福島県の会津田島で酪王カフェオレを購入、そのままさらに北上して山形県の米沢駅でS15オーナーと合流し、ここから往路に入る。R13とR115を経由して福島県を横断、太平洋側へ出ると国道6号へ合流し、そのまま南下を開始する。
今から6年前、忘れもしない2011年3月11日。東日本大震災を端緒に、福島第一原子力発電所で原子力事故が発生した。爆発により、原子炉から飛び散った放射性物質は周辺地域を汚染し、今も避難区域が設定されて帰宅することができない。その中には国道6号も含まれていたが、2014年9月15日からは自動車のみ通行が可能となった。そこでネットや報道による情報でしか分からなかった避難区域について、国道6号を通ることで自分の目で見ることにした。

まずは走行した10月8日現在の、帰宅困難区域を再確認する。双葉町、大熊町、富岡町の一部となっており、走行においても北から南へ抜けるコースとなった。帰宅困難区域内に入る前から窓を全て閉め、エアコンも室内循環に設定する。

帰宅困難区域を通過する国道6号は、自動車のみ通過することが許可されており、バイクや自転車、徒歩は引き続き通行止めとなっていることが、事前にある電光掲示板からでも読み取れる。ではトライク、幌がついていないオープンカーはどうなんだ?と思うところだが、身を剥き出しにして立ち入るなという意味合いだろうから、察したほうがいいかもしれない。

国道6号内には、津波浸水区間を表示する看板をいくつも目にすることができる。撮影地点は海から2kmもないところで、なるほどここにあの波が…と実感させられる。家が建っていることからも、復興が進んでいることが分かるが。

広い土地に白いバリケードで目隠しされている区画が突然出てきて、ところどころから見える大量の黒いビニール袋。全て除染で取り除いた、土や廃棄物の仮置き場だ。最終処分までの間、集中的に貯蔵する施設として、東京電力福島第一原子力発電所を取り囲む形で、中間貯蔵施設の準備を行っているそうだ。

案内看板が道路脇に多数設置され、警備員が見えてくると、いよいよ帰宅困難区域の北側部分に達する。驚いたのが、徒歩で立ち入るなと警告が出ている環境の中、警備担当者は顔面にマスクだけしており、肌が露出していることだった。仕事上のことで累計被曝量を管理されているはずだが、私のような素人だからこそ、やはり心配になってくる。
通過後に分かったことだが、この帰宅困難区域の北限周辺、具体的には10月8日14時40分、JA双葉北部営農センターでの空間線量率は5.91μSv/hという数値だ。自宅周辺の空間線量率が0.025μSv/h程度の数値となっていることから考えても、高いと感じてしまう。健康診断や腰痛検査で受けるレントゲン撮影よりも低い数値で、短期の影響なら問題はないと頭では分かっているが、怖いものは怖い。

交差点は基本的には止まることが無く、信号も黄色の点滅現示…注意して進めという扱いだ。

このように、交差点にはバリケードを使って物理的に曲がれないように制限されており、直進するしかない。この交差点を過ぎてしばらくすると、空間線量率を表示する電光掲示板があって、0.954μSv/hと出ていた。
国道6号沿いにはいくつかの新車ディーラーがあったのだが、置かれている車は触ることや撤去もできず、全て草ヒロ状態で放置されていた。走行中の一瞬だけでしか見れなかったが、砂埃や粉塵まみれになっており、あちこち錆が浮いているようにも見えたし、タイヤの空気も抜けていたことまでは分かった。

大熊町に入ってすぐ、ひときわ大きな送電線の鉄塔が見えてくる。雰囲気からして、ただの鉄塔ではないことがよく分かり、そのまま視線を左側に移動させる。

そう、原発前に達し、福島第一原子力発電所から伸びている送電線だった。林立するクレーンが見えており、廃炉作業が行われている現場だ。日曜日だったことから、工事も休日だろうか。この写真を撮ってからすぐの空間線量率の電光掲示板では、2.452μSv/hとなっており、場所によって数値が大きく異なっていた。

いわゆる火事場泥棒に対するセキュリティも兼ねているのか、家にまでバリケードが設置され、立ち入りできないようになっていた。帰宅困難な現状を象徴する場所として、報道でもよく見かける区間だ。

富岡町に入り、ガラスが割れ、無残な姿のままになっているトヨタのディーラーを通過越しに見る。地震でダメージを受け、そのまま原子力事故で避難を余儀なくされ、完全に手付かず。あの震災から初めてナマで見て、あまりにも衝撃的な光景だった。


ディーラーを抜けたら、すぐに手付かずになっているゲームセンターを目にすることができる。長い間に渡って片付けられていないのに、ソニックとテイルスの色褪せがあまり起きておらず、いつもどおりの二人(二匹?)の状態が保たれていることがむしろショックだ。
こうして、帰宅困難区域を出てさらに15km以上走り、広野町まで出てから小休止に入った。このあたりまで来ると、空間線量の数値もかなり低下していることから、ようやく安堵してエアコンを外気導入に戻した。
短期間的には大丈夫なのだろうが、長期的にはとても高い空間線量に達している場所だけに、避難区域が継続している理由がよく分かった。そんな場所を車のみで通過限定とはいえ、一般人が往来できるようになっている現状では、時期尚早だと思った。その一方、東日本大震災の凄まじさ、原子力事故の過酷さを一度に、報道等で他者を介することなく、自分自身の視野を通じて知ることができる貴重な場所となっている。通過するカタチながらも、往路コースに組み入れて正解だった。