ある日の早朝ドライブ

久しブリに首都高をグルグル走ることになり、かといって昔のようにタコメーターやスピードメーターの針が右側を向いているようなシチュエーションは一切なく。静かに目立たず、左車線を淡々と走り続ける。

かつてのスタート地点だった辰巳第一PAは通過、9号深川線、C1都心環状線外回り、11号台場線を経由し、再び湾岸線。今度は直進して、葛西JCTよりC2中央環状線内回りに入る。

虹を見ながらのドライブ

おっ、虹じゃん!

小雨の舞う天候で、太陽の方位が視界後方にあるため、虹が見えてきた。虹が見えるということは、後方に副虹も見えると思われ、C2のカーブ具合と太陽の角度のバランスから、副虹が見えるチャンスは僅かばかりあった。

深夜帯であれば6号三郷線で南下するところだが、今回は入らずにC2での走行を継続。そのまま山手トンネルに入り、湾岸線に戻って神奈川方面となり、横浜みなとみらい地区を周回してK1横羽線から1号羽田線と経由し、再び湾岸線に戻ってくる。

「そろそろ2時間です休憩しませんか?」というナビからの自動音声で、走行終了。今回の首都高ドライブは、2時間以上の走行に耐えられるような体(=腰痛対策)を維持できているのか確認するのが主な目的だった。日々の筋トレの効果は出ていることが分かり、長時間走行に伴う腰の具合は上々。

シビックRではちょい乗りしかしなくなった現状、今回のような長時間運転を続けることで、排気管や燃焼室のクリーニングも兼ねている。

実物大モンスタービートルを見に行く

モンスタービートルとは、1986年にタミヤが発売した電動RCカーの一つ。フォルクスワーゲン タイプ1、通称『ビートル』をバギー仕様にカスタムしたものをモチーフとしている。

1/10RC モンスタービートル (2015)

画像はタミヤ 1/10RC モンスタービートル (2015)より引用。

初代は1986年に発売されたモデルで、現在は二代目なって2015年に再販されたもの。タイプ1特有の流線型のボディラインが残っており、そこにビッグタイヤを組み合わせてモンスター化。このテのモデルは基本はオフロード用ながら、実際は道を選ばずにどこでも走らせられるお手軽さが楽しい。

愛知県にあるカーショップ ガレージ愛知は、RCモデルたるモンスタービートルを実車化。しかも公道を走れるようにナンバーも取得したという。タミヤのイベントで展示されることがあり、青森県の七戸町立鷹山宇一記念美術館で実際に見ることができるという情報を得た。

それなら暇だしモンスタービートルを見に行くべーと、青森県は七戸までひとっ走り。「そんな買い物に出かける感覚で、暇だから青森に行くっていうのがもう分からんのです」。

安代JCTを右に

普段なら安代JCTを左、東北道青森IC方面を行くが、今回は七戸方面なので右、八戸道方面に進路を取る。

七戸町立鷹山宇一記念美術館

今回の目的地、七戸町立鷹山宇一記念美術館に到着。七戸出身の画家、鷹山宇一を記念して開業したそうな。ではさっそく、今回の目的であるモンスタービートルを見に行こうではないか。

実車版モンスタービートルとRCカーのモンスタービートル

こいつが実車版モンスタービートルか!と、最初に思ったのはモンスターマシンは相変わらず好きということだった。

車に興味を持ち始めた遠い昔、世の中はいわゆるRVブーム。特にモンスター化するカスタムカーが大好きで、フェニックスオートが作製したランドクルーザーのモンスターカーは憧れの一つだった記憶がある。

実車版モンスタービートルのリア

後方から見る。フロント側でも写っているが、ナンバー付なので公道を走ることができて、しかも3ナンバー車。希望ナンバーで19-86とは、RCカーのモンスタービートルが発売した年を示している。

スケールは1/10

モンスタービートルの足元には、RCカーのモンスタービートルが展示されている。1/10スケールとなれば、実車のタイヤよりも小さいようだ。

実車をモチーフにしたRCカーモデルは数あれど、RCカーモデルから実車を作り上げる逆パターンは、恐らくこのモンスタービートルが唯一だろう。

フロントサスペンション周辺

フロントサスペンション周辺を眺める。3リンクリジッドアクスル式コイルスプリングとのことで、このタイプのサスペンションはどこかで見たな…と考えてみたところ、どうもジムニーらしい。

エアコン用のコンデンサと思われる熱交換器が斜め装着されていて、車内環境の維持も配慮されているようだ。

オフロード走行向けのタイヤ

オフロード車両であることを一目で意識させてくれる、武骨なタイヤ。実はタイヤサイズや銘柄、製造年月まで控えてくるのを忘れており、単純にタイヤと金色のホイールを撮影しただけの面白みのない写真となってしまった。

