マクロ

AMD AM27C512 CMOS UV EPROMを用意する。

AM27C512

チップを鑑賞するためだけに、窓ガラスを封じていた銀テープを除去。肉眼で見ると、512kBitのチップが虹色に輝くので、独特の美しさがある。このチップを頑張って接写してみたのが、以下の写真。

AM27C512チップ本体

チップは縦3mm、横4mmほど。ピントは、正方形のチップの間(白い部分)の上側に合わせた。輪郭が少々ボケているが、接着剤の上にチップ本体が固定され、上下それぞれに14本のボンディングワイヤが伸びていることがハッキリと分かる。拡大鏡を使って肉眼で見ても、チップとボンディングワイヤの接続部分なんか分からない。一見、平坦な印象を持つが、実際は凹凸な部品が周囲に配置されていることまで分かる。特別な道具を使わず、当サイトで大活躍中のリコーCX3単体で、ここまで撮影できれば十分だと思う。

再開

何かと話題を提供してくれるボーイング787。先月末から臨時便として運行再開していて、今日からは定期便が再開した。

ドリームライナー

ある日、全日空の格納庫へ行く機会があった。これで日本航空と全日空の両方を訪れたことになる。格納庫に何がいるかは当日まで不明で、究極のハズレは何もないことになり、それだけは…と願いたくなる。引退が近づくボーイング747なら最高だし、ボーイング777(特に-300)でもいい。あの超極太エンジン一つでも、見る価値がある。

実際に入場すると、そこにいたのはボーイング787だった。運行再開に向けて、入念な準備を行っている真っ最中。巨大さはないものの、間近で見れば十分に大きく、そしてはっきりとした美しさを感じた。新幹線でも同じことが言えて、新機種になるにつれて、無駄のない滑らかなデザインが、一種の美しさとして感じているらしい。この機種の特徴の一つとして、ボディ本体は複合材でできており、Made in JAPAN。従来の合金製ボディとは、全く異なったコンセプトでできている。その割には、従来の合金製ボディのようなリベットの痕跡があちこちにあり、一見すると違いなんて全く分からない。一度は乗ってみないと、ボーイング787を完全に理解したとは言えない。また日帰りで飛び回ってくるかな。

制限だらけだった日本航空と違い、全日空は緩かった印象を持った。この写真は、全日空によって事前にチェックを受けており、正式に公開許可を得ているものだ。セキュリティを考えると、こんなことは普通は考えられない。他にも見学一つにしても、機体に触れられるくらいまで接近することが許された。いろいろ見学していたりするが、ここまで緩い制限は初めてかもしれない。

運行再開に向けて仕事が多い中、見学を受け入れてくれた全日空に感謝します。

さよならダグラス

今日でJALのMD90が退役となり、日本エアシステムが独自に導入した機体が姿を消し、同時に日本の空を支えてきたダグラス機の歴史に幕が下りる。乗った回数は数える程度しかないけど、ボーイング機にはない独特の雰囲気が好きだった。もっと振り返ってみると、かつて存在した三発機のDC10には散々乗ったし、意外とダグラス機とは接点が多かったらしい。乗り収めを考えてみたけど、時間的余裕、金銭的余裕の両方が無くて、とうとう実行できず。

JAL MD90
JAL MD90/(c)Rainbow Island

「なんでエンジンがケツについてんだろ?」と子供ながらの疑問を持った機体。それが東亜国内航空時代のDC9だった。まさかこのときから、DC9/MDシリーズを見続けることになるとは。黒澤仕様のMD90に至っては、1号機から7号機全機種のプラモデルを作ったし、今もクリアファイルやピンズは宝物として保管している。細くて長い機内に、妙に地面が近い低い視点。エンジンの吸気口と可動翼の両方が見れる『特等席』の存在。乗って楽しい機体だった。印象深いヒコーキが日本の空を離れていく。ありがとう、さようなら。安全運行を支えてくれた人へ、お疲れ様でした。

