更新…Y17#15

『純正レカロシートの修理、リフレッシュ』と『シフトレバーブーツ、エクステンションロッドの交換』を追加。

まずは午前の部ということで、下準備を続けていたレカロシートのリフレッシュ作業だ。座席から布地だけを剥がしたり、分解して組み立てるという流れは、仕事で当たり前のようにやっていることなので、プライベートでも全く同じことをやるなんて不思議な感じだった。もちろん構造は異なるが、乗り物用のシートだけにコツはどれも似たようなものらしい。分解した状態とはいえ、車内にもう一席分のシートを持ち込むとかなりのスペースを食う。同時に大きく部屋を占めていたことになり、ずいぶんスッキリした。

昼食休憩後の午後の部は、エクステンションロッドの交換作業。今月上旬、車体をジャッキアップしてDIYで作業中、車体が落下し、下敷きになって死亡する事故が発生したばかり。こういう情報が耳に入っていることから、より慎重な作業になる。万一の事態に備え、死ぬリスクを少しでも低減するため、フロントタイヤを外してフロア下に置き、ウマ本体もハンマーで叩いてチェックし、しっかりと支えられているか何度もチェックする。もちろん、油圧ジャッキは掛けたままにして、ウマに掛けた状態で車体をしばらく放置し、ズリ落ちる気配がないか見定めてから作業を開始する。作業終盤、四輪が着地した瞬間は「今回も死なずに済んだ」と安堵したほど。ジャッキアップは何度やっても慣れるものではなく、本当に怖い作業の一つに入る。

余った時間はS15シルビアの空調リフレッシュ作業に向けた下準備を行い、日が傾き始めたことから本日の予定は全てクリア。お疲れ様でした。>支援者

用途を終えて穴だらけになっているレカロシートは、復元することなく廃棄だ。ウレタンは細かくちぎって、布地は丸め込んで、これらは燃えるゴミとして捨てる。内部フレームに関しては、座椅子扱いで粗大ゴミへ。

セルモーター、リビルト品入手

合計三年ほど掛けて集めた、リビルト用のコアたち。中でも現車に装着されているセルモーターは、ときどき弱々しい回り方になることがあり、この先の猶予はあまり残されていないような感じだった。記事をアップしてから物事はあっという間に進み、リビルト品に入れ替えることができた。

リビルト前のセルモーター

リビルト前のセルモーターがこんな具合だった。油汚れや粉塵まみれで汚い。現車のセルモーターがダメになったとして、この予備品に交換したところで、どうせ長くは持たない。前所有者のEK9シビックRにおいても、長期間に渡って酷使されたことは間違いないためだ。

リビルト後のセルモーター

そして、リビルト後のセルモーターがここまで変貌。汚れは完全に落とされて、装着するのがもったいないほどの美しさ。自動車部品に限らず、きれいな機械部品は単体で飾っても絵になり、まさに当てはまる。

先の記事で書いた「対個人でも販売してくれるリビルト業者」とは、有限会社大光サービスだ。メールだけでのやり取りながらも、返信がとても早く、時間を要することなくリビルト品を購入することができた。製品情報を見ると、B型エンジン乗りとして特に目を引くのがデスビ。もちろんEK9シビックR用もラインナップされており、ウィークポイントをカバーできる強力な味方そのもの。

購入したリビルトセルモーターは、予備品として転がさずに装着する。ただ、少し間が空いて11月以降の見込み。というのも、月まで残り1/3(ODO:256,266km以上)となったところでの交換はキリがいいし、10月の休日はシビック関連以外の予定が全部入っているので…。

というわけで、到着して開封チェック完了!ありがとうございました。>T様、M様

カバー手配

引き続き、崩壊してしまった運転席のシートをリフレッシュするため、準備を続けているところだ。内部ウレタンの崩壊以上に困っていたのが、布地の消耗。乗り降りの度に布地と服と擦れ続けて19年、布地は摩耗して薄くなってしまい、縫い目は切れてくるし、そりゃ穴も開くか…。ただ、中古車として入手した2007年の時点で、多少ばかり毛羽立っていた印象があり、消耗そのものは、早いタイミングで始まっていたのかもしれない。