美術館という一種の清潔感が求められる場所での展示だけに、トレッド面の汚れはしっかりと落とされていた。

ラダーフレームを見る

フレームを見る。車体とフレームを繋ぐマウントの装着方法、各サスアームの繋げ方から、ラダーフレームがベースになっていることを確認。ますますジムニー…であることは間違いなく、JB43ジムニーシエラがベースとなっているそうだ。

リアサスペンション周辺その1

スプリングが微妙にカーブしていたり、ガソリンの給油口がこんなところにあったりと、見るべきポイントは非常に多い。

リアサスペンション周辺その2

リアは4リンクリジッドアクスル式コイルスプリング。写真中央に燃料タンクが見えており、プロペラシャフトと接触しないように凹みが成形されている。これはオフロード走行時、車軸が大きく動くことを想定しているためのもの。

これだけリフトアップされているなら、前後のデフオイルの交換は容易いだろう。

フロントブレーキ

再びフロント側に戻って、ブレーキ周辺。車体サイズに対して、ブレーキは意外と小さい。フローティング型(片押し式)のブレーキキャリパーを使っている構造も興味深い。ちなみに、リアブレーキはドラム式。

モンスタービートルの主要諸元

モンスタービートルの諸元表。M18Aという1800ccエンジンのスペックが表記されており、M型からしてスズキ製のエンジンだろう。エンジンスペックでは125psとなっているが、モンスタービートルとしての主要諸元表では180psという、リッター100馬力エンジンと化している。ここはツッコミどころだろうか。

これだけの大きさながら3ナンバー枠で、最小回転半径は4.9m。一部の立体駐車場は入れないだろうが、国内を走り回ることを想定したスペックになっていることが分かる。

製作中の一コマ

製作中の写真より。ラダーフレームであることを示す写真が掲載されていた。

撮影できるのはこのモンスタービートルゾーンだけで、それ以外のゾーン、タミヤの歴代モデルやジオラマ作品が展示されているところは撮影禁止。ひたすら眺めて、記憶に留めていくという、美術館本来の楽しみ方が求められる。

国宝たる絵馬や鷹山宇一が集めてきたオイルランプの展示も併せて見ていく。このあたりもじっくりと見ていたので、美術館館内にはけっこうな時間を過ごしていた。

満足したところで、青森駅前に向けて出発。土産物や給油を経て、関東に向かって南下を開始。

岩手山のシルエット

岩手山の向こうに日が沈み、山のシルエットが浮かび上がる。時間的に、このまま頑張れば日付変更時間帯に首都高へ入れるペースで、残り600km少々なら7.5時間程度か…と、完全に距離感覚が狂っている。

台風接近中のダム

台風が接近しており、応じて大雨が降り続いていた。

大雨によるダムの洪水調整とは、どのようなものなのか。昔から興味津々。長らく大雨が降り続き、しかも休日で行動しやすい早朝時間帯でも雨模様…というダムチェックに好都合な日は、なかなかヒットしない。まして、川の増水による危険性を考えると、大雨の日は川に近寄れない。

見に行きたいが、環境を考えると近寄りがたい。しかし、危険な状態になれば事前情報がもたらされる世の中になっている側面もあり、何かあれば引き返すことにして、台風による大雨の中、佐久間ダムまでひとっ走りとなった。

今までなら、佐久間ダムまでは新東名の浜松浜北ICから、R152をひたすら北上するというルートだった。現在では三遠南信道が部分開通しており、浜松浜北ICからさらに西寄り、浜松いなさJCTから三遠南信道を使って北上することで、走行時間を大幅に縮減することができている。

あまりの大雨に、車から降りて風景を撮るどころではなく、ほぼノンストップで佐久間ダムに到着。さっそく取水塔を拠点にした水位をチェックするが。

取水塔で水位チェック

取水塔の網(スクリーン)の枚数で水位を見る。上から一枚目、二枚目ときて、三枚目の上部が僅かに見える。過去の記録から、夏場は三枚目のスクリーンが水没していたので、大雨に備えて予め水位を下げていたのかもしれない。

ゲート放流中

5門あるうち、中央の1門だけを開けて放流していた。全てのゲートを開けて放流していることを期待して訪れてみたら、この1門のみ。大雨といえど、予め放流して水位を下げておけば、全ゲートを開放しなくても1門でも間に合うのかもしれない。

迫力ある全ゲート放流の光景を期待して訪れてみれば、1門のみ。こういう日もあるさと納得し、5年ぶりに訪れた佐久間ダムの様子は大きく変わっていないことを確認。帰宅コースに入る。

帰りはR152で南下するルートをチョイスし、土砂崩れ復旧工事に伴う通行止め、迂回ルートを走りながらの帰宅。三遠南信道を使うより、R152を使ったほうが面白い。総走行距離は557km。

新潟港はすぐそこ?

