検査結果のお知らせ

10日に400ccの献血を行い、血液検査結果が今日届いた。そもそも献血をした理由が、まとまった血液を見るため。その一方で年齢を考慮して、現在の健康状態のチェックを済ませておきたかった。病院に出向いて血液検査を行うのもありだが、献血での血液検査なら無料で行えるので、財布には優しいだろう。

献血後の血液検査

やってきた数値がこんな具合。一度目は14年前、しかも採血に失敗しているので、数値は未検査扱いとなっている。失敗でもデータベースには残っていたことが、この成績表からでも読み取れる。アルブミンALBが、基準値4.0~5.1に対し4.9と上限値に近く、アルブミン対グロブリン比A/Gが、基準値1.3~2.1に対し2.2と0.1オーバー。これらがどういう結果なのかは、一切勉強していないので、これから理解を深めていくことになりそう。その他、肝臓の調子で有名なALT及びγ-GTPは共に14、血糖の管理指標となるグリコアルブミンGAは13.5。うちの会社は、肝臓の調子と糖尿病についてはとてもうるさいので、この結果からすれば、健康状態は悪くはないだろう。

もちろん、これで慢心することなく、明日からも引き続き適正な食事量と運動を継続的に行うことにする。健康状態の経過観察のツールとして、献血も続けていくことになりそうだ。

綿

ある雨の日、チノパンを派手に濡らしてしまった。また履かなければならないし、なんか変なニオイが出ているような?このまま放置するわけにはいかず、一旦洗濯し乾燥機に放り込んでスイッチオン。一時間ほどして、しっかり乾いたチノパンに戻った。ニオイについては…うーん?

さっそく履いてみると、まるでスキニーのようにパッツンパッツンな状態になっていて、明らかに縮んでいる。太股がいきなり太くなるわけがなく、どうしたものか。チノパンの繊維はコットン=綿を使っており、縮みやすいことは知っていたが、まさかここまで縮むとは。コットンを使った別の服において、品質表示タグを見ると「回転式乾燥機は縮むから使うな」という旨の注意書きが表記されていたことから、コットン100%のチノパンを回転式乾燥機で乾かしたために、派手に縮めてしまったわけだ。

・コットンに含まれている油分や微妙な隙間が、洗濯や乾燥機で極端に締まる。

・滑りの良かった繊維が絡まり易くなってしまい、縮みが生じる。

・乾燥機で熱を加えていることで、縮みが一気に進む。

こんな具合。繊維を加熱すると縮むなんて家庭科の授業でやったことだし、そんなことはすっかり忘れていた。だからこの手の服は、太陽光ですら加熱する原因となるので、陰干しを推奨されている。服の手入れ方法の原則を再認識した瞬間だった。

ニオイについては、付着していた雑菌が雨という水分を得て、大増殖した結果だった。こうなると洗濯しようが何しようが消臭は無理。雨に濡れる前から雑菌は潜んでいたことになり、突き詰めていくとやはり自分自身の扱いミスだった。

結局、縮んでニオイが取れなくなっていたので、ゴミ袋に詰めて普通ゴミとして処分した。気に入っていたチノパンだけに、同じモデルを買わなければ。完全に余計な出費となるが、こればかりは仕方ない。

血の計算

「血が足りねぇ」とはルパンのセリフだが、まさか自分自身で発するとは思っていなかった。今日もあまり具合が良くなく、午前中は準備運動すら苦痛で、なかなかヘビーな状況だった。

献血によって、400ccの血液を体外に出した。

私の体重は58kgで、58÷13≒4.5kg、血液は1,000ccで約1kgだから、体内で循環している血液の量は約4,500ccとなる。一般的に言われているのが「全血液量の1/2が失血致死量」となることから、4,500ccの半分、2,250ccを失うと死に至る。もう一つ、よく言われる「一気に2リッター出血すると死ぬ」ということにも、2,250ccならだいたい一致する。計算が面倒なので、2,000ccに統一するとして、この余裕から400ccを献血すると、400÷2000×100=20で、失血許容量の20%に達していることになる。

ここまではいいとして、失った400ccの血液が元に戻るまでには、どれくらいの時間がかかるのか。先ほど羅列した、人間の血液の量は体重の1/13、回復まで最も時間のかかる赤血球の寿命は120日、体重が58kgなので、一日に造られる血液は58×1000÷13÷120≒37で、37ccとなる。

