ソーダスプーン

普段使用しているソーダスプーンはマドラー代わり。一本しかなく、使って洗い桶に放り投げているのを忘れて「あれ?ないぞ?」と探し回ることは数知れず。洗い桶の底に沈んでいるソーダスプーンを見つけ、洗ったはいいが完全に乾くまでは使えない。先述したように、マドラー代わりに使うことが多く、粉末状の材料をパッケージから取り出す場面では、少しでも湿気があるとパッケージ内の粉が傷んでしまうからだ。湿気が残ったスプーンの失敗として、ビン入りのインスタントコーヒーをカビさせたことがある。

もう一本、ソーダスプーンを追加するべ…ということで、思い出したのがジェイアール東海パッセンジャーズから発売されたN700Sソーダスプーンの存在。すぐに手配して、カトラリーケースの中に納まることになった。

N700Sソーダスプーン

柄の長さが十分にあり、深いコップでのマドラー代わりとしては好都合。

N700Sのイラストとエンブレムはスプーン本体に転写されており、スポンジによる擦り洗いを続けるうちに、薄くなっていくだろう。とはいえ、これで600円なら極めて良心的な価格であり、長く使えることは間違いなし。

3台目のCX6

当Webサイトの写真は基本的にはリコーCX6を使っている。マクロ機能が強力で、基板上の部品、腕時計の歯車の軸を撮影するときに重宝している。使い慣れた背景もあるが、過去に破損した際にはわざわざ新品未使用のCX6を見つけ、再購入したほど。

先日の広島ドライブの終盤。ゆめタウン呉の駐車場で荷物整理を行っていたところ、バッグの口が開いていて、さらにケースに収まっていなかったCX6が落下。カッシャーンと乾いた音を響かせて、アスファルトに転がった。

「やっちまった!」と急いで起動して点検してみるが、一応は撮影はできた。良かった、落下のダメージはなさそう…とこのときは思っていた。帰り際、風景を撮影しようとカメラを構えてみると、どうもピントが合わない。シャッターボタンを半押しするとなんとかピントが合うが、シャープさがない。

どうも落下の衝撃で、レンズのメカに何らかの不具合が発生している様子。工夫すればなんとか撮影することはできるが、遅かれ早かれダメになってしまうことが予想される。2011年発売で既に11年前の古いモデルであり、修理サポートは対象外。それ以上に厄介なのが、当Webサイトの運営に支障が出てしまう点。

けっこうな緊急事態だったので、支出は度外視。1個だけ残っていた新古品を購入し、本日到着。

新旧CX6

左の黒モデルが今回壊したCX6。総ショット数は6,727回で、使用のストレスによりズームレバーやコマンドボタンの接触不良が発生、誤作動が多発していたりする。レンズの駆動メカがだいぶ怪しい音を出すようになっていて、今回の落下事故が無くても将来的には故障していた可能性がある。

右の銀モデルが、緊急入手したCX6。新古品なので総ショット数は50回を超えている。全般的に音が静かで早く、本来はこんなにスムーズなのか…と実感させられた。

もう後がない状態まで自ら追い込んでしまい、丁寧に扱おうと猛省。OM-D E-M10 Mark IIIにマクロレンズを組み合わせてもいいのだが、機動力という点ではCX6のほうが勝る。

CASIO G-SHOCK GA-100GB/5081の電池交換

「気づいたら動いていませんでしたー!」と持ち込まれたのは、カシオG-SHOCK GA-100GB/5081。確かに運針は止まっていて、液晶の表示も消えている。

カシオ G-SHOCK GA-100GB/5081

それにしてもこのデザイン、見覚えがあって電池交換をやった記憶がある。自分のblogがそのまま作業日誌みたいなものなので調べてみると、2021年7月4日に同系列モデル、GA-100CF/5081の電池交換を行っていた。

モジュール番号5081が示すように、カラーデザインは異なるものの、GA-100CFとGA-100GBの内部構造は基本的に同一。よってGA-100GBの電池はCR1220を一つ使用することになる。

新しい電池をセットしてみると、すぐに運針を再開。日付、時刻、0点調整を行い、一晩様子を見てからの返却となる。残業で遅くなったところに電池交換依頼だから、帰ってきてからもずっとバタバタしっぱなし。ご依頼ありがとうございました。

