球切れ

気の早い夏日が続いたおかげで、完全にダウン。今日も真夏日で、ジリジリとした暑さが続き、しかも無風。光化学スモッグ注意報まで出るほどなので、日中は部屋の掃除を兼ねて、部屋で過ごす。注意報が解除された17時過ぎになって、ようやくドライブに出かける。日中の暑さは収まっており、心地よい風でいくらか涼しくなっている。窓を全開にしておけば、気持ちよく走ることができる…はずだった。

運河の橋を渡り、青信号を視認するが、タイミング的にそろそろ信号が切り替わるはず。念のため、足はアクセルからブレーキペダルに移しておく。青信号が消えて、黄色信号が点灯…することなく、消灯。はい!?と、突然の出来事に少々強めにブレーキを踏むとして、赤信号が点灯したのでいつもどおり停止。何があったのか確認するために、車を端に寄せて、問題の信号を見てみると…。

球切れを起こした信号

電球の球切れだった。信号を光らせる電球が切れてしまったようで、青信号と赤信号は異常なし。運良く(?)見つけてしまったことから、どうしたらいいのか分からず、とりあえず110番。事情を話すと、感謝の言葉と共に今から警察官を向かわせるとのこと。信号の球切れを見つければ、110番で構わないという。ドライブの途中だったので、いつでも電話を受けれる状態にしておき、現場を後にする。

しばらくして今度は対向車線を走り、通報現場を通過。制御器箱に警察官が集まっており、何かの確認をしていたことから、すぐに電球交換も行われるはず。なかなか珍しい、信号機の電球の球切れ。電球は切れる前に交換しているようだが、完全ではないのか、今日みたいな事象も発生するようだ。

エンジンミュージアム

二週間前となる9日は日産追浜工場を見学、今度は横浜工場に併設されている、エンジンミュージアムに出向く。

日産エンジンミュージアム

様々なエンジンが展示されており、趣味と職業病が同時に発動、全体を舐めるように見たり、出来栄えの感触を確かめてみたり…。ターボエンジンが多く展示されており、タービンの具合をチェックしてしまうのは、もはやお約束。平日で誰もいないことを最大限活用し、展示品全てを細かく見ていたものだから、見学時間は三時間半を超えていた。決して広くはない建物ながら、かなり歩き回っており、脚の疲れは相当なもの。

日産エンジンミュージアムとシルビア

ノーマル然とした、美しい姿を保ち続けるシルビアと共に。タービンを交換してからというもの、街乗りが本当にラクになった。チューンと車のバランスがよくなると、走っても遅く感じたりする。静かで、振動が少なく、超スムーズ。なかなか到達できない、究極の世界だ。

大人の社会科見学

今日は日産自動車追浜工場見学の日。小学校の社会科見学の一環として過去に訪れており、恐らく20年ぶりくらい。小学生の目線と、大人(但し、精神年齢は子供)の目線では、見学の印象はどう変わってくるのだろうか。

日産追浜工場

日産自動車工場へ、ホンダ車が3台も乗り込むこのアウェー感が最高。同行者はサボリーマンFD2レイなGP5。そして当雑記帳で頻出するS15シルビア。シルビアは生産工場は異なるものの事実上の凱帰となり、やっぱり映える。

まずはじめに、講習室でのパワーポイントと動画による机上学習。日産CEOのカルロス・ゴーン氏が日本語で語るビデオメッセージ付。日産生産方式…NPW(Nissan Production Way)の解説があり、受注生産を基本思想としていることを解説していた。

これならば、在庫に頼ることなく、フレキシブルな対応ができるとのこと。そして顧客にとっては、納期が分かりやすくなるメリットがあるようだ。部品製造業者も並行して紹介していたが、公道を利用して納入を行っている以上、渋滞などのトラブルで遅延は必ずある。このあたりの調整等をどう処理していくか。イレギュラー時の対応が気になってしまうのは、職業病の影響らしい。

次に案内バスに乗り、追浜工場周辺を案内される。部品製造業者の工場が林立し、街全体が一つの工場として成り立っている。輸出される車、輸入される車が待機する専用埠頭にも立ち寄る。ところどころに、日産以外の車が並べられている謎な光景も。

自動車製造ライン
▲画像は日産グローバルサイトより引用

そしていよいよ、ライン見学。車種を混合した一本のコンベアによる流れ作業で、あらゆる車が組み立てられていく。エンジン自動車が過ぎたら、次は電気自動車が来るなんて当たり前の光景。間違うことなく組み立てるには、やはり人間の方が有利。5月の初夏の陽気でも、工場内は既に暑く、汗をかきながら動き続ける作業員も。となると、夏のピーク時は大汗をかきながらの作業か。スポットクーラーはあるものの、夏は相当辛い環境になるはず。そのためか、工場内のあちこちに飲料水の自動販売機が設置されている。

