失敗、そして忘れ去られ

去年10月下旬、「埜口(のぐち)三部作」と称した三冊の本を読み終えたことを記事にした。その中の一冊、みかん畑に帰りたかった(小学館2003年、絶版)での最終章は、冒険家河野兵市氏の地元、愛媛県の佐田岬半島へ向けて、北極点から徒歩で帰還するリーチングホーム計画の記述となっている。

リーチングホーム計画のゴール地点となるはずだった道の駅瀬戸農業公園では、今もその碑が立っているらしく、どういうものか見てみたかった。36時間を確保できたある日、ふと「佐田岬にあるリーチングホームのゴールを見に行くか」と思い立って出発。集中力が切れない限りは、シビックRを西へ西へ、とにかく走らせ続けた。

四国上陸目前

時間的猶予があまりなく、道中は悪天候が続くという環境から、かなりの緊張感を抱いたままの走行となる。瀬戸大橋経由で四国へ乗り込むのは実は二度目。改めて走ってみると、時間が大幅に節約できて宇高航路に勝ち目が無くなった理由もよく分かる。

道の駅 瀬戸農業公園

四国に入ってからもとにかく西へ。坂出JCTからゴール地点となる道の駅瀬戸農業公園まで200kmを走り、ようやく到着。日暮れが近づき、現地滞在可能時間は15分程度まで縮まっていた。

リーチングホームの案内板

Wikimedia Commonsにアップロードされている、リーチングホームのゴール地点写真は、石を積み重ねた記念碑と、その後ろにルート案内板があるらしい。僅かな時間で瀬戸農業公園内を散策してみて、記念碑を見つけたのだが。

リーチングホーム記念碑

リーチングホームの記念碑の前に立つ。しかし、ルート案内板はない。案内板の土台すらなくなっており、次の走行に備えて体を休めつつ、状況を観察してみる。

まず、佐田岬半島は常に強い海風が吹いている土地。Wikimedia Commonsでの掲載写真は2007年に撮影されたようで、リーチングホームの計画は2001年。既に6年が経過しており、案内板のフレームは海風からの錆だらけ。常に吹き付ける強い海風を受け続けて劣化が無視できず、ボロボロになっているところに台風でも上陸されたら、いよいよ吹き飛ばされる危険性が出てしまい、撤去されたのかもしれない。

もしもリーチングホーム計画が成功して、当人が生きて帰ってきていたのならば、この地はどうなっていたのだろう。案内板は撤去することなく現存し、称えるような記述に変更されていたのだろうか。河野兵市氏が死亡したことでルートを案内する理由が失われ、失敗した計画の存在を伝える意味もなくなった。今となっては、積み重ねられた石にREACHING HOME 15,000とは何を示すのか、すぐに知ることはできない。

忘れ去られていく冒険家の実態を目の当たりにし、若干の失意を抱いたまま、誰もいない道の駅瀬戸農業公園を10分で出発。次の補給地点までは、さらに100km近くを走ることになる。