読書感想文とか

埜口(のぐち)三部作、揃って読了。

埜口保男氏の著書たち

写真下、『自転車野郎養成講座(山海堂1993年、絶版)』は、現在に至るまでの自転車趣味をスタートしたとき、たまたま近所の図書館においてあった本だった。あまりの読みやすさに唯一の参考書となったもので、期限日に返して、そのままもう一度借りてくることを繰り返していたため、一時期はその図書館の貸し出し人気ランキングに食い込んでしまった過去がある。

まずは5kmから走ることが始まって、10km、20km、30km…と距離が増えていく中で、距離を走るための心構えやアドバイスが書き込まれている。初心者向けの内容だけに、メカニカル的、技術的なことは殆ど書かれておらず、自転車趣味を始めた当時の私にはぴったりだった。

写真中央、『自転車漂流講座(山海堂1989年、絶版)』は、先述した自転車野郎養成講座の続編。発行順序としては、これが最初。内容が出版社の意向に近かったため、続いて初心者向けの自転車野郎養成講座も案内されたそうだ。

世界を舞台にしたチャリツーリングの遊び方。国境の越えかたから、旅先での病気やトラブル、日本とは違った厳しさなどが記載。その実態は野宿(キャンプ)を中心にしたアウトドアライフのノウハウ集で、キャンプしながら外で遊ぶ人間でも楽しめる内容。一日の疲れを回復し、翌日につなげるために重要な夕食について、1980年代末の時点で飯テロ的な記述がなされており、空腹のときに読むと極めて攻撃力のある文章に変貌する。

本の終盤に入って、旅先で出会った仲間やツーリング中の他の楽しみ(登山)についてのページがあり、そこに出てくる「河野兵市」なる人物について、あっさりながらも妙に印象深く書かれている。が、河野兵市氏は2001年5月に北極で転落死しており、この件に関する本も、埜口氏は著している。それが次の本。

写真上、『みかん畑に帰りたかった(小学館2003年、絶版)』。世界を自転車で旅行している最中の埜口氏が河野兵市氏と出会い、共に登山仲間としてあちこちの山を制覇していく様子が記されている。のっけから「世界地図を用意してほしい」と書かれており、何事かと思いつつ読み進めてみるとすぐに納得。全く聞いたことの無い土地や山の名前が次々と出てきて、GoogleマップとWikipediaを開きながらでないと、地球のどこを歩いているのか、追跡できなくなる。

山を越え、サハラをリヤカーを引きながら徒歩で縦断し、途中で河野氏は結婚、二人の子供がいる父親となるが、旅へ出かけたい衝動が止められない。最後の旅路となる北極へ向かうことになる。

なんとなく分かってはいたが、北極の旅費は凄まじいものがあり、額にして3,000万円。それも一個人のポケットマネーではなく、スポンサーによる提供というから、それは旅行ではない。埜口氏も「もはや旅行ではなく仕事である」と断じているほどだ。このときは北極点へ単独かつ徒歩で向かい、日本人として初成功を収めているが。

そして、リーチングホーム計画がスタートする。北極点をスタートし、地元の愛媛県佐田岬半島まで徒歩やカヤックにより6年がかりで帰還する、壮大な旅。日本人初の北極点単独徒歩到達で有名になったことで、リーチングホームではスポンサーから集まった資金は、なんと3億円。この章に限らず、第一章のニューヨーク編から旅費に関する記述が多数あり、常に旅費=金とトラブルはリンクしていることを暗に示している。

振り返って、私自身が小学生になってすぐの時代。大勢の友だちと共に自転車で隣町を越えて「冒険」し、帰るころには夕方17時が門限だった約束は守れない。日没で周囲が暗くなって、街の様子が変化していき、不気味なものを感じるようになる。無事に帰れて、初めての「冒険成功」に達成感を抱き、その一方で帰ってこないことに心配していた両親から、強烈な落雷を食らうことになる。怒られたから止めようと思うことはなく、何度も繰り返すことなって、ドキドキ感、達成感はクセになっていくわけだ。