完成試験場では、回転ローラーによる100km/hまでの加速と、ブレーキング試験を見学。アクセルはかなり踏み込んでおり、エンジンの回転数も高め、しかも手荒…。アタリのついていない駆動系に、いきなり負荷を与えて大丈夫なのだろうか。納車してからの慣らし運転も手遅れに思えてしまうが、工作精度の向上もあるだろうし、いまいち判断しにくい点だった。これで全行程が終了。最も見たかった、エンジンやサスペンションの装着作業は見ることができなかったのが残念。

小学生だった当時は単純に「すげー」で終わっていたが、今回はダラダラ書いたように、短い見学時間ながらも細かい部分を見ていた。これが小学生の目線と、大人の目線の違い。事前調整はかなり面倒だったが、無事に終わって一安心。お疲れ様でした。

マクロ

AMD AM27C512 CMOS UV EPROMを用意する。

AM27C512

チップを鑑賞するためだけに、窓ガラスを封じていた銀テープを除去。肉眼で見ると、512kBitのチップが虹色に輝くので、独特の美しさがある。このチップを頑張って接写してみたのが、以下の写真。

AM27C512チップ本体

チップは縦3mm、横4mmほど。ピントは、正方形のチップの間(白い部分)の上側に合わせた。輪郭が少々ボケているが、接着剤の上にチップ本体が固定され、上下それぞれに14本のボンディングワイヤが伸びていることがハッキリと分かる。拡大鏡を使って肉眼で見ても、チップとボンディングワイヤの接続部分なんか分からない。一見、平坦な印象を持つが、実際は凹凸な部品が周囲に配置されていることまで分かる。特別な道具を使わず、当サイトで大活躍中のリコーCX3単体で、ここまで撮影できれば十分だと思う。

再開

何かと話題を提供してくれるボーイング787。先月末から臨時便として運行再開していて、今日からは定期便が再開した。

ドリームライナー

ある日、全日空の格納庫へ行く機会があった。これで日本航空と全日空の両方を訪れたことになる。格納庫に何がいるかは当日まで不明で、究極のハズレは何もないことになり、それだけは…と願いたくなる。引退が近づくボーイング747なら最高だし、ボーイング777(特に-300)でもいい。あの超極太エンジン一つでも、見る価値がある。

実際に入場すると、そこにいたのはボーイング787だった。運行再開に向けて、入念な準備を行っている真っ最中。巨大さはないものの、間近で見れば十分に大きく、そしてはっきりとした美しさを感じた。新幹線でも同じことが言えて、新機種になるにつれて、無駄のない滑らかなデザインが、一種の美しさとして感じているらしい。この機種の特徴の一つとして、ボディ本体は複合材でできており、Made in JAPAN。従来の合金製ボディとは、全く異なったコンセプトでできている。その割には、従来の合金製ボディのようなリベットの痕跡があちこちにあり、一見すると違いなんて全く分からない。一度は乗ってみないと、ボーイング787を完全に理解したとは言えない。また日帰りで飛び回ってくるかな。

制限だらけだった日本航空と違い、全日空は緩かった印象を持った。この写真は、全日空によって事前にチェックを受けており、正式に公開許可を得ているものだ。セキュリティを考えると、こんなことは普通は考えられない。他にも見学一つにしても、機体に触れられるくらいまで接近することが許された。いろいろ見学していたりするが、ここまで緩い制限は初めてかもしれない。

運行再開に向けて仕事が多い中、見学を受け入れてくれた全日空に感謝します。

さよならダグラス

今日でJALのMD90が退役となり、日本エアシステムが独自に導入した機体が姿を消し、同時に日本の空を支えてきたダグラス機の歴史に幕が下りる。乗った回数は数える程度しかないけど、ボーイング機にはない独特の雰囲気が好きだった。もっと振り返ってみると、かつて存在した三発機のDC10には散々乗ったし、意外とダグラス機とは接点が多かったらしい。乗り収めを考えてみたけど、時間的余裕、金銭的余裕の両方が無くて、とうとう実行できず。

JAL MD90
JAL MD90/(c)Rainbow Island

「なんでエンジンがケツについてんだろ?」と子供ながらの疑問を持った機体。それが東亜国内航空時代のDC9だった。まさかこのときから、DC9/MDシリーズを見続けることになるとは。黒澤仕様のMD90に至っては、1号機から7号機全機種のプラモデルを作ったし、今もクリアファイルやピンズは宝物として保管している。細くて長い機内に、妙に地面が近い低い視点。エンジンの吸気口と可動翼の両方が見れる『特等席』の存在。乗って楽しい機体だった。印象深いヒコーキが日本の空を離れていく。ありがとう、さようなら。安全運行を支えてくれた人へ、お疲れ様でした。