「確か乗船手続きって10時過ぎだったよな?それを目途に行こうかね」

という具合で、見送りで新潟港までひとっ走り。居住地から新潟港は350km弱で、大したことはない距離。ところが、一般の人からすれば極端らしく「200km以上は未知、ここから新潟は大旅行レベル」「見送りして?それで終わり?うっそ…」というツッコミが。

5月からは遠出を控えており、6月上旬から中旬にかけては、錆の補修で車に乗れず。その反動もあったのだろう、今日の総走行距離は920kmとなっていた。

新潟港いつもの場所

「乗船ですかー?」「いえ、見送りです」「ではそちらへどうぞ!」と、毎度変わらぬこの流れ。あいにくの雨…どころではなく、警報級の大雨が続く。この雨のおかげか、私のように見送り目的でウロウロする人は出航時刻ギリギリまで少なかった。

12時前からローブが解かれていく。作業をじっくり眺めていると、ロープを解く前からサイドスラスターを動作させ、岸壁に接したままにしているのが印象的だった。万一、ロープが千切れ飛んでも吹き飛ばされない位置でスタンバイしているとか、確実に意思が伝達されていることを確認してから、次の作業へ入る等、見習うべき行動がとても多い。

あざれあ出港!

離岸して十分な距離を確保できたら、ゴンゴンと鳴っていたサイドスラスターの音が静かになり、本格的に加速し始める。見ている方はゆっくり動いているように見えるが、乗っているとけっこうな加速力を実感できる。

船が視界から消えたら、こちらも新潟港を後にする。真っ直ぐ帰っても面白くはないし、久しぶりの遠出だ。信州方面に進路を取り、先述したように900kmを走り回っていた。殆どの行程で雨で、カメラを出す気が起きず、撮影は5枚だった。

パイオニアIII台車を見に行く

本質としては、2023年春の青森往復ドライブだったりする。

鉄道車両用の台車を勉強している中で、パイオニアIII台車という少々特殊な構造の台車があることを知ったのはだいぶ昔のこと。アメリカで開発され、基本設計は1950年代末。日本国内ではライセンス製造として、1960年代前半にデビュー。軽量化、線路や台車本体のメンテナンスフリー化を狙い、これらは見事に達成。一方で、乗り心地に難があり、衝撃に弱くて振動が出やすい、特定条件下で脱線しやすいといったデメリットが判明し、使用は限られた鉄道会社かつ特定形式だけで、新規で使われることはない。

机上での学習より、現物を見たほうが得られるものは多い。青森県の弘南鉄道7000系電車では現役で使用されており、さっそく現地までひとっ走り。

黄砂まみれの東北道

やけに視界が黄色く、遠くの山々は非常に霞んでいる。どうやら中国の砂漠から飛来してきた黄砂による影響らしい。都心以上の黄砂、いやこれが本場の黄砂か!車を短時間でも駐車しておくと、あっという間に砂まみれになる。都心部の大気汚染とは異なる汚さ。

弘南鉄道7000系

黄砂の中を走り続け、 クロコダイン駅 大鰐駅に到着。いるいる、パイオニアIII台車が。元を辿れば東急7000系電車で、子どもだった遠い昔、東横線の桜木町駅で見た記憶がある。

パイオニアIII台車

なかなかパイオニアIII台車を間近で見ることはできず、カメラのズーム機能を駆使してなんとか撮影したようなもの。こちらは津軽大沢駅で撮影した。

最も目立つのが、外側に位置するブレーキディスク。鉄道車両用のブレーキといえば

TH-2000Tのブレーキディスク

このように車輪の間にブレーキディスクがあって、外側からは殆ど見えない構造になっているパターン。京急2000形用TH-2000T、頻繁にブレーキを動作させるためか、ブレーキパッドが極厚。

新幹線の台車

車輪に組み合わせているパターンもある。こちらは新幹線用のディスクブレーキ。

もう一つは、車輪そのものを締め付ける踏面ブレーキ方式。

踏面ブレーキ

大井川鉄道のDD20形ディーゼル機関車のブレーキ。車輪にブレーキシューが接触して、ブレーキが掛かった状態を保っている。

これらの見慣れた構造からすると、パイオニアIII台車の構造は、ブレーキ一つだけでも極めて興味深い。

パイオニアIII台車のブレーキアップ

ブレーキディスクが最も外側にあり、使用に応じて摩耗していくブレーキパッドがすぐアクセスできる位置にあるパイオニアIII台車は、メンテナンス部門からは好評だったとのこと。似たような構造として、相鉄8000系でも外側ブレーキディスクタイプの台車を使用中。