ゴーアラウンド

一日中風の強い日だった。建物に対して真正面から風がぶつかるので、老朽化している現場の屋根はギシギシと変な音を立てていた。夜になっても風はいくらか残っていて、どこからともなく聞こえてくるのはターボファンエンジンが出力を上げた時に鳴り響く音。別に珍しい音ではないのだが、この時間帯に上空から聞こえてくるとなれば、真っ先に考えられるのはゴーアラウンド、着陸復行だ。flightradar24.comを開いて、先ほどのターボファンエンジンの正体を調べてみると、日本航空JL028便だった。香港国際空港発、羽田空港着の便。B滑走路に降り立とうとしてゴーアラウンド。まるで東京湾遊覧飛行の如く、房総半島をぐるりと回って我孫子市まで北上、旋回して再度羽田空港に向かう。

ゴーアラウンド後の飛行経路

ゴーアラウンドを行った結果、こんな航路に。30分近く遅延してしまったが、安全確保のためなら仕方ない。JL028便を追いかけている最中、千葉上空でホールド(空中待機)している機体を発見した。

ホールド中の航路

キャセイパシフィック航空CPA542便、この便も香港国際空港発、羽田空港着の便だった。ゴーアラウンドによりJL028便を迅速に羽田空港に着陸させなければならないのか、一旦CPA542便をホールドさせる。その間にJL028便を追い越させ、ホールド解除後はJL028便の航路をトレースするようにして北上。我孫子市上空から羽田空港へ降り立つ。おかげでCPA542便も遅れてしまったが、どうも香港国際空港を出発する時点で遅れていたらしい。予定よりも遅い位置を飛んでいたせいで、ホールドを食らったとも考えられる。

遅延に遅延が重なってしまうと、余計に遅れるというのは、どの輸送業界も一緒のようだ。やはりダイヤどおりが一番いい。見たいと思ってもなかなか見れない、航空機の遅延処理。上空を常に動き回るという点では、鉄道の遅延処理よりも難易度が高い気がする。

二年

地震発生から二年が経過。

震災前

平屋の伝統的日本建築を思わせる家。緑に囲まれ、どこか懐かしい感じも覚える。すぐ横に木々が生い茂って、井戸もある。森遊びから水遊びを問わず、フィールド遊びにはもってこいの場所。撮影場所は福島県双葉郡富岡町、2010年6月のこと。撮影から約9ヵ月後、東北地方太平洋沖地震が発生。直撃を受ける。

震災で時間が止まったような状態に

倒壊はしなかったものの、すぐ近くの福島第一原子力発電所事故に巻き込まれ、警戒区域になってしまい避難を余儀なくされた。2012年11月、一時帰宅の許可が下りて、住み慣れた家にわずかな時間だけ戻ることができた。人の手を離れてしまった家屋や緑はあっという間に荒れてしまい、まるで時間が止まったかのようにも見える。このときの放射線量は0.007mSv(7uSv)ほどだ。私の地元の値(平均最高値0.000050mSv/0.05uSv)とは比べ物にならない値が記録されていた。

住めるレベルになるまで、この先何年かかるかは分からないが、避難が終わって家に帰ってこそ、復興と言える。写真を通じてだけど、忘れてはならない警戒区域の惨状を知ることができた。震災はまだ現在進行形で続いているということ。

写真の提供を感謝します。

はれときどき○○

子供のころに読んだ絵本「はれときどきぶた」において、○の中に∞を書いたブタの天気記号が出てくる。それが現実世界における煙霧というわけで、その当時は煙霧ってどんな天気だろうといろいろ想像した記憶がある。

14時過ぎから急激に外が暗くなり、天気が崩れる情報は入っていなかったし、一体何事?と外へ出てみると黄色い世界が。かなり強い風が吹いており、しかもヒューヒューと音を立てている。地上でこの有様、高いところからはどう見えるか。ただ事ではないことは確かなので、念のためマスクを着用しておく。