血液は、たんぱく質や水分を含む液体成分と細胞類の固形成分に分別できて、水分については速やかに補給される。献血の前後で水分摂取を勧められる理由がこれで、飲んだ水分が血液に早く合流することができるため。そして製造に時間が掛かる赤血球についても、肝臓や骨髄に予備としてプールされているものがあり、製造が追いついて予備の再ストックなど、バランスが整うのが一ヶ月前後といったところか。

献血できる量は法律で決まっており、200ccと400ccを合わせて、男性なら年間1,200ccまで、女性なら年間800ccまでとなっている。間隔も決められていて、今回が200ccなら、男女共に次回は四週間後。先ほどの、バランスが整うのが一ヶ月前後(約四週間)というところにも、近いものがある。全量が決められている以上、400ccは男性は年3回以内で12週間後、女性は年2回以内で16週間後となり、十分な余裕を取り戻せるまで、献血はできない。

ここまでやってきて、オチというものはないが、一日の血液製造量、水分で血液量そのものはすぐに回復、年間献血量が決められていることが分かっただけでも大きい。具体的な数字を羅列してきたが、全量と失血死量についてはかなりの幅があるので、参考程度に。専門家ではないので、以上のことの真偽は定かでない。

二度目の献血

時間は昨日の11日、午後に遡る。

車を使って買い物に出かけていて、次の予定まで一時間ほどの時間が空いた。特にやることがなく、車で一旦別の場所に移動しようにも、地味に混雑しているし、再度駐車場に入れるのは一苦労。そこで思い立ったのが「献血に行って血でも見るべー」ということだった。時間が潰せて、血も見れて、血液検査ができるし、ついでに過去のトラウマみたいなものを除去したる!と意気込んで、献血ルームに出向くことにした。

献血は学生時代に一度だけ行っており、10年以上前の出来事で、しかも失敗というオチ。当時はデブで太い腕と細い血管のおかげで、パスタ並みの注射針が血管に当たらず、看護士の人ですら苦労するような状況。腕の中に刺したまま、血管を捜してあちこちに抜き差しを繰り返し、これがとんでもなく痛かった。最終的に、最初に刺した向きから90度ほど曲がって刺されていたが、それでも血管に当たらず失敗。痛い思いしてまで二度と行くか!とトラウマみたいになって、現在に至っていた。痩せた今なら腕は細くなっているし、安静にしていると某ザクの動力パイプみたいに、血管が浮き上がる。これならネガティブな思い出を払拭できるだろう。献血をやれば、同時に血液検査をしてもらえる。年齢が年齢なので、ここで一度血液検査結果を見ておくのは悪くは無い。

献血ルームの受付で古い献血手帳を提出し、10年以上前ながらも日本赤十字社のデータベースには記録が残っていて、受付担当者もよく来てくれたと再会を喜ぶような素振り。今は献血手帳から献血カードに切り替わっており、その説明を受けて身体の状況を答えておく。採血量は当然のように400ccをチョイス。献血前の質問責めや医師の問診も異常なく進み、まずは採血。簡易的な血液型判定と、ヘモグロビン濃度のチェックを受けて、これも異常なし。

事前のトイレと水分補給を済ませたら、いよいよ献血。腕表面の浮き上がった血管に、やはりパスタ並みの注射針を刺され、すぐに血がパイプの中を巡っていく。良かった、血管にヒット。そのまま400ccの採血がスタート。そして急激に冷たくなる手先。体外へ血が出て、冷え性もあって体温維持が難しくなっているらしく、保温しながら採血が続く。だいたい20分くらいで400ccのパックが満タンになって、血がたっぷり見れて満足したところで、採血が終了。十分な休息と再度の水分補給を終えて、献血ルームを後にした。合計一時間を要しており、思ったとおり、次の予定までのいい時間つぶしになって、テンポよく雑務処理を続けることができた。もちろん、過去のネガティブな思い出は消え失せて、もう献血なんて怖くない。次の献血は三ヶ月後、可能日を迎えたらまた出向くことにしよう。

