前8時15分。リトルボーイ(Mk.1 ガンバレル型原子爆弾)が投下され炸裂。周辺一帯は一瞬にして破壊。それから77年経過した現在、ビルが林立する都市になっている。原子爆弾による攻撃で、一帯が焼け野原になっていた過去の出来事に唖然するしかなかった。

その他、お好み焼きで食物繊維を補給しておき、路面電車にも乗ってみて、さくっと観光。夜も更けてきたので、ホテルに向かって移動開始。

走れるうちに走っておく

2019年10月の台風19号は、関東甲信地方で記録的な大雨になり、甚大な被害をもたらした。居住地周辺もけっこうなダメージを受けていて、長らくそのまま放置されて今年。ようやく被害の復旧工事が行われた場所もあった。一回の災害で、その後の被害復旧までには、相当の時間を要することを体感することになった。

各峠道も被害を受けていて、最も身近な酷道である国道299号では土砂崩れが発生したようで、災害復旧工事に伴う通行止めが長らく続いていた。今年に入ってようやく通行止めが解除され、シャブ(会社自動車部)のY氏に言わせれば「夏から秋の大雨でまた土砂崩れでも起きたら走れなくなる。だから走れるうちに走っておくのがベストですね」との助言を受け、急遽R299の酷道区間を走ることにした。

と、その道中。便所休憩で、R299沿いの道の駅上野に立ち寄ることにしたのだが。

道の駅上野駐車場

ここ、あの道の駅上野だよな…?と周囲をウロウロ。以前訪れたときは工事が行われており、路面は掘り返され、駐車スペースが少し減らされていた記憶がある。

大小様々な虫が飛び回って、『連結器』の幹部分に飛びついてくるスリルを味わえる、あの常に汚かった便所は片付けられ、二輪用の立派な駐車スペースに変わっている。トイレへ行くのに道路を横断しなければならないという、地味に安全性に疑問が浮かぶ建物配置は改められた。

道の駅上野の母屋とガソリンスタンド

そのトイレは母屋側に集約された。犬用便器も設置され、どう使うのが興味がある。JAのガソリンスタンドも併設され、ドライブの拠点としては申し分のない設備が揃う。

R299内の覆式落石防止網

訪れるたびに何かしらの変化が起きているのがR299の酷道区間で、新たに覆式落石防止網が設置、または新品に交換された部分があちこちにある。

十石峠の碑と

しばらく訪れないうちに、十石峠の碑周囲にある木々は立派に生長しており、覆いかぶさるようなレベルになっていた。展望台は床面破損で閉鎖中となっていて、こちらの復旧も望まれるところ。

今回はまず走ってみて、路面状況を再チェックすることがメインになっていた。土砂崩れの影響なのか、道中で視界が大きく開けた区間が新たにできていた。意外と眺望が良かったりするので、次回走行するときはしっかり見てこようと思う。他車の往来が妙に多く、全く気が抜けず写真撮影は少なかった。

長野県に入ってからあちこちの峠道を巡り、総走行距離は655km。

米の買い出しに

長野県は栄村。薄曇りで涼しい朝、国道117号を東に向かってタラタラ走る。

国道117号

カーナビで示されている次のチェックポイントまで、このR117を走り続けて60kmとの表示。車の流れがどうこうというより、地元ナンバーは次々に右に左に消えていく。この道路状況とペースなら一時間とプラスアルファだろうと予想がつき、実際にその通りの結果に。

一旦新潟県の十日町市に出て給油。それから隣の南魚沼市へ。

道の駅 南魚沼

今回の折り返し地点は、この『道の駅 南魚沼』だったりする。

確か置いてあったような…と店舗区画をグルリと回り、目的のブツを発見。

計10kgの米を積載

南魚沼産のコシヒカリ、合計10kg。去年収穫で、先日精米されたばかりだそうな。

この手の買い物では「同じ値段なら、近場でもっとお高いの買えるのに?」というツッコミが入ることが少なからずあるが、あくまで主体は車でどこかへ出かけること。そしてたまたま「たまには少しいい米で、カレーや納豆メシを食いたい」との願望によるもの。