パイオニアIII台車の構造上の特徴として、軽量化目的で構造を単純化するため、車軸を支えるバネを省略している。

パイオニアIII台車の軸周り

ブレーキディスク中央の巨大ナット部分が車軸になる。軸受けは台車フレームに固定されている。オーバーホールができるよう、軸受け部分はボルトとナットで分割されている。

先に掲載している、京急の台車と見比べる。

鉄道車両の緩衝装置

赤い矢印のバネ、フレームを介して黄色い矢印のバネの二段階バネで車体を支え、もしくは線路からの衝撃を受け止める。鉄道車両の台車は、殆どが二段階のバネ構造だ。ところがパイオニアIII台車は、この赤い矢印部分のバネがなく、黄色い矢印部分のバネだけになっている。

大鰐駅を出発すると、そこらの鉄道とは全く違った乗り心地をいきなり実感させられることになる。まるで遊園地のアトラクション状態で、常に右に左にぐわんぐわんとロールしながら走っていく。赤い矢印のバネを省略している分、黄色い矢印のバネを大きくして支えているため、このような独特の挙動になるようだ。もちろん、地方のローカル鉄道ゆえ、線路のコンディションが極めて悪いことも考慮しなければならないが。

バネがないことによる乗り心地の根本的な悪さだけでなく、冒頭に書いたデメリットが次々に判明し、使用車両が広がることはなかった。昔であればともかく、現代は通勤電車でさえ乗り心地が求められる時代だ。二段階バネの台車に一本化して正解だったと思う。

中央弘前駅にて

強烈に揺られ続けて大鰐線の終点、中央弘前駅に到着。逆光と黄砂で撮影に不向きだ。片道だけですっかり疲れてしまったが、ここから大鰐駅まで戻らなければならない。待機時間を含め、往復で合計一時間半を要する。

存分にパイオニアIII台車を味わったら、再び車を走らせて青森駅へ向かう。ここで補給したら再出発し、三沢市まで移動。今回は予約が遅れて空きが無かったのと、海外からの観光客が増加したことによる宿泊代高騰により、青森駅前の宿泊を断念したもの。

鈴鹿サーキットまで

温暖地方では、路面凍結防止用の塩カルがスッキリしてくる頃合いか。今年も遠出シーズンに突入となり、その一発目はどこにしようか。数秒迷ったところで「そうだ鈴鹿サーキットでいいじゃん」と、すぐに決定。片道400kmに満たない程よい距離で、片道1タンクを使い切ることなく走っていける。

朝の新東名

通勤渋滞を警戒して夜明け前に出発したが、よくよく考えてみれば400km未満、鈴鹿サーキットの開場時刻は10時で、あまりに早く出ても立ち入ることすらできない。途中のサービスエリアで仮眠休憩して時間調整をしながらローペースで向かう。

本田技研前バス停

さらに時間調整目的で、ホンダ鈴鹿製作所前のコンビニで小休止。EK9はこの工場で製造されたそうで、実質里帰りみたいなものか。

工場内はホンダ車だけ

ホンダの工場を横目に信号待ち。目立つのは勤務する社員用の駐車場で、よく見ると敷地内はホンダ車だけ。他メーカーの車に乗る場合は道路を渡った敷地の外に設定されていた。

開場時刻は10時。遊園地とサーキットが一緒になった施設なので、来客の基本はファミリー層。レーシングカーの排気音が響き渡り、他の遊園地とは明らかに違う。そういえば春休みシーズンだからか、親子連れが多い。その中に、サーキット見物目的の来客がチラホラいることになり、若干のシュールさと居辛さを実感するもの。誰も気にしていないだろうが。

鈴鹿サーキット最終コーナー前

こうして鈴鹿サーキットに入場。訪れてすぐに感じたことは「苦痛」。どういうことか。富士スピードウェイやツインリンクもてぎは、サーキットの外周部分を自分の車で走ることができて、各観客席へ移動しやすくなっている。対し、この鈴鹿サーキットは徒歩での移動となり、各コーナーに設けられた観客席がとにかく遠い。砂利の道を歩かなければならない通路もあり、靴底の薄いスニーカーではより歩きにくい。