ドライブ後の清掃整備とか

広島から帰ってきたら、すぐにドライブ後の簡易整備だ。

フロントバンパーを外して、まずはグリルに絡みついた虫の死骸、路面のゴミ、小石や枯れ葉を掻き落とす。ラジエターとコンデンサーのフィンに挟まった砂や虫の死骸の破片もブラシで掃き掃除。

続いて、車内も清掃。雨の中を走り続け、ついでに太陽のある方角に走る場面が多く、気になったのはフロントガラス内側の汚れ。シビックRの運用パターンが変わって、ガラス清掃を少しサボったことが直接原因。エタノールを主体にしたガラス清掃剤を使って、しっかりと拭く。

靴から舞い込んだ砂も多く、車内のカーペットは妙にザラザラしている。踏切での列車撮影、港湾地区を歩き回っていた関係がありそう…ということで、掃除機で砂をどんどん片付ける。

車内清掃道具

朝から涼しく、清掃日和と思っていたら気温はどんどん上昇していく。普段とあまり変わらぬ暑さになり、汗だくで作業を続けていた。一通り終わり、さてエアコンダクトの乾燥も兼ねて、首都高をひとっ走りしようかと考えたが。出張からの弾丸ドライブは思った以上に疲労感が残っている。安全性を考えて、その場での乾燥運転に留めた。

冷却水の量やエンジンオイルの量もチェックしておき、後始末はこれでOK。

大和とあきしお

番堂原第4踏切で貨物列車を見届けたら、次は呉市にある大和ミュージアムと海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)へ向かう。

原爆ドームを中心として見れば、市街地は平地ながら山に囲まれた地形となっており、しかも短距離でけっこうな角度の坂が続く。昨晩、やたらと暗い中を走り続けることになったが、市街地の光が周囲の山に遮られていたことで、より暗い環境になっていた。ネオンが発達した現代でこの暗さなら、戦時中の夜はもっと暗かった。そこに空襲で攻めてくるのだから、全く想像できない恐怖があっただろう。なにより安心して寝ていられないのが辛い。

ゆめタウン呉の駐車場の背後には、ゆうしお型潜水艦の『あきしお』(SS-579)がいて、ここではこれが日常の風景。自分の車と潜水艦のリアセクションを同時に撮影できる、唯一の場所だったりする。もちろんスクリューは偽物で、外板部分のあちこちにも防諜のために加工が施され、作り替えられている。

大和ミュージアム、海上自衛隊呉史料館と続けて見学したが、撮影は殆ど行わなかった。時間に余裕がなくて、まずは見ることに集中していたこと、特攻で人が死んでいるという重さゆえにわちゃわちゃする場所ではなかったこと。潜水艦内部も見学できるが、あの特有の狭さは写真では絶対に分からず、身をもって体感していたほうが良かったこと。潜水艦内部に関しては、防諜の観点からも撮影しようとは思わなかったが。

大和波止場から内陸を望む

近くには大和波止場があり、戦艦大和の実寸サイズを再現したパネルが設置されている。大量輸送を担う商船とは異なり、それだけで戦艦一隻分の重量を誇る主砲を複数搭載し、さらに高速航行せねばならない性質から、船首部分は大きく湾曲した船体になっていることが実感できるようになっている。緑地帯には大和の錨が置かれ、その奥には海上自衛隊の活動を伝える任務に就くあきしおが見える。

海上自衛隊油船25号型

ちょうど海上自衛隊油船25号型(YO27)が出港した。

計画されていた予定は全てクリア。都心に向かって帰宅を開始。総走行距離は1,800km、全線でエアコンを使いながら平均燃費は17km/Lと極めて好成績。弾丸ドライブ、大変おつかれさまでした。>S15オーナー

セノハチ番堂原第4踏切へ行く

ホテルで夜を明かして、朝は鉄分補給。近くに山陽本線八本松駅と瀬野駅間の『セノハチ』があり、どういう区間か見に行くことにした。

山陽本線の八本松駅から瀬野駅は、鉄道路線における難所の一つ。瀬野駅から八本松駅に向かっては、最大22.6‰(パーミル)の急勾配区間があり、貨物列車はその編成重量から先頭の機関車だけでは登れない。そこで貨物列車のケツに、「補機」なる別の機関車を連結。先頭で引っ張るだけでなくケツからも後押しして、山越えを毎日行っている。