煙霧

視界全体が黄色くなっており、遠くのものが全く見えない。強い風に乗って何かが舞い、痛くて目を開けていられない。目の痛みに耐えつつ写真を撮り、外にいられる環境ではないので、すぐに部屋に戻る。部屋の窓枠には黄色い粉が積もっていたことから当初は黄砂かと思ったが、どうも違う。気象庁の黄砂飛散のマップには出ていない。しばらくして情報が入る。寒冷前線が関東地方に接近し、北西から強い風が吹いた影響で土やちりが巻き上げられて発生した煙霧とのことだった。これが煙霧か。はれときどきぶたで想像した煙霧とは程遠い、極めて身体に悪そうな天候だ。

風向きによって、ここまで土やちりが派手に舞うということは、普段から大気が汚いことになるが…。住んでいる地元の大気環境は工場の排煙やトラックの排ガスで日常的に汚いし、今更どうもできない。だから最近よく聞く、PM2.5とやらもあまりピンと来なかったりする。

第二次帰宅大作戦

台風15号が都心に直撃した。運悪く帰りのラッシュ時間帯であり、JR、私鉄各線の公共交通機関は全滅した。交通手段が失われたことで、あの忌まわしい3月11日の震災発生時を思い出させる。まさか一年で二回も帰宅困難な状況になるとは思わなかった。

17時に会社を出て、この時点でJR線は全滅。京急等の一部の私鉄線が、まだ動いているとの情報だった。ところが、品川駅に到着する直前に「京急が止まった」という声が聞こえて、調べてみると確かに止まっている。不安を抱えたまま、品川駅に向かう。同駅の港南口と高輪口を結ぶ自由通路は早くも人で溢れていて、動くことすら困難。何とか改札口に到着し、まず京急の状況を見てみようと、京急とJRの乗り換え改札口のほうに向かう。すると、改札口そのものをシャッターで物理的に遮断していた。ここまでやるのか…。

少々のことでは止まらない京急が止まっているのだから、事態はかなり深刻と判断できる。この時点で、帰宅手段は徒歩しかなくなった。しかし風雨共に強くて、とてもではないが歩ける状況ではない。既に野戦病院さながらの光景になっていた品川駅で、ひとまずパンとお茶を買い込んで、長期戦を覚悟する。コンコースはどこも人で溢れていて、落ち着いて待機できそうもない。東海道線ホームに降り立ってみると、コンコースに比べて人は少なめで、ここで待機。

18時を回ったころから次第に暴風雨が強さを増し、完全にピークを迎えたようだ。どうすることも出来ないし、パンを食べつつWeb小説を読みながら、落ち着くのを待つ。一時間経過して、19時。いつの間にか雨は止んでいて、風のみが吹き荒れている状況となっていた。それでも強風による規制で、運転再開の見込みは立たない。さらに時間が経過して、山手線、京浜東北線の運転再開の情報が流れ始めた。つられて東海道線も運転再開するかなと期待したが、全くダメ。しかも、運転再開したはずの京浜東北線は再び止まったようで、悪い状況は全く変らなかった。

運行情報をチェックし続けていると、東京モノレールが通常運行中との情報が入った。しかも、山手線内回りも動いている。一旦浜松町駅に向かい、そこから東京モノレールで天空橋駅に出て、徒歩で帰る…これしかない。超混雑のコンコースを横断して、山手線ホームに出る。幸い、山手線内回りの1番線はガラガラだった。待つことなく電車が滑り込み、ようやく帰宅に向けて動き出した感じ。空いた車内で一休みしつつ、徐行運転で浜松町駅に到着。東京モノレールは定時運行を行っており、やはり待つことなく浜松町駅を出発することができた。通行止めとなった湾岸線を追い出され、交通集中による渋滞となった横羽線。空港西入り口付近で、トラックがガードレールに刺さっているのも目撃。カオスな状況となっている横羽線を眼下にしつつ、スムーズ天空橋駅に到着。ここからは徒歩だ。

3月11日の震災の日は、品川から地元まで9kmの徒歩となったが、天空橋駅からならば、大したことはない。強風が吹き荒れる中、やはりショートカットを繰り返しながらテクテクと歩いていった。先日から足首を痛めていて、今日も痛みが残っていた。日中はロキソニン(鎮痛剤)で痛みを散らしていたが、さすがに効果が切れるはず。予想通り、歩いていると次第に痛み出す足首。普通に歩くのも困難で、足を引きずるようにして歩き続ける。