鈴鹿サーキットの立体交差

鈴鹿サーキットの名物構造である立体交差。8の字に走ればタイヤの両サイドが削れるようになるとは、サーキットの設計者の証言。下のコースを走った車がすぐに上のコースに戻ってくるので、ギャラリーしているとけっこう忙しい。

NISSINブレーキへアピンの勾配具合

急減速により、コース中で最もスピードが落ちるヘアピン。レース中継だと何も感じないが、肉眼で見るとかなりの勾配になっていることが分かる。車によってはフロントブレーキローターが赤く光る。コーナーを抜けての立ち上がりでは、力強い排気音が響いて心地いい。

練習走行中

翌日のスーパー耐久「SUZUKA S耐 5時間レース」に備えた練習走行が続く。

『MT仕様』のGRフィット

次期主力車両F-X計画の筆頭たる現行のGRフィットも走っていて、どうしても贔屓目に見る。フィットに限らず、ハッチバック車がスイスイとコーナーを駆け抜けていく姿は車種問わず見てて楽しい。後々調べたところでは、このGRフィット、6MTに換装しているのだとか。排気音はホンダ特有のそれで、しかもMT仕様となれば、機関系は先代のGKフィットRSからの流用かもしれない。

ホームストレート

ホームストレートの観客席に移動して、全景を見る。ピットストップの様子も見ることができて、レース本番中は目が離せないシーンが長く長く続くだろう。

ここで時間切れ。世間は平日で、名古屋周辺の帰宅ラッシュに巻き込まれないようにするには、早めの行動が鍵を握る。長野県を経由できる地点にいたことから、唐突に峠の釜めしを食べたくなり、中央道経由での帰宅コースに設定する。中央道は新東名と違って山地部の走行がメインとなり、ドライブの観点ではこちらの方が楽しい。

諏訪湖SAにて小休止

諏訪湖SAに到着。峠の釜めしを購入して、容器は持ち帰る。実際に米を炊くことができて、ちょっとした料理に使いやすいため。

名古屋、都心部共に渋滞をうまく回避することができて、比較的早い時間に帰宅することになった。総走行距離は850km。

秋へ向かって復路

青森から帰宅する日。と言っても、まっすぐ帰るつもりは一切なく、あちこち寄り道しながら一日の有効時間帯をフルに使う。昨晩はかなり強い雨が降っていたらしく、防音の効いているはずのホテル室内にまで、雨音が響き渡っていた。

まずは青森駅前出発時点での、GPSログを参照。

青森から南下するGPSログ

青森市街地からすぐにR103に入り、「奥入瀬渓流と十和田湖の紅葉は見事っすよ」というシャブ(会社自動車部)のY氏おススメルートをトレースすることにした。八甲田山を横断、途中でR102にスイッチ、奥入瀬渓流に沿いながら十和田湖に出て、東北道に戻るというもの。

今日の出発は5時前。相変わらず雨が降り、地方都市特有の街灯の少なさもあって、本当に暗い中を走り始める。すぐにR103に入って、八甲田山方面へ向かって南下を開始。完全は寝静まった夜明け前の青森、他車はいない。

雪に覆われていくR103

標高が上がり始めると、次第に道路の状況がおかしくなっていく。路肩が白い。あれ…?と思っていたら、フロントガラスに当たる雨粒の音は消えていて、明らかに白い塊がフワフワと当たり続けている。いやまさか。

青森テレビより、酸ヶ湯初雪のニュース

画像は地元ATV青森テレビの公式Webページより引用。帰宅後に分かったことだが、このR103沿いにある酸ヶ湯(すかゆ)近辺は、今シーズン初雪でニュースにもなっていた。昨日から降り続けていた雨は、上空を覆った寒気の作用もあって、八甲田山は雪。4日未明に9cmの積雪を記録したそう。

都心部から「勧められたから走ってみよう」と物事を深く考えぬまま、現地に訪れた愚か者。ハンドルを切っても直進しがち、ブレーキを踏めばABSはガリガリと動作、アクセルを踏んでも前輪は空転するだけ。スマホをチラリと見ると、電波の状況はどんどん悪くなっている。転回できるような場所は見つからず、アスファルトがなんとか見えている区間を探しながら、超低速で登坂していく。

除雪で出動してきたモーターグレーダーを前方に発見。これ幸いと除雪したての道を利用させてもらう。途中、何度か譲られそうになるが、事情が事情だけに先行してくれと身振り手振りで伝え、除雪車にくっついて傘松峠へ向かう。