この難所を攻める貨物列車を眺めようと、番堂原第4踏切へ向かう。八本松駅を基点とすると、国道2号から並行する県道46号に入り、瀬野川沿いの小道に入ったところにある水神社を第一目標とする。水神社を左手に見ながら西進すると、すぐに番堂原第4踏切に到着する。

Google Mapでの解説リンク

番堂原第4踏切その1

到着。なるほどここが名物ポイントの踏切!と感激し、同時に周辺散策。残暑を意識させられる気候ながら、都心のように蒸し暑くはない。蝉しぐれとトンボが飛び交う自然豊かな場所で、大きなトンボ…ヤンマが当たり前のように飛ぶ。

番堂原第4踏切その2

線路を含めた路面の凹凸はけっこうな具合、車高が低い車だとフロア下を擦るかもしれない。車一台分しかない狭い道ながら、一方通行ではない。しかも生活道路ゆえに地元住民の車が頻繁に往来する。地元の車を最優先して、行儀よく静かにするのが鉄則。鉄道ファンなら、こんなことは書くまでもない当たり前の常識だと思うのだが。

八本松変電所

勾配区間を駆け上がる電気機関車への大電力供給用として、八本松変電所が設置されている。過去には大出力の電気機関車(EF200、定格出力6,000kw…8,157.6馬力)のパワーリミッターを解放するために増強工事も行っている。しかし、輸送需要の低迷で大出力電気機関車はパワーリミッターを解除しないままの運用が続き、2019年には運用そのものが終了。

架線の設置が上り線と下り線で異なる

大電力を給電できるよう、上り勾配となる上り線の架線は二重に張られている。対する下り線は坂を下ってくるので電力はさほど必要とせず、よく見られる一本モノの架線となっている。

架線断路器

受電設備や架線断路器も忘れずチェック。どこを動かせば電気が遮断できるか、すぐに見えてしまうのがある種の職業病で嫌なもの。

さて、勾配を駆け上がる上り貨物列車はいつくるのか。ダイヤの目途は立ったが、30分以上は待つことになった。秋口とはいえ、まだまだ厳しい炎天下。僅かな日陰を探しながら、日焼けを防ぐ。

上り貨物列車通過開始

待ちに待った上り貨物列車がやってくる。先頭の機関車はEF210-312。ノッチを入れている(車でいうところのアクセルを踏んでいる)ためか、独特の低い唸り音が山の中に響き渡る。

貨物列車通過中その1

番堂原第4踏切から先、八本松駅方面は緩いS字カーブと16.7‰の勾配となっている。普通列車と違い、貨物列車の長さを実感できる。

貨物列車通過中その2

ところどころに空の貨車があるのが残念。機関車のハンドルを握る運転士は、貨物の中身や重量状況までは分からず、コンテナの状況だけで「重い」「軽い」をイメージするのだとか。そこに雨が降れば線路は濡れて滑りやすくなり、後押し運転にも影響が出てくる。よって運転状況は毎日変わり、それを踏まえた職人技。

再び低い唸り音が聞こえてきたら、編成が後端までやってきた証拠。

後押し機関車が押し上げる

後押し担当の補機機関車は、先頭の機関車と同じ形式でEF210-314だった。過去はEF67形という、セノハチ後押し専用のオレンジ色の機関車がいたが、2022年3月に運用終了。以後、このEF210形300番台が後押し担当となっている。

貨物列車の通過を見届けた。朝から炎天下でのスタンバイを続けたおり、熱中症の予兆が出始める。これは危ないと、車に戻って水分補給と体を冷やしつつ、次の目的地へ向かう。

今度は広島へ

大阪から帰ってきて、一晩寝たら今度はシビックRで広島へ行く。ここからは完全なるプライベート。出張の疲れが少々残っており、そこから800km近いドライブは危険性がある。そこでいつもより遅く出て、暗い中で走ることは避ける。と言っても4時起床の6時出発だが。

関東圏から出発し、いつもは中央道から名神を使って関西圏へ向かう。今回は心身への負担低減目的で、新東名と新名神というシンプルルートを採る。

中国地方は基本的に中国道を使って横断する。平日でも車が少なく、中央道以上にカーブが多く、長距離運転にはちょうどいいため。

中国道の急カーブその1

新見付近では高速道路らしくはない、R=260のカーブが続く。最もキツいカーブはR=250に達する。

中国道の急カーブその2

急カーブと勾配で、サーキットか?と思える線形も存在。適度に休憩しながら広島市街地へ滑り込んだのが夕方。一旦車をデポしておき、徒歩で市街地を徘徊。

原爆ドーム

しっかりと見ておきたかった原爆ドームを訪れる。遠い昔、チラッと見た曖昧な記憶しかなく、マジマジと眺めたのは今回が初。映像や画像で見る原爆ドームは大きいものと思っていたが、実際に見ると小さな建物という印象。