献血手帳と献血カード

人間の血液量は体重の1/13で、失血死に至る量は、だいたい2L程度となっている。400ccの献血で、失血許容量の20%に達している。このため、帰ってきてからずっと倦怠感を覚えており、ついでに眠気も凄まじい。21時には寝ていて、今朝起きたのが7時過ぎだから、10時間もの睡眠時間となった。今朝は、倦怠感はだいぶ落ち着いていて、少々残っている程度。カタチはどうあれ、体外に多くの血を出してしまうことは、何かしらのダメージがあるようだ。

過去の天気

ここ関東では、連日に渡って雨が降り続いており、期間を見れば一週間以上に達し、今日は久しぶりの晴れとなった。梅雨の時期らしいといえばそうなるし、こうも毎日のように続く雨は、どこか懐かしさを感じさせるような…?懐かしい?ついでに、仕事もしないで雑談をしているとき「昔に比べて雨が減りましたね」「確かに」という会話が続いていた。昔に比べて、本当に雨の日は減少しているのか、さっそく調査。過去の天気を掲載しているサイトは数多いし、いくらでも出てくる。

天気に関する最も古い記憶では、どうも幼稚園あたりまで遡る。ついでに小学校低学年くらいまでの、6月末から7月上旬にかけての過去を見てみると、記憶と違って雨は毎日のように降っていないことに気付いた。印象としては、周期的に変わっており、ところどころに晴れの日が存在する。今と比べても特段雨の日が減っているわけではなさそうで、むしろ今年が多い。その割には、雨が減ったという記憶と、雨の日が続くことが懐かしいと感じることは、どうも楽しみにしていたこと、例えば遠足といった校外活動や家族揃ってので遠出などが、雨で延期や中止になったネガティブな記憶としてセットされ、それが雨が続くと思い出してくるようになっているのかもしれない。

私が生まれたその日は、晴れで最高気温は29℃を記録していた。そんなことも簡単に分かるようだ。

頭痛

このところの激しい気温差と、慢性的な疲れで風邪まではいかないものの、慢性的な頭痛を感じている。側頭部を締め付けられるような、ズキズキとした痛みは久しぶりかもしれない。

暑くはないが、湿度が鬱陶しい。そこで冷房を使って除湿すれば、寒さで頭痛が…?ここまで来ると、冷房病の一種か。さすがに今夜は、冷房で部屋を冷やすことなく、寝ることになりそう。

頭痛を我慢しすぎると、今度は胃に来る。頭痛から吐き気を催すので、あまりに酷いようならば、ロキソニンの出番。本来はドライブ用に準備しているものなのに、こういう機会で服用するのは、少々もったいない気がしてしまう。それほどまでに、よく効く薬だ。

再挑戦へ!

2009年の夏、当時の高速道路の料金は、休日に限って上限が1,000円という景気対策が行われていた。このことを利用して自宅→青森→自宅という往復1,400km以上の超長距離走行を『青森日帰り弾丸ツアー』と称してこなし、今考えれば勢いだけでよくやったな…という、自分のことなのにずいぶんな印象となっている。このとき、首都高の辰巳PAを6時に出発、休憩をできる限り抑えて、燃費よりも時間を優先し、ハイペースで走り続けていた。途中で事故渋滞に巻き込まれ、青森に到着したのが、確か14時ごろ。それから遅めの昼食となって、自宅に向かって青森を出発したのが15時過ぎ。復路は単独走行だったこともあって、往路よりもさらにペースを上げ、自宅近くの首都高出口に到達したのが23時半を回っていたという記憶がある。

今回の合宿だけでなく、過去の北海道旅行では、基本的には青森に向かう際は朝4時に家を出て、首都高から東北道に入り、休憩を多く取りながら走る。下り線岩手山SAで昼食となれば、青森ICには14時から15時に到着することができる。つまり、事故渋滞付きの青森日帰り弾丸ツアーに対して、自宅を4時に出て稼いだ2時間分の猶予は、多くの休憩というカタチで使うことができたことになる。

東北道北上中
▲2012年、東北道北上中の一こま。ナビやインパネが更新されていない。

では、朝4時に自宅を出発し、できる限り休憩を抑えてハイペースで走ると、青森には何時に着くのか?という疑問が浮かんだ。単純な予想では、青森に13時ごろには到着できるはずで、そこから一時間の滞在後、14時に帰宅開始。700km以上もの距離を10時間で走り抜けることができれば、0時を回る前には帰宅できるはず?