そんなドキドキ感が、河野氏はいつまでも忘れることができなかった。最初は世界の自転車旅行から、各地を歩き回りながら山を越えるようになり、サハラ、北極と、フィールドはどんどんレベルアップしていく。困難に挑むドキドキ感、冒険の達成感を味わい続けるために、更なる困難に挑んでみたくなるもので、それがまだ自分の力で稼いだ金で遊んでいるなら、問題にはならない。

行動が世間に知られてスポンサー…金が絡むようになると、莫大な額になればなるだけ、短時間のうちに当人の力では制御できなくなる、いわば呪いを受けてしまう。このあたりは、2018年に滑落死した栗城史多氏にもあてはまることで、金を提供してもらったからには、世間を裏切るわけにはいかなくなる。本当にやりたい「自分の旅」と、世間が思う「その人が行う旅」のミスマッチが大きくなれば、最終的には死を招く。

私自身、EK9シビックRで384,400kmを目指すなんてことをやっているからか、サハラ編、北極編、リーチングホーム編の行間から見えてくる世間の期待、醜さと怖さ、裏切ることができない緊張感をヒシヒシと味わっていた。というのも、2017年5月、当サイトは一度閉鎖しているのだが、その直後から閲覧者以上に私側が大混乱に陥っている過去があり、河野氏のようにスポンサードされていた場合、閉鎖後にどうなっていたかは全く想像できず、想像するのも怖い。当人の遊びで済ますか、世間の期待を背負って仕事にするか。答えは一つしかないが。

みかん畑に帰りたかったを読み終えてから、リーチングホーム計画のことを調べてみると、愛媛県佐田岬半島にある道の駅瀬戸農業公園がゴール地点となっていて、今もその計画を伝える碑が立っているそうだ。次のドライブの目的地は、愛媛県佐田岬半島になりそうだ。片道900km程度なら、一日で走っていける距離。

…と、ここまで書いておきながら、実は昔から読書感想文が苦手。本を数冊読んで、その読書感想文を書けという夏休みの宿題が、いつもいつも最大の壁だった。現在でも、かなり難しいものがある。

ディーラーからのハガキで思い出したこと

昨夜は19時半には寝て、起床は今朝6時半。これだけ寝れば、だいぶスッキリする。

午前中は、昨日行った作業のレポートの続きを仕上げる。写真編集はなんとか終わらせており、使用パーツのリストアップで止まっていた。本文の記述に関しては、ある意味では定例のこと。

午後からは、体の調子を整えるために自転車に乗って徘徊。台風19号の影響はまだ残っていて、泥や砂があちこちにあって走りにくい。昨日の夜明け前に降っていた、短時間の大雨程度では流れていかないらしい。台風15号で積もった泥や砂が流れきるにはだいたい一ヶ月近く要していたから、台風19号で出てきた泥や砂が消えるタイミングは、11月中旬以降だろうか。程よく走り回って、消費カロリーは400kcalほど。回復を早める軽い運動なので、この程度に留めておく。

会社に提出する年末調整用の払い込み証明書が届き、次いでシビックRの車検を知らせるハガキがディーラーから届いた。こういう通知が来ると、今年も終わりが近いなと思えてくる。車検!忘れていた。交換する部品を揃えておき、足りない部品は追加注文として。

普段は12月の車検有効期限ギリギリまで粘ってから、車を預けている。というのも、予防保全の関係で整備費用がそれなりに掛かり、そこに法定費用が追加されるとかなりの総費用に達する。12月になればボーナスが出るので、それで金の問題をクリアすることができる背景によるもの。先立つものがないことは、とても辛いものがある。

ただし、今回の車検は有効期限に余裕を持たせて受ける予定。ヘッドライトユニットを交換しており、光軸や照度に問題があれば、それだけ長い時間が掛かる可能性がある。状況によっては、新品のバルブに交換して再受験も覚悟している。次の週末までには、日程を詰めていくことにしようか。