その頼みの除雪車も、傘松峠手前でUターン。ここからはついに単独走行。車を止めてしまうと、もう再スタートが難しくなっている。雪はどんどん強くなってきて、夜明け後の気温上昇も期待できない。10kmh程度で傘松峠を通過。標高は1,000mを越え、窓を開ければ冬と雪の寒さ。

雪景色を堪能、撮影するところではなく、極度の緊張と恐怖心で口の中がカラカラで痛い。タイヤが雪を掻いてアスファルトに乗っている感覚はギリギリ残っていて、恐らく2週間前にタイヤ交換したてでトレッド面が深かったことが好都合だったのかもしれない。

標高が下がるにつれて雪の量が減り、ようやく安堵できる路面状況に変わった。道はR102へ入っていて、なるほどここが奥入瀬渓流か…と緊張を解きほぐす空間になっていた。さすがに車を止めて休憩できるスペースはなく、40kmh程度で流しながら静かに通過していく。

峠を越えて一休み

2時間近く極度の緊張感の中を走り続け、林道入口で小休止。奥入瀬の紅葉は終わりが近かったものの、それでも見ごたえは十分。ドライブコースとしても最適で、夏の深い緑に覆われたトンネル状態を走っていくのも良さそうだ。

十和田湖周辺の紅葉

十和田湖沿いに南下。こちらも紅葉は終わりが近い。ところどころで木のトンネル状になっていて、黄色や橙色に色づいて明るい道を走り続けて、一旦東北道に戻る。

東北道に入ってしまえば、あとは一路都心とはならず、すぐに降りて山形から再び下道に戻る。山形や福島といった走り慣れた山道を巡りながら、都心部の帰宅渋滞に備えて時間調整も兼ねる。昼食は米沢駅の駅弁「牛肉どまん中」。

福島県を南下中

栃木県の宇都宮市まで下道で頑張ろうと思いつつ、そろそろ夕暮れで見通しが悪くなってきて、山道もリスキーになってくる。福島県の白河市から再び東北道に入り、本日二度目の夜間走行。20時半には帰宅して、積雪の青森から秋の涼しさが残る都心部という、季節の逆行を実感しつつ、一日が終わる。

往路は800km程度。二日間の総走行距離は1,700kmプラスアルファ。積雪の路面はもう走りたくはない。

2022、晩秋のあおもり定期便

りんご菓子を買いに、青森までひとっ走り。

今年の4月も春の青森定期便のドライブを行っているが、この時は一部区間で冬季通行止めが続いており、不完全燃焼となっていた。そのリベンジを兼ねている。

起床は午前3時。準備やその他諸々で、出発は3時半。今日は日帰りではなく、ゴール地点の青森駅と八甲田丸前に到着すればいいので、その点では気楽。

早朝の東北道下り線

先週のコスモアイル羽咋の往復ドライブに比べて、この精神的余裕と疲労感の少なさはどこから来るのか。散々走り込んでいる東北道、交通量の少なさ、トンネルの少なさが関係しているのかもしれない。

スマホから変な音が鳴ったと思ったら、Jアラートで北朝鮮からの朝のミサイル定期便。ミサイルに注意と警告されても、既に高速道路を走っている身にどうしろと。ついでに、高速道路の電光案内板にも「ミサイル注意」と出て、最高速度も延々と50kmh規制。これはこれで地味に警戒感を強いられる。

ハイオク休止案内

さらには、ハイオク販売休止の案内まで出ていた。給油地点はさらに先の岩手山SAなので、特に問題はない。

雨の東北道

北上を続けていると、降雨ゾーンに入ってくる。事前の予報通りで、今回の青森ドライブは基本的に雨に打たれながらの走行になりそうだ。

ただ、この雨が後々大問題を引き起こす。

曇りがちな津軽平野

いつもの津軽平野も、空を覆う雲のせいで遠くまで見通せない。風景を楽しむのも青森定期便の楽しみの一つだったが、これは来年の宿題となるだろう。

青森ICの手前、浪岡ICで出て五所川原市方面へ進路を取る。「ごしょがわら」という地名を見ると、いつも思い出すのが漫画こちら葛飾区亀有公園前派出所の登場キャラクター『御所河原金五郎之助佐ヱ門太郎』の名前。なかなか覚えられない。

十三湖方面に進み、津軽半島の先端部分をトレースしようというもの。4月に訪れたときは、R339の竜泊ラインが冬季通行止めで、今日のメインはその走れなかった部分の回収となる。

雨の五所川原市

まるで北海道を意識させられる、どこまでも広がる農地を左手に見ながら、R339をトコトコ走る。相変わらず雨が強く、晴れた日に走り直したい。

あまりにも雨が強く、小休止を兼ねて車外に出て写真でも撮ろうなんて気は全く起きなかった。七ツ滝の先、坂本台からひたすら続く急カーブだらけのワインディングも、スリップに注意しながらの走行となる。晴れた日なら…晴れた日ながら…と思いながら。