幸い、筋トレの効果が出てきて、長時間運転による腰痛は減りつつある。まもなく210,000kmを迎えるシビックRの調子は相変わらず上々だし、後は私の体調次第。秋口にでも、この疑問を解決してみようと思う。つまり、二度目の青森日帰り弾丸ツアーだ。

青森合宿・最終日

青森合宿の最終日は、岩手県の北上から東北道を走りぬけ、帰宅するだけとなった。体力と体調の都合で、日が沈む前に自宅に到着できるような走行ペースを計画し、8時前にはホテルを出発、すぐに東北道に入って、帰宅走行を開始することになった。予報では、岩手県を含めて東北地区はほぼ曇り、宇都宮あたりから雨、ところによっては強く降る予想が出ていた。

放射線量

ホテルのエレベータ前には、こんな表示がされていた。データは昨日の時点となっている。この数値が高いか低いかは、ここでは述べない。自宅近くにも測定装置が設置されていて、ある意味では見慣れた表示だ。

上り長者原SAで給油

東北道下り線岩手山SAで給油した後、青森市街地と北上市街地を経由し、東北道上り線長者原SAで二回目の給油となった。481.2km走り、28.2L給油して、約17.1km/Lとなった。街乗り区間があったとはいえ、この数値ならギア比を変える前でも出ていたし、少々不満の残る結果。

LHシステム

大和IC-泉IC間、352.3kmポスト付近に設置されているLHシステム。このときの巡航速度は若干ペースを上げて、90km/hを維持。次の休憩ポイントまでは距離があったためだが、それでも時間短縮効果は僅か7分程度だから、無理して速度を上げる必要は無かったかもしれない。

東北道上り中間点

東北道上りの中間地点を通過したのが、9時37分。下り線はやたらと派手だが、上り線はこのように高速道路の標識特有の緑色とベースの白色のだけというシンプルなデザイン。この後、単調な走行にだんだんと飽きが出てきたのと、関東に近づくに連れて次第に増加し始める他の車、悪化していく天候により、撮影は一切しなかった。

首都高の川口料金所に入ったのが、15時。最短ルートでは渋滞が始まっていて、5kmの渋滞で通過に40分掛かる予想が出ていることから、中央環状線のまま、葛西JCTまでグルリと大回りするコースとなった。さすがに首都高に入れば、一定のペースを保つなんてことは無理で、水を得た魚の如く、元気で乱れた走行パターンに変わっていた。

自宅近く

自宅近くで最後の給油。長者原SAから自宅近くまで438.6km、25.5L給油し、約17.2km/L。やはりリッター17台に留まった。帰宅ラッシュが始まる直前で、自宅に到着。青森合宿は無事に終了となった。


三日間の総走行距離は1,500km丁度、総合燃費は約17.5km/Lとなった。燃費があまり向上しなかった原因はいくつか見つかっている。高速道路においては、S15シルビアを常に先導するカタチで走行しており、追越では緩急をつけて、リズミカルに追い越しを掛けることが多かった。これが後追いなら、先導車の動きを見てアクセルの踏み込み量を控えることが可能になる。道中はSA・PAでたくさん休憩しており、高速道路本線に合流する際は3速と4速で十分にスピードを上げてから、ようやく5速にチェンジするようにしていた。街中でも、5速に入れるタイミングはけっこう遅めだった。ミッションのオーバーホールを終えて10ヶ月、距離にして10,000kmを走って、内部が本格的に馴染んできているらしく、シフトチェンジのフィーリングがとても良くなっている。程よくエンジンが回っている状態でシフトレバーを動かすと、次のポジションにレバー自ら切り替わるような手応えを感じることができる。スムーズなシフトチェンジも、車の運転の楽しみの一つだし、代償として燃費が悪化したことは納得するしかない。

今回の合宿は、ギア比変更に伴う燃費の調査を兼ねていた。収集したデータはしっかり積み重ねていき、今後の長距離ドライブに有効活用することになりそう。

青森合宿・二日目

青森合宿二日目の今日は、いよいよ青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の中を見物。青函連絡船本体は、かつて東京のお台場地区で公開されていたフローティングパビリオン羊蹄丸に訪れていたことがあり、八甲田丸、羊蹄丸共々、やけにリアルなマネキン人形による運航当時の様子を再現したジオラマがある。これでなんとなく状況を察したことから、目に付いたものだけを撮影することになった。