多摩川の橋に到達すると、運転再開しない理由が体感できた。油断すると、本当に吹き飛ばされそうなくらいの横風が吹き続けていた。痛みを堪えつつ、ようやく家に到着したのは21時ジャスト。会社を出てから4時間後のことだった。

震災時と違って、停電は起きておらず道路は明るかったし、コンビニパニックも無かったので、危機感や精神的な焦りといったものは一切無かった。帰宅後の調査では、家に到着する直前に、東海道線、京浜東北線、京急線それぞれが運転再開したとのことだった。昨日に引き続き足首の激痛に悩まされることになったが、東京モノレール経由での大回りコースでの帰宅が、大正解となった。あのまま東海道線の運転再開を期待して品川駅で待っていたら、帰宅は0時近かったかもしれない。さすがに疲れた。

影響

地震で崩れ落ちた羽田神社の灯篭。

崩れた灯篭

右側と左側の灯篭の瓦礫が、一直線上に並んでいるのが分かる。強い横揺れに見舞われたことを意味する。

首都高は全面閉鎖中。

入口閉鎖中

非常事態だからこそ、現場に出なければならない人たち。どうかご安全に。

東北地方太平洋沖地震後

  • 昨日の続き。
  • さて、地震が発生して仕事は少々混乱したが、何とか区切りを付けて帰宅を決めた。とはいえ、東海道線、京浜東北線は動いていないし、少々のことでは動じないはずの京浜急行本線ですら止まっている状況。それでも帰るとなると、徒歩しかない。品川から地元までの10kmを歩くことになった。普段からチンタラ歩いている人を避けるように足早に歩き回っているため、歩行そのものは問題ない。

    首都高は全面通行止めになってしまい、車は全て一般道に押し出された。もともと一般道を使っていた車の列に合流していった結果、車道は完全に機能しなくなり、全く動かなくなっている。車の渋滞よりも、徒歩のほうが早いという逆転現象が発生していた。車の中は暖かいかもしれないが、アイドリングしっ放しはガスを大量に食うし、何より便所の問題が付きまとう。全く動かない車列のドライバーは誰もがうんざりし、連絡がつかないだろうから一刻も早く帰りたいのは一緒。誰もが終わりの見えない我慢を強いられているのに、クラクションを鳴らして煽り散らすバカが目立つ。そういう浅はかな行為に及ぶのは、だいたいミニバンに乗っている連中だ。渋滞の横を徒歩で見続けているこちらとしては、嘲笑うしかない。動きたくても動けないのは誰もが一緒で、渋滞の先頭なんて存在しないのだから。

    再び大きな揺れに見舞われたときの危険性は大きいものの、大通りを使うことなくショートカットを繰り返し、地元までの歩行距離をできるだけ短くしていく。今回の歩行帰宅に関し、すぐ近くに住む後輩と一緒だった。一人で黙々と歩くよりも、二人で適当な話をしながら帰るだけで、ずいぶんと気が紛れる。地元に近づくにつれて、気になる情報が入ってきた。「停電らしいです。しかも現在進行形で!」と。自宅は大丈夫かなぁ。

    確かに、多摩川の橋から見る街は、普段よりも暗い。新築の高層マンションそのものが真っ黒だから、本格的に停電となっているようだ。信号はところどころ灯を失っていて、機能を果たしていない。街灯も暗いままで、渋滞の車のヘッドライトが街灯代わりだ。地区によって給電状況が異なっているようで、道路を隔てて、停電している地域と給電されて通常通りの地域に分かれていたりする。給電されている地域のコンビニに人が殺到していて、外までレジ待ちの列ができている。ここで補給しておかないと危なそうということで、念のため私と後輩もこの給電されているコンビニに立ち寄ることにした。 商品棚は完全にスッキリ。床に置かれた陳列前の商品を直接手に取っている。最も重要となるであろう水と、士気維持のための甘いものを確保。

    コンビニを後にした直後、後輩と別れる。やはり後輩が住む地区は、停電が続いているようだ。自宅が存在する地域に入ると、急に明るくなる。よかった、停電は起きていない。家に戻って、状態を確認。部屋のあちこちに派手に揺れた痕跡はあるが、損傷そのものはなし。

