酪王カフェオレを買いに福島へ行くドライブから、いつの間にか東日本大震災の被災地チェックドライブになっていた。帰宅困難区域を通過し、最後の目的地は大津港だ。この大津港は、3月11日の地震により津波が到達した場所で、原子力事故や岩手、宮城、福島の津波が大きく取り上げられる中、殆ど触れられることはなかった。死者は5名、行方不明者は1名、忘れてはならない被災地だ。
実はS15オーナーの親戚が当時も今も住んでいるところで、3月11日の地震により家が浸水、津波の圧力によるダメージを受けている。どれくらいの波が到達していたのか、そしてどのように環境が変わってしまったのか、一つひとつ教えてもらいながら現地を歩き回ることになった。

S15オーナーの案内で大津港に到着。大井埠頭や苫小牧港のような、巨大な港のイメージだったが、実際はその逆。地元住民の釣り場としても栄えていて、何人もの釣り人が釣り糸を垂らし、頻繁に魚を釣っていた。既に津波被害の案内が始まっており、「あそこに見える、黄色い酒瓶コンテナのところまで波が来た」とのこと。写真にも僅かばかり写っているが、改めて後述したい。

漁船とEK9シビックR。津波が来ると判明した時点で、避難できた漁船がいれば、津波で陸地に押し出されてしまった船もいたそう。当時はガタガタに崩れて落ちてしまったが、今はコンクリートのきれいな岸壁となっている。

やけにきれいなアスファルトの舗装路。ここも津波で被害を受けており、この地面高では一階部分が海水にやられたという。

交差点から港方面を見る。写真左寄り、止まれの標識と青い看板のすぐ後ろ側に、立派な家が建っていたそうだが、津波によるダメージで建物を解体。今なお更地のままになっている。更地になっている場所にはどこも家が建っていたが、津波で状況が一変してしまった。

S15オーナーより、止まれの標識の後ろ側にあった、大きな家の写真を提供してもらった。2011年5月下旬撮影。地震発生から二ヶ月が経過し、引き続き余震が起きていた。手前の土地には、ぐちゃぐちゃになっている鉄骨フレームがまとめられており、路面をよく見ると茶色の砂埃で覆われていることが分かる。漁港側でも、建物の骨組みだけが残されている様子が写っている。

改めて津波の高さを再チェックだ。最初に案内された、黄色い酒瓶のコンテナを目標に、どれくらいの高さだったかを見ていく。漁港側から陸地方面を見ると、丘のように傾斜になっていて、少しずつ高さが上がっていく。すぐ先の道路から、もう一本陸地側の道路に入る。

写真左寄りにある、黄色い酒瓶コンテナあたりまで津波が押し寄せてきたという。写真内のフィット二台分の高さがあるし、どうみても写真右寄りの家の一階部分は、全て海水の浸かってしまう高さだ。写真中央から奥まで続く、空いている土地も家があったそうだが、長らく現状のままだという。
大津港の被害は全く知らなかっただけに、6年経過した現在、当時の様子を僅かながらに聞くことができて、何度「マジか…」を発したことか。津波は気象による波と違い、海面そのものが上昇したような状態になって、塊の如く巨大な圧力と破壊力を伴って押し寄せてくる。S15オーナーの親戚宅もこの力に晒されて、現在も陸地側に数cmほど傾いたままになっているそうだ。
休日だったこともあって頻繁に釣り人の車が往来し、しかも日没時間帯だったことから周辺の散策や写真撮影が難しく、再び足を運び、しっかりとした記録撮影を行いたい。自宅からそう遠くない場所なのに、意識が東北方面の津波や原子力事故ばかりに向いており、もっと早い段階で大津港の被災状況が知れていれば、何かできることがあったのではないか?と悔いがある。
震災から6年。世間では明らかに風化しているところだが、太平洋側の被災地は復興が続いているところだ。個人的な風化を防ぐためにも、今後とも現地へ訪れることで、自然災害に対する備えのチェックや考え方を改める機会になりそうだ。最初は、ついでに経由してみるか!という軽いノリだったが、自分自身の目で被災地の実態を見て聞くことが、ここまでヘビーなものになるとは考えもしなかった。間違いなく、今回のドライブはいい経験になった。