羊蹄丸のグリーン席

「久しぶりだな、羊蹄丸」と、こんなところで羊蹄丸の一部分と再会することになった。羊蹄丸のグリーン席で、座席本体を改めて見直すと、N700系のグリーン席が思い浮かんだ。頭部の枕部分に備わった読書灯、シートバック部の手すり、フットレストの位置などなど、見れば見るほど先祖返りしている気がしてくる。

安全綱領

掲げられていた安全綱領を発見。研修の締めには、必ず唱和している。

八甲田丸ブリッジ

八甲田丸のブリッジ。連絡電話を耳に当てているマネキン人形が置かれている。こうして写真を通してみると、後姿がやけにリアル。ブリッジからエンジンルームへの見学コースが設定されており、船内のエレベーターで降りる。

エンジンルームが近づくにつれて、趣味全開モードに切り替わっていく。

制御コンソール

たくさんのアナログ計器、機械式スイッチ、無数のランプ。運航当時、ここには何人の乗組員が詰めていたのだろう。

無線装置と思われる基板

金網に掲げられていた、無線装置の一部と思わしき基板。今なら複数の小さなチップでコンパクトに実現するところだろうが、このときはトランジスタがあちこちに装着され、おかげで規模が大きくなっている。

東芝のIC

目立つ大きなICは、東芝製。残念ながらデータシートが見つからず、このICが何をやっているのかは不明のままとなった。

八甲田丸の主機

ついに来た、エンジンルーム。合計4機のエンジンが写っている。まずは諸元を。

川崎MAN V8V22/30mAL型ディーゼルエンジン
45°V型4サイクル16気筒(ターボ2基付)
ボア220mm ストローク300mm
定格出力/回転数 1,600PS/750rpm
圧縮比15.3 機関乾燥重量約11.3t

エアクリーナーとコンプレッサー

エアクリーナーとコンプレッサーを見る。エアクリーナーは剥き出し型で、ターボ本体に直付け。

エキマニ、タービン、排気パイプ

こちらはタービン側。エンジン内部から斜めに配置されているのがエキマニで、タービン本体は見辛い位置にある。それから上に向かって立ち上がる銀色の巨大な筒が、排気管となる。

主機全景

エンジン単体。片バンクに一機のターボが備わる、ツインターボとなっている。全開運転時には、エンジン本体の騒音とターボの高音が響いていたに違いない。

インタークーラー?

コンプレッサーの先には、インタークーラーのような部分があった。インマニに至っては、ただのパイプのような印象。高回転まで回さないのと、ターボによる過給で常に高圧の空気が充填されているため、こんな具合でも間に合ったのかもしれない。

エンジンヘッド

開いていたエンジンヘッド。インテークバルブ、エキゾーストバルブ、そしてインジェクターと思われる部品が備わる。ヘッドの構造からして、OHVに分類されるのだろうか。

マルチプルギヤードディーゼル式

船体のサイズに対して、小さなエンジンを複数積んでいる理由が説明されており、広大な車両用スペースの確保、低重心化の実現のためとなっている。現代で言うところの、ダウンサイジングコンセプトみたいな感じに思える。

エンジンルームの見物を経れば、見学コースは終盤となる。このとき、船体の補修工事真っ最中で、一部の展示スペースが公開休止となっており、割りを食らったのが車両甲板。展示車両に近づくことができず、頑張って写真に収められたのがキハ82系だけという…。

キハ82-101

後のキハ181系に受け継がれていく顔面のデザイン。次回来ることがあれば、今回見れなかった部分をしっかり見なければ。

こうして、八甲田丸の見物を終えて、青森合宿の目的を果たした。昼食を終えたら、早くも帰宅コースに入る。往路だけでなく、復路でもう一度700km以上を走り抜けることは避けたかったこと、地方の夜間は本当に暗く、安全を考えれば走行を控えたかったことから、日のある時間帯にできるだけ南下しておく。走行ペースを勘定して200km少々走っておき、中継地点を岩手県の北上に設定。17時になる前にホテルに到着し、二日目が終わる。

青森合宿・初日

事の発端は、こちらのS15オーナーによる「青函連絡船を見に行きたい」というもの。船の科学館で公開されていた青函連絡船の羊蹄丸は公開終了し解体されたので、今も見れるとすれば青森の八甲田丸、函館の摩周丸となる。ついでに私のシビックRも、5速のギア比を変更してから超長距離走行による燃費の変化を調査したかったこともあって、それならば青森に行くか!となり、出発することになった。