    帰宅してから計算したところ、ショートカットが功を奏し、会社から自宅までは9kmジャストだった。時間にして2時間。歩行速度は5km/h程度を上下している感じ。普段からハイペースで歩き回っている結果によるものだろう。一度は徒歩で帰宅することになるだろうと思っていたが、まさか本当に実行することになるとは思っていなかった。ひとまず情報収集だ。今回の災害は、地震による被害よりも、大津波による被害のほうが大きいのではないか。

    阪神大震災のころと違って、情報伝達速度は比べ物にならないし、何より私自身が大きな揺れを食らったことが、他人事ではないことを痛感させられる。地震の翌日となる今日、街中を自転車で一通り走ってみた。昨日の地獄のような渋滞は姿を消していて、道路そのものはしっかりと機能していた。大きな揺れに見舞われ、一時的な混乱は見られたものの、既に通常と変わりない状態に戻っていた。

    東北地方太平洋沖地震発生

    14時46分に発生した、東北地方太平洋沖地震。震源は三陸沖で、マグニチュードは国内観測史上最大となる8.8だそうだ。
    15:46 2011/03/13追記→結局9.0までアップ。

    この時間といえば、大掛かりな仕事が一段落して、新幹線車内での点検作業がメインとなる時間帯だ。普段であれば15分足らずで終わるし、さっさと終わらせて、お茶でも飲もう(=サボり)かなと考えていたときのこと。

    ギシギシ…カタカタ…

    誰か歩いているのかな?それとも空気バネの調整か?まぁいい。柔らかい空気バネに支えられた車体は、人一人が歩き回っていても結構揺れるときがある。ところが、だんだん揺れは強くなっていき…。

    後輩「コレって地震ですよねー」
    私「っぽいねー。おー揺れとる揺れとる」

    ぐごごごごごっ

    後輩「何かやばくないですかっ!?」
    私「やばいって!車両の外出ろっ!!!」

    ずごごごごごごごっ!

    強烈な揺れのせいで、車両は大時化の海を航行する船の如く、大きく上下にうねっていた。その場にいた誰もが「脱線」の二文字を想像したはずだ。

    後輩「すげぇ揺れてるよ!!」
    私「いいから下に降りろ!庫の外に逃げろ!!」
    総括責任者「庫の外に出て早く!!」

    うわぁあぁあああぁああぁあああぁあああぁあ?…右ヨシ、左ヨシ…おああぁあああぁああぁあああ!!!!(こんな緊急事態なのに、線路を横断するときは一端停止して左右確認ヨシ!と指差喚呼する人が多数)

    がっしゃん!がっしゃん!がっしゃん!がっしゃん!

    ガタガタガタガタガタガタ…!!

    職場は鉄筋フレームで構築された建物なので、強い揺れでフレーム同士が好き勝手に暴れ周り、地震による地響きよりも金属が擦れる非常に大きな音が響き渡った。立って移動するのも困難なほど強烈な横揺れが続き、ようやく収まった。その場にいた誰もが崩れることを予感したのか、建物が無事ということを認識すると、無事だったなぁケガないか?とお互いを称えあう。

    引き続き派手な余震で、ビル等の建物はコンニャクのようにプルプルと揺れることを確認。上層階ほど派手に揺れる仕組みが、ひと目で分かった。この地震は一体何だ?と、すぐに情報収集が開始される。東海大地震と思ったが、三陸沖を震源とする地震と判明。緊急災害行動により、一時避難、点呼、損傷状態の確認。被害は決して少なくはないようで、保管棚が崩れたり、一部ガラスが割れたという情報が入った。ようやく仕事が再開できたのは、17時を回っていた。散らかった現場を片付けて、被害状態を記録しておく。

    18時ごろは、都心部の鉄道各線はほぼ全滅となっていて、動いている路線はゼロとなっていた。帰宅できなくなった人が多かったものの、それでも何とか帰ろうとする人がいるのもまた事実。私も帰宅組として、さっさと帰ることに。

    つづく。