ゴーアラウンド

一日中風の強い日だった。建物に対して真正面から風がぶつかるので、老朽化している現場の屋根はギシギシと変な音を立てていた。夜になっても風はいくらか残っていて、どこからともなく聞こえてくるのはターボファンエンジンが出力を上げた時に鳴り響く音。別に珍しい音ではないのだが、この時間帯に上空から聞こえてくるとなれば、真っ先に考えられるのはゴーアラウンド、着陸復行だ。flightradar24.comを開いて、先ほどのターボファンエンジンの正体を調べてみると、日本航空JL028便だった。香港国際空港発、羽田空港着の便。B滑走路に降り立とうとしてゴーアラウンド。まるで東京湾遊覧飛行の如く、房総半島をぐるりと回って我孫子市まで北上、旋回して再度羽田空港に向かう。

ゴーアラウンド後の飛行経路

ゴーアラウンドを行った結果、こんな航路に。30分近く遅延してしまったが、安全確保のためなら仕方ない。JL028便を追いかけている最中、千葉上空でホールド(空中待機)している機体を発見した。

ホールド中の航路

キャセイパシフィック航空CPA542便、この便も香港国際空港発、羽田空港着の便だった。ゴーアラウンドによりJL028便を迅速に羽田空港に着陸させなければならないのか、一旦CPA542便をホールドさせる。その間にJL028便を追い越させ、ホールド解除後はJL028便の航路をトレースするようにして北上。我孫子市上空から羽田空港へ降り立つ。おかげでCPA542便も遅れてしまったが、どうも香港国際空港を出発する時点で遅れていたらしい。予定よりも遅い位置を飛んでいたせいで、ホールドを食らったとも考えられる。

遅延に遅延が重なってしまうと、余計に遅れるというのは、どの輸送業界も一緒のようだ。やはりダイヤどおりが一番いい。見たいと思ってもなかなか見れない、航空機の遅延処理。上空を常に動き回るという点では、鉄道の遅延処理よりも難易度が高い気がする。

二年

地震発生から二年が経過。

震災前

平屋の伝統的日本建築を思わせる家。緑に囲まれ、どこか懐かしい感じも覚える。すぐ横に木々が生い茂って、井戸もある。森遊びから水遊びを問わず、フィールド遊びにはもってこいの場所。撮影場所は福島県双葉郡富岡町、2010年6月のこと。撮影から約9ヵ月後、東北地方太平洋沖地震が発生。直撃を受ける。

震災で時間が止まったような状態に

倒壊はしなかったものの、すぐ近くの福島第一原子力発電所事故に巻き込まれ、警戒区域になってしまい避難を余儀なくされた。2012年11月、一時帰宅の許可が下りて、住み慣れた家にわずかな時間だけ戻ることができた。人の手を離れてしまった家屋や緑はあっという間に荒れてしまい、まるで時間が止まったかのようにも見える。このときの放射線量は0.007mSv(7uSv)ほどだ。私の地元の値(平均最高値0.000050mSv/0.05uSv)とは比べ物にならない値が記録されていた。

住めるレベルになるまで、この先何年かかるかは分からないが、避難が終わって家に帰ってこそ、復興と言える。写真を通じてだけど、忘れてはならない警戒区域の惨状を知ることができた。震災はまだ現在進行形で続いているということ。

写真の提供を感謝します。

はれときどき○○

子供のころに読んだ絵本「はれときどきぶた」において、○の中に∞を書いたブタの天気記号が出てくる。それが現実世界における煙霧というわけで、その当時は煙霧ってどんな天気だろうといろいろ想像した記憶がある。

14時過ぎから急激に外が暗くなり、天気が崩れる情報は入っていなかったし、一体何事?と外へ出てみると黄色い世界が。かなり強い風が吹いており、しかもヒューヒューと音を立てている。地上でこの有様、高いところからはどう見えるか。ただ事ではないことは確かなので、念のためマスクを着用しておく。

煙霧

視界全体が黄色くなっており、遠くのものが全く見えない。強い風に乗って何かが舞い、痛くて目を開けていられない。目の痛みに耐えつつ写真を撮り、外にいられる環境ではないので、すぐに部屋に戻る。部屋の窓枠には黄色い粉が積もっていたことから当初は黄砂かと思ったが、どうも違う。気象庁の黄砂飛散のマップには出ていない。しばらくして情報が入る。寒冷前線が関東地方に接近し、北西から強い風が吹いた影響で土やちりが巻き上げられて発生した煙霧とのことだった。これが煙霧か。はれときどきぶたで想像した煙霧とは程遠い、極めて身体に悪そうな天候だ。