3時半起床、4時ジャストに雨の中出発。路面状況が悪く、安全確保のため首都高内は若干遠回りのコースとして、集合地点の蓮田SAには5時に到着。小休止した後、いよいよ北上開始するが、この時点で福島西IC→福島飯坂IC間で事故による通行止めという不吉な情報をキャッチ。現場までは200km以上あるので、到達するまでに通行止めが解除されることを願って、走行を続ける。東北道の全線走破は今回で四回目となり、さすがに目新しさもなくなった。またもや雨模様だが、長時間日に照らされてしまうよりマシかもしれない。

雨の東北道

基本的には左車線のペースメーカーと化する。エンジン回転数は2,500rpm、速度は80km/hを少々上回るあたりを維持すれば、ずいぶんと静かな車内になることが分かった。特に急ぎの旅ではないし、のんびりペースで走り続ければ燃費も良くなるだろうか。懸念していた福島西IC→福島飯坂IC間の通行止めは解除されて、走行に支障はなし。

東北道下り中間地点

休憩を挟みつつ、出発から6時間が経過。東北道下りの中間地点を通過する。さらに走り続け、昼食目標及び東北道下り線最終給油ポイントの岩手山SAに近づき、燃料計の指針を確認すると、去年の北海道ドライブのときとは、ガソリンの残量が明らかに違っていた。

ギア比変更による違い

トリップメーターの数値は、できるだけ揃えてみた。去年はこの距離数で岩手山SAに到着できたが、今回は首都高内を遠回りした関係でまだ到着しておらず、ここからさらに3kmほど北上する。岩手山SAには川口ICから7時間、12時半前に到着した。昼食休憩後、さっそく給油。580.5km走って32.19L補給し、燃費は18km/Lとなった。18台後半に届くかと思っていただけに、少々期待外れの数値だ。気を取り直して北上を再開、途中で時間調整を兼ねて休憩しつつ、15時40分に青森駅到着。駅ビルに車を止めて、軽い散策を開始。

八甲田丸船首

今回の目的地となった、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸。中に入るのは明日にするとして、今日は周囲を歩き回るだけにする。激しく錆びる喫水部分。

八甲田丸船尾

船尾は車両搬入口となる。信号灯、巨大な扉、貨車海中投棄装置の跡、僅かに見える線路と、普通の船とは明らかに違う装備がたくさん。ついでに日本国旗はボロボロ。

機械遺産認定の可動橋

唯一残っている可動橋より、八甲田丸の船尾を眺める。船体を岸壁にガッチリと繋留しているため、目に見えるほど傾いている。

八甲田丸のスクリュープロペラ

スクリュープロペラは船体から外され、広場で展示されていた。船体に装着させたままだと、海水が媒体となって電食を起こしてしまうため、こんな展示方法に落ち着いたそうだ。可変ピッチプロペラで、プロペラピッチを変えることで、回転方向は維持したまま、前進と後進が可能となる。

スクリュープロペラの傷

スクリュープロペラの表面には、キャビテーションによるエロージョンと思わしき傷があった。

今日は津軽海峡線で、快速海峡が復活運転を行う日となっていた。駅のホームは、既に鉄道ファンが集結しつつあった。列車の到着予定時刻まではあと少し。ついでに見に行くことにして、入場券で駅構内に入り、列車を待つ。

復活した快速海峡

来た。ED79形電気機関車に牽引され、ホームに滑り込む快速海峡。到着後、機関車はすぐに列車から離れて、入れ換え線に転じて行った。集結した鉄道ファンといえば、某大宮駅の混沌な環境をイメージしていたが、ここでは静かなもの。

14系座席車

久しぶりに14系座席車と対面。こうもまじまじと14系座席車を眺めるのは、もしかしたら10年以上ぶりかもしれない。

回送準備

列車の反対側では、回送準備が進められていた。DE10形ディーゼル機関車を連結し、近くの車両基地へ持っていく。

こんな具合で、八甲田丸以外にも津軽海峡の役者だった海峡号まで見ることができた。満足のうちに撤収を開始、予約していたホテルに移動して、青森合宿の初日が終了した。