階段国道入口

階段国道の上側部分前。ここは以前に歩いて記録に残しており、2020年7月以来。ここから青森市街地までのR280についても、過去に走行済み。大人しくR280のバイパス区間を経由し、八甲田丸駐車場に到着したのが16時過ぎ。

八甲田丸前定例ポイント

祝日とはいえ、観光客は少なめ。晩秋、雨で夕暮れ時間帯だったことも関係ありそうだ。りんご菓子を大量に買い込み、ホテルにチェックインしたら「全国旅行支援で3,000円分のクーポン券があります」と手渡され、これも土産代として活用していく。

今日のGPSログ

往路のGPSログ。走行距離は900km近くになり、長距離走行特有の爽快な気分のまま、一日が終わる。

宇宙の出島

石川県にあるコスモアイル羽咋は、アポロ月着陸船や探査機を展示している博物館とのことだ。アポロ計画ファンとしては行っておかなければならず、ついでに片道500km程度なら日帰り圏内なので、さっそく行くことにする。

まずは公式Webサイトを読んでおき、展示品等をしっかり調べておく。なぜ羽咋市に宇宙関連の博物館ができたのかといったことも併せて。「香港もイギリスに100年借りられてたのだから、月面・火星探査機や月の石を100年貸してよ」という逸話がある。

コスモアイル羽咋のアクセス情報

能登半島の付け根に当たる部分に、コスモアイル羽咋がある。公式Webサイトのアクセス情報では、東京から7時間となっている。目安タイムとして参考にしておき、では実走するとどうなったか。

東京から本当に7時間を要する

本当に7時間を要した。トイレ休憩を含むが、できる限り走っているよう心掛けてこの結果。正直なところ、東京から青森へ行くより精神的疲労は激しい。

マーキュリーレッドストーンロケット

コスモアイル羽咋に到着すると、真っ先に視界に入るのがマーキュリーレッドストーンロケット。弾道飛行用ロケットとはいえ、元を辿れば弾道ミサイルであり、妙な迫力がある。胴体がマグネシウム合金なので錆知らず、野外展示に耐え続けている。

マーキュリー宇宙船

マーキュリーレッドストーンロケットの先端に装着され、宇宙へ飛んだのがこのマーキュリー宇宙船。

マーキュリー宇宙船内部の様子

中を覗く。「マーキュリーは宇宙船に『乗る』のではなく『着る』」という表現があったそうだが、中を見て納得。多数のスイッチ類に囲まれ、身動きできる空間は殆ど無し。無重量状態なら上下の区別は無くなるが、それでも狭いだろう。

宇宙飛行士がいて、自らの手で操縦してこそ!というアメリカに対し、宇宙開発競争の相手だった旧ソ連はどうだったか。

ボストーク宇宙船

こちらは旧ソ連が打ち上げたボストーク宇宙船。実際に打ち上げられ宇宙を飛び、大気圏再突入を経た実機とされる。裏話的なものとしては、共通設計だった無人偵察衛星を転用し、有人宇宙船として仕上げているそうだ。

ボストーク宇宙船内部

ボストーク宇宙船の内部。マーキュリー宇宙船に対し、ボストーク宇宙船は計器盤らしいものは極僅か。人間である以上、宇宙空間で操縦ミスをさせるわけにはいかぬ!と、コントロールは地上側から行われていたことが背景にある。アメリカの宇宙飛行士がソ連の宇宙船を見て「何もないではないか」と驚いたとか。

アポロ司令船

アポロ司令船。長野県原村に展示されているものとは異なり、船内には入れない。モックアップだが、船体表面に張られている銀色のフィルムは本物だとか。手垢でベトベトだったが。

背後には巨大なオメガスピードマスターが展示されている。

オメガスピードマスターも展示

そのスピードマスター、月へ持って行ったことを展示していた。文字板を詳細に見れば、製造世代がある程度掴める。ガラスケースと照明のバランスが悪く、うまく撮影できなかった。

アポロ月着陸船

今回のドライブ目的は、このアポロ月着陸船。サイズ感が知りたく、ここまで走ってきたようなもの。当然モックアップだが、金色や銀色に光る断熱シートは本物らしい。猫背でちょいと疲れた様子の宇宙飛行士のおかげで、月着陸船の大きさが掴みやすい。