総走行距離は600km、総合燃費は17km/L。

久しぶりの遠足

シャブ(会社自動車部)でのドライブは、いつ以来になるのだろうか。世間的な事情からソロ走行が長らく続いてしまい、団体走行パターンや経路選択の流れを完全に忘れてしまい、思うように走ることができなかった。

最初の目的地は、静岡県浜松市にあるスズキ歴史館。

スイフトカットモデルその1

スイフトのカットモデル。ここで考えるのが、自分の車に置き換えて、隙間の防錆対策はどうしようかということ。筒状になっている部分を舐め回すようにして見学。

スイフトカットモデルその2

強度が求められる部分のフレームは、筒状になっている部分の内部にいろいろな部品が組み込まれている。強度のある部分を一度ぶつけてしまうと、簡単な修復ではないという理由がよく分かる。

アルト

名車47万円アルト。地方に行けば当たり前のように見ることができたし、つい最近まで、近所では現役の車として使われていた。ここしばらくは見かけなくなったので、廃車になったか長期入庫中か。

現代の目でも、買い物用のゲタ車として使うには全く問題のないパッケージではないだろうか。エアコン付きの特別グレードもあるので、蒸し暑いこれからの季節でも耐えられるかもしれない。

少し駆け足になってしまうが、午後から貸し切り設定のため歴史館から出る。静岡に来たら、食事は『さわやか』一択。遅めの昼食を済ませたら、土産物を補充しながら次の目的地へ向かう。

もう一つの目的地は、ヤマハコミュニケーションプラザ。スズキ歴史館から見ても、10km少々の走行で到着し、予約不要で見学可能。

ヤマハコミュニケーションプラザ

バイクだけでなく、エンジンや製造ライン、COMP.化されたパーツが多数展示されており、バイクに強くなくても楽しめる。

参加車両たち

今回の参加車両。インプレッサWRX STIのお披露目も兼ねていた。少しずつ関東方面に戻り始め、三島市で遅めの夕食休憩となり、現地解散。各自好きなルートを通って帰宅。総走行距離は537km。

日付が変わる直前に、それぞれの帰宅を確認。大変お疲れさまでした。>全参加者

寝坊での米原駅

GW前に一本走っておき、オイル交換のタイミングを調整することになった。規定までは残り1,000kmなので、関東から見れば400km+αの位置で往復するとちょうどいい。

たまたま見ていた米原駅の駅弁情報。井筒屋の近江牛大入飯がうまそうということで、米原駅の駅弁を買いにひとっ走りしようと決めた、昨日22時過ぎ。距離的にも400km少々で、往復で800kmを上回る。中央道回りにすれば多少遠回りになり、ますます好都合。いつもどおり、午前3時に起きれば4時には中央道に入れる。そう考えて就寝。

自然と目が覚めて、時計を見ると1時50分。目覚まし時計が鳴るまであと1時間は眠れる…と、もう一度寝る。そして起きたのが、まさかの4時。1時間も寝坊するとは、初めての事態。車に乗り込んで動き出したのが40分後で、中央道に入るころには5時を回っていた。

早くも混雑し始める中央道でペースを上げられず、米原駅に到着したのが10時半。予定では9時台に到着して、駅弁をシビックRに積み込んで復路に入り、適当なパーキングエリアで食べるつもりだったが。遅れが響いたのか、目的の近江牛大入飯は『本日分は完売しました』と札が掲げられ、目的達成ならず。一個だけ残っていた湖北のおはなしを選ぶ。こちらの弁当はあっさり系で少なめ。昨日の大量の昼食のリカバリーを考えれば、結果的にこれで良かった。

米原駅を出発する直前

北陸方面への要所である米原駅に、車で訪れることになるとは、妙に感慨深い。寝坊さえしなければ、新幹線と在来線、近江鉄道を見て回っていたかもしれない。次回来るときは、注文を予約しておいた方がいいようだ。

GPSロガーによるログ

行きの米原駅までは中央道経由、米原駅から戻るときは新東名経由で素早く戻るコースをチョイス。

行きの中央道ではペースが上げられない分、登坂区間での余計な再加速をすることなく走ることができて、燃費は落ちていない。諏訪を過ぎてから多治見までの下り坂では、エンジンブレーキで燃料噴射が止まっている距離が非常に長かった。米原駅に着いた時点で、ガスは半分残っていて、帰りの新東名でどれだけ燃料を使わずに走れるか。