旧い車でディーラーに来られると迷惑…なんて記述をどこかで見た気がしたが、嫌な仕事があるなら辞めたほうが心身共にストレスから解放されると思うのだが。え?もう辞めた?そもそも、業務中の不満や問題点を不特定多数が見ているネットの世界にいきなり吐くことが間違いで、常識知らず。申し訳ないが、お里が知れるというもの。

嫌な客が居る、嫌な仕事があるといった業務環境に問題があると感じたなら、まずは社内の上司等の上層に意見、相談するのが第一であり、そういったことに対処するのが上の役目だ。そこのところを履き違えている以上は、ただの妄言。

一度でも「その業界で働いている」ことを公言したなら、発言者はその業界の宣伝役みたいなもの。余計なこと、特にネガティブなネタを口にすると、周囲のウケはいいのかもしれないが、誰がどこでどう見ているか分からないことを考えれば、極めて危険な行為と言える。辞めた業界のことを口にするとは、別れた異性のことが忘れられないようなものか。後ろを向くより、前を向くほうが楽しいのに。

更新…Y19#14

『29.5万キロを走行した吸気バルブをチェックする』を追加。

昨夜に出張から帰ってきて、今朝からは通常の生活サイクルに戻るので3時半起き。明らかに疲れが残ったまま。ついでに大雨と寒さで、いまいち元気が出ない。

朝からきっついわーとなる背景にはもう一つあって、17日からの食生活の乱れが影響している。

17日は異動先における事務作業の本務一回目で、妙な緊張と気疲れがあった。体を動かしておらず、ついでに処理が遅れていたことで、食欲もない。下限ギリギリで生活しているため、一食でも欠かすと低血糖で動けなくなる。嫌でも食べるしかない。業務終了後はそのまま浜松に移動し、ようやく食欲が出てきてまともに食えるようになる。

18日は出張中。朝はホテル食、昼は敷地内食堂。普段の食生活と体の活動量を考慮しても、食い過ぎが続いている。帰りの新幹線内ではサンドイッチセットに留めて、乱れた食生活のリセットを開始。

本日19日。引き続きリセット中。朝食は腸管の動きを促すために野菜サラダ中心、昼食も似たような傾向。まともに食っていないので、エネルギー切れで力が出るわけがない。欲に任せて食う快感より、リセットを乗り越えた先にある気持ちよさの方が上なので、やはり我慢。

天気予報どおり、昼前から雨は上がって時折晴れ間が見えてくるようになり、作業がスタート。せっせと外して、インジェクターや吸気バルブのチェックを行い、組み立てまで行っても一時間半ほどの作業時間だった。続いて、S15シルビアでも同様の点検作業を行うための、下準備。インテークパイプ類を外してみて、どういう流れで作業すればいいのか検討する。誰だホンダ車はメンテナンスしにくいと言ったのは。

点検作業と検討に目処がつき、お互いに昨日までの出張疲れが残っていたので、ここで終わり。台風19号のおかげで車体の塩が今も残っており、洗車してから帰宅。一日お疲れ様でした。>S15オーナー

最後尾に乗る

浜松出張(通称参勤交代)、終わり。

浜松駅の新幹線上り列車は、朝と夜以外は毎時12分にひかりがやってくる。帰り際、乗ろうと思えば乗れるのだが、軽い急ぎ足のまま乗ることになり、妙に混んでいることもあって乗変による指定席は確保できず必ず自由席、しかも殆ど座れないという、疲れた体にはけっこう辛い乗車時間となってしまう。

ひかりが出て、11分後にこだまがある。どの号車も比較的空いていて自由席でも選べるくらいの余裕があり、東京駅には先発したひかりの36分後で到着する。疲れて座りたいから、こだまで行くべぇと、23分発のこだまをチョイスする。これなら自由席であれば、乗変を掛ける必要も無い。

どこに座ろうか。「ケツにしよう」と最もガラガラなのは、一番後ろの1号車とのこと。ケツか…うーん…と若干気が進まないが、N700系の走りの真髄を知るには、ここが最適。最後尾の印象が悪いのは、300系の酷い乗り心地を味わっていたたため。