鳥山明氏がデザインしたような宇宙船で、見た目は完全に虫。完全に空気が無いところを飛ぶため、このような形状になった。船体の殆どが燃料タンクで占められており、軽量化のために宇宙と船内の隔壁はアルミホイル一枚に満たない部分もあったとか。後期型の船体では、発電用原子炉や月面車が装着され、さらに賑やかになる。

上昇段を間近に

月面から月着陸船を見上げると、こういう感じで見えるのかもしれない。

月面用宇宙服

月面用の宇宙服。常に飛び交っている微小隕石、強力な宇宙放射線、直撃する太陽熱や光から身を守るため、これだけ分厚くなってしまう。ここでもオメガスピードマスターが展示されていて、左腕に巻かれている。

アポロ船内用のツナギ

アポロ船内で着るツナギ。薄い服であることが一目で分かる。事故を起こしたアポロ13号では、節電のために暖房機能が停止させられた。水滴が凍り付くほど寒くなった船内で、この薄手の服で過ごすことになった。これは寒いぞ。

ボイジャー惑星探査機

天井にはアメリカのボイジャー惑星探査機(モックアップ)と旧ソ連のモルニア通信衛星(実機)がぶら下げられていた。

ボイジャー惑星探査機は1977年の打ち上げで、現役で稼働して観測を続けている。現在も通信が確立して日々の観測データ等を送受信しているが、その通信速度は160bps(=20バイト/秒)。ボイジャーへ信号を送って、その返答が来るまで一日半掛かる。

決して大きくはない館内だが、展示物はけっこう濃い。ただ、宇宙をイメージしたのか照明は殆どなく、写真撮影は基本的に不向き。眺めて記憶していくという、本来の博物館見学スタイルが強いられる。

EK9と並べて撮影

野外のマーキュリーレッドストーンロケット前はロータリーになっていて、係員に尋ねてみると「車、入れますよ」とのことだ。というわけで、シビックRとロケットを並べて撮ってみる。

往路に7時間を要していた。復路では渋滞を考慮してより時間が掛かることになるので、早くも出発時間となる。片道500kmならまた訪れることができる場所だ。十分に日帰り圏内なので、また訪れればいい。

GPSロガー

復路では、糸魚川市から下道で南下するコースを採った。R148は何度も経由した道で、走り慣れたコースのほうが精神的にラク。総走行距離は1,000km。

コスモアイルは「宇宙の出島」という意味があるそうな。

大和とあきしお

番堂原第4踏切で貨物列車を見届けたら、次は呉市にある大和ミュージアムと海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)へ向かう。

原爆ドームを中心として見れば、市街地は平地ながら山に囲まれた地形となっており、しかも短距離でけっこうな角度の坂が続く。昨晩、やたらと暗い中を走り続けることになったが、市街地の光が周囲の山に遮られていたことで、より暗い環境になっていた。ネオンが発達した現代でこの暗さなら、戦時中の夜はもっと暗かった。そこに空襲で攻めてくるのだから、全く想像できない恐怖があっただろう。なにより安心して寝ていられないのが辛い。

ゆめタウン呉の駐車場の背後には、ゆうしお型潜水艦の『あきしお』(SS-579)がいて、ここではこれが日常の風景。自分の車と潜水艦のリアセクションを同時に撮影できる、唯一の場所だったりする。もちろんスクリューは偽物で、外板部分のあちこちにも防諜のために加工が施され、作り替えられている。

大和ミュージアム、海上自衛隊呉史料館と続けて見学したが、撮影は殆ど行わなかった。時間に余裕がなくて、まずは見ることに集中していたこと、特攻で人が死んでいるという重さゆえにわちゃわちゃする場所ではなかったこと。潜水艦内部も見学できるが、あの特有の狭さは写真では絶対に分からず、身をもって体感していたほうが良かったこと。潜水艦内部に関しては、防諜の観点からも撮影しようとは思わなかったが。

大和波止場から内陸を望む

近くには大和波止場があり、戦艦大和の実寸サイズを再現したパネルが設置されている。大量輸送を担う商船とは異なり、それだけで戦艦一隻分の重量を誇る主砲を複数搭載し、さらに高速航行せねばならない性質から、船首部分は大きく湾曲した船体になっていることが実感できるようになっている。緑地帯には大和の錨が置かれ、その奥には海上自衛隊の活動を伝える任務に就くあきしおが見える。

海上自衛隊油船25号型

ちょうど海上自衛隊油船25号型(YO27)が出港した。

計画されていた予定は全てクリア。都心に向かって帰宅を開始。総走行距離は1,800km、全線でエアコンを使いながら平均燃費は17km/Lと極めて好成績。弾丸ドライブ、大変おつかれさまでした。>S15オーナー