最高速度120キロ区間で、トラックに混じって80kmhで淡々と走り続ける。事故渋滞に赤い三角マークという不吉な案内情報を見て、唐突に始まった燃費レースは終了。

リッター19のEK9

駿河湾沼津SAで38Lを給油、残り7Lほど。区間燃費はリッター19となり、高速道路主体かつエコ運転の成果。ただし、西日に照らされ続けながらエアコンは使っていないので、軽い熱中症気味というオマケまで付くが。

総走行距離は850km。寝坊で1時間の遅れ、帰りは事故渋滞で通過に40分掛かり、何かと遅れが響き続ける日帰りドライブとなった。

過去最遅記録

青森から帰宅する日。起床は午前2時、出発はその40分後。睡眠状態は悪くなく、疲労も少なめ。

時間が時間なので、青森市街地は飲み屋から出てきたであろう通行人がチラホラいて、応じてタクシーもそこそこいる。どの街も似たような光景だなと思いつつ、高速道路に入る。

路面凍結の恐怖を抱いたまま、80kmh以下で流しながら南下を開始。路面が濡れているだけなのか、凍結しているのかは全く分からない。窓ガラスに水滴が付着するようになり、また雨か?と思っていたら「ユキ」表示。いやまさか。

ユキ表示

ブレブレだが、電光掲示板には「ユキ」の文字。窓を開けて手を出してみると、雪の粒がバラバラと音を立てながら付着する。夏タイヤで走っている以上はリスクドライブそのもの。上半期の青森定期便は5月のGW以降だなと考えつつ、安代JCTまで戻ってくる。

積もるほどではないが相変わらず雪は舞っていて、極度の緊張感を伴ったままの運転で疲労が蓄積しやすい。1時間程度走ったら小休止を繰り返す。ペースは上げられないが、事故を起こしてしまうよりかはマシ。雪から雨に変わったが、運転しにくい状態が続く。

久しぶりの晴れ間

栃木県に入って、ようやく晴れ間が見えてきて乾いた路面に変わる。80kmh前後を保っていた走行ペースは、走行環境が良くなってきたことで90kmhに上がり、その変化具合がGPSロガーにもしっかりと記録されていた。帰宅は13時。移動時間は11時間近くになり、過去最遅ペース。昔は一日で東京青森間を往復していたのだから、衰えを感じる要素の一つになっている。

塩まみれになった車体を洗い、明日からの通常運用モードに戻していく。次の青森定期便は、秋口になりそうか。

2022、春のあおもり定期便

春の青森ドライブは、普段ならGW前の4月中旬から下旬に行うことになっている。台風1号の影響からか、天気予報を調べるたびに大きく変わり、雨中のロングドライブの覚悟しておく。

出発の早朝時間帯(4時)、東京都心部は大雨。さらに東北道全線を覆うように雨雲が広がっており、走りにくさと視界不良に悩まされながらの走行となった。

皆の三助

東北道下り線、仙台近くに来ると自然と視界に入ってくるナゾの建物。ウォータースライダーを思わせる配管があって、調べてみると確かにウォータースライダーのようだ。元ラブホテルで、改装して普通のホテルになったが、現在は閉館されているらしい。らしい…が、歩行通路の照明が点灯していたりするので、電源は生きているのかもしれない。

雨の中淡々と走り続けて安代JCT。ここから先は、より閑散とした区間に変わっていく。

東北道下り線

路肩や斜面、遠くに見える山には雪が残っている。路面の温度を表示する案内板に至っては、どんどん数値が下がっており、2℃を目撃。13時過ぎでこの気温なら、夜間は0℃以下になることも不思議ではない。雨で路面が濡れているとなれば、路面凍結の心配もしなければならない。「凍結注意」の看板が大げさとは思えないまま、青森市街地へ到着。

少し寄り道して海岸線まで出てみるが、強い潮風と飛び散る海水を浴びてエラい目に遭う。諦めて車を預けておき、徒歩で青森港に向かって船を撮影しようと思ったが、強風かつ気温5℃程度しかない環境の中、初夏の格好をしたままウロウロできるわけがない。買い物と早めの夕食を終えて、一日の活動は終了。

八甲田丸定点撮影ポイント

この日の総走行距離は900km近く。