まだ300系が61本全て揃っていた時代。1980年代後半、大幅な軽量化と最高速度向上を重点項目として設計された300系だが、乗り心地については今ほど重視されていなかったため、走り出せば常にガタガタと大きく揺れ続けていた。特に上り列車の1号車は、モーターが付いていないので他の号車の引っ張られるカタチになって揺れやすく、空力特性の問題から更に揺れが増幅されてしまう欠点がある。一部の編成は700系の足回りを流用して少しでも乗り心地を良くしようとしたが、大きく改善するまでには至らなかった。この経験から、現行の新幹線は必ず乗り心地の良さを全面的にアピールするようになっている。

一時期は品川と三島間を通勤列車として毎日使っていて、やはり帰り際、着実に座るには1号車しかなかった。三島での仕事よりも、300系の乗り心地の悪さで疲れてしまっていた経験があって、今なお新幹線の最後尾は避け続けている。そんなネガティブなことを払拭できるか。着席して発車を待つ。

「安全よし」で浜松駅を出発、強力な加速力でトップスピードに入る。まず中間車と変わらぬ乗り心地に驚かされる。空気が乱れるトンネル内での下り列車とのすれ違いも、壁側に吹き飛ばされるようなことはない。鼓膜での圧力変化を感じて、トンネル内に居て対向列車とすれ違っていることに、ようやく気づくほどだ。映画U-571にて、チーフのクロフ軍曹が水深200mまで沈降したUボートに対し「大したもんだ、この深さでもビクともしない」と驚いていたが、そんな心境。ここまで乗り心地が良くなるものなのか…と。

結局、乗車疲れを殆ど味わうことなく降車。最後尾の印象の悪さは完全に払拭できたので、今後は自由席で座るために後ろを選ぶことに躊躇しないだろう。N700系からN700A系へのマイナーチェンジでも、車内の居住性が向上している。次のN700S系ではどうなるか。また一つ、楽しみが増えた。

アクセス状況とか

速報値ながら、台風19号の上陸前後、つまり11日と12日は当サイトへのアクセス数が1,000件ほど低下していることが判明。一斉に台風19号のことを調べ出し、当サイトのような趣味ネタなWebサイトは後回しになることは、ある意味では当たり前。

ホスト名から察するに、台風19号とは直接関係のない地域からのアクセスは一定量続いており、上陸の可能性、強風域や暴風域が近い、前線が活発化して大雨に降られそうな地域からのアクセス数は減っている。

そして台風が関東地方から抜けて、東北地方へ移動した後には、本来の水準に戻っていたりする。当サイトに限らず、あちこちにあるWebサーバのアクセスログを見直せば、行動パターンやどのような情報を求めているのか、傾向が分かるかもしれない。

今回に限らず、災害で被災した地域のホスト名がログに残されていることは少なくない。東日本大震災があって、miyagiやfukushimaといったログが残されており、その後もkumamotoや今回のnaganoもあったりして、それぞれ大丈夫かな、無事かな?アクセスあるならとりあえずは無事だろと思っていたりする。

災害に遭われた方の復旧を願っております。

新幹線が水没し

台風19号による大雨で、長野県の千曲川が氾濫。付近にあるJR東日本の長野新幹線車両センターが浸水し、E7/W7系が水没してしまうという衝撃的な事態が発生した。

「長野の新幹線はどうなるの?」なんてよく聞かれるのだが、全く分からないのが本音。JR東日本の新幹線の形式に至っては完全に把握し切れておらず「あの鼻の赤いやつが秋田新幹線だっけか」と、なんとなくイメージで覚えているレベル。これでは答えようがない。

以下、報道写真を通じて見たことによる、率直な感想など。

最も水位が上がっているときは、窓の下縁部分近くまで達していた。よって車内の水も外と同じ水位まで達したと考えるのが自然で、座席や接客設備、車内に搭載してある機器は軒並みアウトだろう。「新幹線は密閉構造だから浸水は…」といった期待感を抱かせる文章を見たが、それはあくまで走行中の状態であり、一度でも車両の電源を切ってしまえば密閉しなくなる。