1945年(昭和20年)8月6日(月曜日)の午前8時15分。リトルボーイ(Mk.1 ガンバレル型原子爆弾)が投下され炸裂。周辺一帯は一瞬にして破壊。それから77年経過した現在、ビルが林立する都市になっている。原子爆弾による攻撃で、一帯が焼け野原になっていた過去の出来事に唖然するしかなかった。

その他、お好み焼きで食物繊維を補給しておき、路面電車にも乗ってみて、さくっと観光。夜も更けてきたので、ホテルに向かって移動開始。

大阪からずらかれ!

大阪ではタクシー通勤となる。

タクシー通勤

タクシーにも上座、下座というのがあり、私が座る助手席は下座となる。では上座は?リアシートの右寄りが上座となる。

仕組みは簡単で、万一の事故の際、運転手は左に避けながら衝突する。エンジンルームが潰れ、フロントシートに座る面々はハンドルやダッシュボード、フロントガラスに突っ込む。対し、リアシートに座る人はフロントシートにはぶつかるだろうが一種のクッションとなり、鋭利な部品での負傷や車外に投げ出されたりする可能性は減る。

…と、世間のビジネスマンは上座下座に気を遣うのだろうが、ここでは全く関係なし。「車好きは前でしょ」と言わんばかりに、ほぼ自動的に助手席モード。

仕事については、オペレーション『帰宅戦隊カエリタインジャー』を発動。「そこ、聞きました」「それ、OKっす」「口頭アドバイスに留めておきましょ」と時短作戦に出る。最終的に「飲みに行きます?」と言われれば「明日、予定ありです」と答えておく。

山側の車窓

「よし、ずらかるぞ!」と、のぞみで一気に関東を目指す。こちらでもタクシーを捕まえて素早く帰宅。

売り切れか!

大阪出張の日。以前の出張の際、とんでもない恰好(※)で出向いたため、見事に目を付けられて「ヤツには任せられん」となったと思われた。そんな引き継ぎは無効化されたのか、今回の担当者としてヒットしてしまう。しかも世間の情勢に併せて、とんでもない恰好が『公認』となっており、それまでの扱いは何だったのか。時代は変わるものだが。

新幹線に乗って、大阪まで2時間半。さて、例のアイスを食べてみようと思い付き、車販のカートが訪れたときに注文。同時に「アルミのスプーンあります?」と言ってみるが、どうやら「売り切れですぅ」と残念な返答を得る。こういうオチがあることを踏まえ、品川駅でアルミスプーンを探し回っていたが、どこにも売っていなかった。

プラスプーンでシンカンセンスゴイカタイアイス

『シンカンセンスゴイカタイアイス』と表現されるだけあって、鈍器として使えるのではないかと思える硬さ。それをプラスプーンで食べることになり、紙カップとプラスプーンを壊さないようにアイスをせっせと砕いていた。

※とんでもない恰好…クールビズのこと。認められたのは今年から。

商店街の通行止めとか

商店街という言葉は、レトロで、ノスタルジック、古き良き時代をイメージさせられる単語のように思うのは私だけだろうか。

各地にある商店街は、夕方の時間帯になると軽車両と緊急車両を除いて車両通行止めとなることがあり、車の進入を拒むかのように、道路の中央に仮設看板が引っ張り出される光景は当たり前だったと思う。

その商店街も、16時から19時の間は一応は車両通行止めになっている。実際は国道の抜け道かつショートカットコースとなっていて、この時間帯でも当たり前のように車が走っており、すっかり形骸化。

商店街の通行止め

かつては指定時間になると道路の中央に置かれていた記憶があり、歩行者もそれなりに多かった。では家路を急ぐ自転車ばかりが走っており、商店街の買い物客らしき人は少数といった印象。

この仮設看板は、記憶のある限りでは長らく現役。一方でメンテナンスも全く行われていないのか、退色と錆でボロボロ。商店街の組合と、近隣にある警察署名も出ているが、本腰を入れて対策しようという気はないのかもしれない。