風向きによって、ここまで土やちりが派手に舞うということは、普段から大気が汚いことになるが…。住んでいる地元の大気環境は工場の排煙やトラックの排ガスで日常的に汚いし、今更どうもできない。だから最近よく聞く、PM2.5とやらもあまりピンと来なかったりする。

第二次帰宅大作戦

台風15号が都心に直撃した。運悪く帰りのラッシュ時間帯であり、JR、私鉄各線の公共交通機関は全滅した。交通手段が失われたことで、あの忌まわしい3月11日の震災発生時を思い出させる。まさか一年で二回も帰宅困難な状況になるとは思わなかった。

17時に会社を出て、この時点でJR線は全滅。京急等の一部の私鉄線が、まだ動いているとの情報だった。ところが、品川駅に到着する直前に「京急が止まった」という声が聞こえて、調べてみると確かに止まっている。不安を抱えたまま、品川駅に向かう。同駅の港南口と高輪口を結ぶ自由通路は早くも人で溢れていて、動くことすら困難。何とか改札口に到着し、まず京急の状況を見てみようと、京急とJRの乗り換え改札口のほうに向かう。すると、改札口そのものをシャッターで物理的に遮断していた。ここまでやるのか…。

少々のことでは止まらない京急が止まっているのだから、事態はかなり深刻と判断できる。この時点で、帰宅手段は徒歩しかなくなった。しかし風雨共に強くて、とてもではないが歩ける状況ではない。既に野戦病院さながらの光景になっていた品川駅で、ひとまずパンとお茶を買い込んで、長期戦を覚悟する。コンコースはどこも人で溢れていて、落ち着いて待機できそうもない。東海道線ホームに降り立ってみると、コンコースに比べて人は少なめで、ここで待機。

18時を回ったころから次第に暴風雨が強さを増し、完全にピークを迎えたようだ。どうすることも出来ないし、パンを食べつつWeb小説を読みながら、落ち着くのを待つ。一時間経過して、19時。いつの間にか雨は止んでいて、風のみが吹き荒れている状況となっていた。それでも強風による規制で、運転再開の見込みは立たない。さらに時間が経過して、山手線、京浜東北線の運転再開の情報が流れ始めた。つられて東海道線も運転再開するかなと期待したが、全くダメ。しかも、運転再開したはずの京浜東北線は再び止まったようで、悪い状況は全く変らなかった。

運行情報をチェックし続けていると、東京モノレールが通常運行中との情報が入った。しかも、山手線内回りも動いている。一旦浜松町駅に向かい、そこから東京モノレールで天空橋駅に出て、徒歩で帰る…これしかない。超混雑のコンコースを横断して、山手線ホームに出る。幸い、山手線内回りの1番線はガラガラだった。待つことなく電車が滑り込み、ようやく帰宅に向けて動き出した感じ。空いた車内で一休みしつつ、徐行運転で浜松町駅に到着。東京モノレールは定時運行を行っており、やはり待つことなく浜松町駅を出発することができた。通行止めとなった湾岸線を追い出され、交通集中による渋滞となった横羽線。空港西入り口付近で、トラックがガードレールに刺さっているのも目撃。カオスな状況となっている横羽線を眼下にしつつ、スムーズ天空橋駅に到着。ここからは徒歩だ。

3月11日の震災の日は、品川から地元まで9kmの徒歩となったが、天空橋駅からならば、大したことはない。強風が吹き荒れる中、やはりショートカットを繰り返しながらテクテクと歩いていった。先日から足首を痛めていて、今日も痛みが残っていた。日中はロキソニン(鎮痛剤)で痛みを散らしていたが、さすがに効果が切れるはず。予想通り、歩いていると次第に痛み出す足首。普通に歩くのも困難で、足を引きずるようにして歩き続ける。

多摩川の橋に到達すると、運転再開しない理由が体感できた。油断すると、本当に吹き飛ばされそうなくらいの横風が吹き続けていた。痛みを堪えつつ、ようやく家に到着したのは21時ジャスト。会社を出てから4時間後のことだった。

震災時と違って、停電は起きておらず道路は明るかったし、コンビニパニックも無かったので、危機感や精神的な焦りといったものは一切無かった。帰宅後の調査では、家に到着する直前に、東海道線、京浜東北線、京急線それぞれが運転再開したとのことだった。昨日に引き続き足首の激痛に悩まされることになったが、東京モノレール経由での大回りコースでの帰宅が、大正解となった。あのまま東海道線の運転再開を期待して品川駅で待っていたら、帰宅は0時近かったかもしれない。さすがに疲れた。