車趣味の人なら分かると思うが、水に濡れた座席は早く洗浄して乾かさないと、カビ臭くなって使い物にならなくなる。ただの水でも厄介で、それが吐瀉物や尿といった体液系ではあとから悪臭を放つようになり、飲み物でさえ吐き気を催すニオイに変化する場合がある。今回のような泥水では、ただの川の水ではなく下水管からも逆流した汚水も混じっていると考えれば、座席の再利用は衛生面の視点からも無理だろう。車両の構体の中に、グラスウールなどの断熱防音材が詰めてあれば、それらが浸水してカビてしまうと、車内そのものが臭くなる。

走行に必要な床下機器は、ある程度の防水は利いているが、あくまで雨や雪からの防御策に過ぎない。腕時計でいうところの、日常生活防水や10BAR/20BARといった普通の防水時計みたいなもの。普通の防水時計を本格的なダイビングでは使えないのと同じで、防水された床下機器も完全に水に沈んでしまうようなことは想定されていない。機器内の熱や空気を入れ替えるため、どこかに必ず通気口があり、そこからブクブクと浸水していく。機器に浸入した泥水は、基板や装置全体を腐らせてしまう。

今時の新幹線だけに、実態は半導体装置が集合して巨大になったようなもの。指先程度の小さな半導体が腐って不調になれば、それが致命傷になることも不思議ではない。しかも機器がASSY化されているとするならば、一つひとつの基板を検査することは非常に手間がかかる作業が待っている。検査時はOKでも、その後しばらくして故障を引き起こすのが、半導体の怖いところ。

よって、初代NSXの修理方法に近いパターンで、アルミ合金の車両構体『だけ』にして、水没したワイヤーハーネス、床下機器や車内の設備全ては、新品に入れ替えるか。それとも災害による廃車として、再発注、本数を揃え直すか。どのように復旧していくのか、極めて興味深い。

世間ではバラして乾かせば直る、使えるものは使えとか、いろいろ言われている。その根底にあるのは、鉄道ファンならではの「廃車にしないで、もったいない」という感情的なものが見え隠れする。ただ、新幹線は鉄道ファンの趣味や思いを満足させるために、サービスで走らせているわけではない。輸送会社だけに、告知したダイヤどおりに列車を走らせて乗客を運び、運賃を貰って設備投資した分を回収しつつ会社や路線規模を発展させ、さらには株主に還元しなければならない。

乗客の命を預かることになるのだから、水没後の修理が原因で二次災害が起きてからでは遅い。二次災害が起きれば、それこそ「水没したのに、新造せずに修理したから、乗客が被害にあった。最初から造りなおしておけば、こんなことにはならなかった」と余計に叩かれてしまう。E7/W7系が形式消滅するわけではないので、いつかは元に戻る。まずはJR東日本の専門家が立ち入れるようになってから、判断すればいいだけのこと。

私を含め、現段階で外野があれこれ言うのは、本当は筋違い。

目の違和感

朝からまた雨だ。台風で街中へ飛ばされてきた砂や塩が、今日の雨で少しでも洗い流されることを期待。

指先はミクロン単位の研磨具合の違いが判別できる一方で、背中は5cm程度を離した2点を同時に突いても、1点として感知してしまうように、体中に張り巡らされたセンサーの感度には大きな違いがある。

痛みを感じるセンサーが最も多いのが、どうやら目のようだ。目は生きる上で視界を確保するカメラの役割であり、あまり意識しないがモノを立体的に捉え、距離感が分かるのは、両目で違う角度で見ることで、二つの画像を脳で合成しているから。目のケガや病気などで眼帯をしていると、この世の三次元空間におけるモノを捉える力が失われてしまい、距離感が掴みにくくなったり、足元の様子が分かりにくくなるなどの影響が出る。眼帯をした綾波レイが、頻繁につまづいたり、体のあちこちをぶつけたりするパロディ漫画があったと思うが、妙にリアリティがあるな…と感心したもの。

そんな目は、重要な器官ながらバックアップがなく、汚れた外気に一部が露出している構造をしているので、どうしてもゴミや砂といった異物が入りやすい。よって目に小さなゴミが入っただけでも痛みや何かがあるという感触が出やすくなっており、危険な状態であることを知らせている。そして異物を取り出さないことには、違和感が解決しないようになっている。

こんなことを書いている背景として、風呂上り後から右目に痛みがゴロゴロ感が続いているため。だいたい原因は分かっていて、顔を拭いたときにまつ毛が抜けて、それが目に入ってしまった。ではまつ毛はどこに?と乾燥してヒリヒリしてくるのを我慢して探してみるが、いくらまぶたをひっくり返しても見つからない。目の周りから手を離すと、すぐに痛みを感じるので、やはり何かあるらしい。

LEDライトを使ってさらに明るく照らしてみると、ようやく痛みの原因を発見。机の上に落ちているホコリレベルの、本当に小さなまつ毛の破片がまぶたに引っかかっていた。ICのボンディングワイヤかいな…と思ったほど、短くて小さなもの。人工涙液に浸した綿棒で除去し、痛みのないスッキリとした視界に戻った。この間、15分近くの出来事。

除去作業を終えて、人工涙液のボトルを見直してふと思ったことは、最初からこの人工涙液を目にじゃんじゃん流し込んで、洗い落とせばよかったのではないか。しかし子供のころから、ケガで負った傷口のゴミは洗い落とすのではなく、そこらにあるピンセットや毛抜きで一つ一つ摘み出すクセがある。よって目のゴミも、「洗い落とす」のではなく「取り出す」ことが真っ先に思い立って行動に移った。このクセ、今更修正できるようなものではなく、三つ子の魂百までとはよくいったもの。

台風19号、その後

昨日の台風19号は上陸後、居住地にかなり接近してから強風をもたらし、あちこちでモノが飛び交う音を響かせていた。

上空を台風通過中の気圧計

気圧計を眺めていたところでは、上空を台風が通過したのが21時半前後。ピーク時の気圧は968~969hPaをウロウロしており、気象庁の観測とほぼ合致する。雨は午前中がピークだったようで、この時間帯はとにかく強風に見舞われる。次第に外の音が静かになっていき、応じて気圧も少しずつ上昇していく。

台風通過後の気圧計

22時を過ぎると、このとおり976hPaまで上昇。いつ動いているのか分からないアナログ気圧計が、目に見えるスピードで動いている様子は初めて見ることができた。台風が通過したことで、外は雨が降るだけになっており、落ち着きを取り戻しているようだ。峠は越えたので、ここで就寝。

あちこちの河川の水位やライブカメラを表示するWebサイトは、アクセスが集中しすぎてダウン、もしくはレスポンスが非常に悪くなっていた。テレビによる煽りを含めた報道で、視聴者が一斉にWebサイトへアクセスするものだから、サーバがパンクしていたようだ。誰もがネットにアクセスできる端末を持つ今の時代、災害等での注目で突然の集中的なアクセスが起こりうることは、どのサーバも視野に入れておかないといけないのかもしれない。

さて翌朝。強風と大雨で上空の空気が浄化され、清々しい朝となった。吹き返しの風もなく、さっそく状況調査のために自転車で出発。昨日は多摩川の様子を見に行っているので、今日も見物しに行くことにした。一旦河口側へ向かう。

増水した多摩川の様子

ピーク時は堤防部分まで水が増えたようだが、朝の時点でだいぶ水位は下がっている。それでも水は残っており、野球グラウンドや公園の遊具がある部分は冠水したまま。

餌を探すサギ発見

水かさが増えていることで、餌を探すサギを間近で見ることができた。抜き足差し足忍び足でゆっくり歩く姿は、いつ見ても興味深いものがある。環境が水田とは違うので、脚をプルプルと震わせながら餌を探す様子は見れなかった。

流されてきた仮設トイレ

サイクリングロードから土手へ降りる斜めの通行帯にゴミが溜まっており、ここが冠水のピークだったようだ。写真中央部分、青い箱の奥にあるコの字型の物体は、仮設便所。予想通り、どこかに設置されている仮設便所が流されてしまい、この場所で留まったようだ。

流されてきたネット

恐らく、バックホーム裏のネット。写真の奥では、公園の遊具が僅かばかり顔を出しており、水が引くまではもう少し時間が掛かりそうだ。

京急本線と東海道線の間より多摩川を望む

少し進んで、京急本線の多摩川鉄橋とJR東海道線の六郷川橋梁の間から多摩川を見る。川崎市側の堤防から大田区側の堤防まで、全て水に覆われている。本来の多摩川サイクリングロードは、現在は水の下。昨夜の台風最接近時は、もっと水が近かったことを示す痕跡があちこちにあって、しかもかなりのスピードで流れている。万一落ちて流されれば、岸に戻ることは困難になってしまう恐れがあり、増水した川には近づくなという警告は間違いない。

昨日の大雨で走れなかった多摩川ランナーが一斉に出てきて、私のように変わり果てた多摩川の様子を見に来た沿線住民で混雑が始まる。しかも本来の多摩川サイクリングロードは使えないので、細い歩道に人と自転車が集中する危ない状態になってきた。頑張ってR1の多摩川大橋まで走ってみたが、スムーズに走れないことに我慢の限界に達し、ニコクから内陸側に向かって帰宅。30kmほどの短距離ながら、計算上では700kcal以上を消費しており、体調維持にはちょうどいい。

台風が近づいているので

天気予報によれば、台風19号の最接近、上陸は20時過ぎ。ついでに台風の北に位置する秋雨前線が停滞しており、朝から大雨が続いている。

不要不急の外出は控えるよう繰り返し報道、告知されているためか、どこも人影はまばら。混雑と喧騒が消えた街中が、ある意味では非日常的な光景で、その様子を撮影、記録していくとして、練習を兼ねて「ちょっと川の様子を見てくる」。台風の影響が大きく出ない、正午過ぎに出発。

2019年10月12日の国道15号の様子

休日平日問わず混雑している国道15号の六郷橋も、今日の天候では出かける人も少ないため、車の通過は僅かなもの。さて、多摩川本体の様子を見に行こう。

流木が浮く多摩川

ずぶ濡れになりながら六郷橋を渡りきり、川崎市側から多摩川に近づいてみる。流木が浮いており、かなりのスピードで下流に向かって流れている。水位そのものは変わっていないようだが、このスピードからして上流側では増水していることが予測できる。水が流れる低い音が響いており、あまり聞いたことのない音のためか、恐怖心が増す。

R15の下り線側から上り線側に移動。

多摩川の上流側

上流側から次々に流木がやってくる。ときどき、どこかで倒れて川に落ちたのか、太い木そのものが流されていく。雨が降っていなければ、もう少し眺めているのだろうが、強い雨だけでなく次第に風が出てきて、立っているのがやっと。撮影時点では、京急や東海道線はまだ動いていた。

大田区側に戻って、野球グラウンドや打ちっぱなしゴルフ場は、まだ見えていることを確認。本格的に増水すると、これら施設のネットや仮設便所等が流されてしまい、更地となってしまう。暴れ川としての性質を持っている多摩川は、今も力が衰えていないことを見せつけることがある。

嵐の前の静けさ

台風19号が近づいており、今日の天気は夕方から雨が続く予報だった。ところが、シトシトと小降りの雨が降ったと思ったら止んでしまい、それから現在まで雨は降っていない。レーダーを見たところでは、雨雲の塊の縁が上空にあって、これが雨が降らない要因になっている。

とはいえ、雨雲は近づいており、厚い雲特有の吸音効果からか、外は静か。これから災害があるかもしれないというネガティブな要素によって、この静けさはけっこう不気味なものがある。雪が降る日の静けさとは、全く違う。

気圧の変動の様子

今のところ、時計に表示されている気圧のグラフは緩やかな右下がり。前回の台風15号のとき、接近上陸、上空通過に併せてグラフはグチャグチャになり、数値も1000hPaを割ってかなりの気圧低下が表示されていた。今回の台風19号では、接近が明日の夕方から夜に掛けてなので、気圧変化をリアルタイムで見守ることができそうだ。

明日の予定は全て流れてしまい、さてどうしようか。