ドナーとして入手したシートは布地がしっかりしており、なるべく長く持たせたいのは当然のこと。となると、シートプロテクターやシートカバーといった、上から被せるタイプのものが思い浮かぶ。シートバックや座面のサイドサポートはセミバケットシートという構造上から摺れやすく、例えばブリッドではプロテクターパッドが純正オプションとして販売されている。ではレカロはどうか。どうもレカロ純正オプションはフルバケットシート向けが中心らしく、代わりによく見つかるのが社外品で、ピンからキリまで大量に売られているようだ。

これは良さそうだ?と思って、製品情報をよく読んでみると「タイプR不可」と注意書きがあったりして、選定は地味に困難だった。それでも探せば見つかるもので、ようやく目処がついて発注し、到着。

座面用サイドサポートカバー

座面用のサイドサポートカバーだ。赤いカバーなので、後付感がなく見た目の印象は変わらず。ちょうど部屋内でドナー用のシートがバラバラになっているので、予め装着してスタンバイしておく。もちろんシートバック用のサイドサポートカバーも入手しているが、こちらはシートの組み立て作業が進まないと装着できないので後回し。

具合が良さそうなら、同じく崩壊が始まりそうな助手席側用にも購入することになるが、安価ではないのが辛いところ。

もみ出し茶

碓氷峠に行き、食事休憩はほぼ自動的に峠の釜めしでお馴染み、おぎのやになる。車で入れるところは「おぎのやドライブイン」という関連会社で、本店は横川駅前にある小さな定食屋みたいなところだったりする。

おぎのや本店

こんな具合で、ドライブインの規模に比べて、本店は小規模な印象を抱き、若干拍子抜けした部分がある。周囲の建物と完全に同化していて、あまりの違和感の無さに写真を撮ることを完全に失念していたほどだ。(従って、この外観写真はGFDLなサイトからの引用)

横川駅に立ち寄り、食事休憩は本店にて済ます。中学校時代から散々食べ続けている釜めしをあえて食べず、自家製麺のそばを食す。その後の会計時、長年探し続けていたお茶を発見。迷わず手に取った。

もみ出し茶表面

もみ出し茶。かつては駅弁と共に売られ、そして買われる商品だったらしいが、ペットボトル入りのお茶がそこらで大量に売られている関係からか、見かけることは稀だと思う。過去に一度しか目にしたことが無く、買おうと思ってもなかなか入手できず、まさかおぎのや本店にあるとは思ってもいなかった。

もみ出し茶裏面

小型のコップを兼ねた白色のキャップはねじ式。ティーバッグは二回ほど使えるようで、けっこうな量を飲むことができるようだ。販売は新幹線サーブ株式会社という凄い名前で、場所柄JR東海グループか?と思ったりしたが、特に関連性はないらしい。今後の横軽区間の訪問でおぎのや本店を訪れたとき、引き続き売っているとは限らないだけに、どのタイミングで飲もうか迷っているところだ。

首都高羽田線の切り替え区間その1

首都高1号羽田線は古い路線で、建設から50年以上が経過した。東品川桟橋・鮫洲埋立部は、コンクリートの剥離や鉄筋の露出などでメディアにも頻繁に取り上げられ、老朽化した首都高の象徴として扱われることが多い。ボロボロの首都高1号羽田線は更新工事が進められており、9月14日から迂回路に切り替わって、上り本線の本格的な工事が始まった。昨日の熊ノ平訪問で、集合地点へ向かう際に、さっそく迂回路区間を走ることになった。

首都高1号羽田線迂回路接続部

上り本線から、迂回路区間へ接続する部分を通過する瞬間。緩いS字カーブが続き、リズミカルに走らないと危険度が増す。切り替えから10日しか経過していないので、壁やアスファルトが本当にきれいだった。本線と変わらぬ設備と出来栄え、そして僅かばかり道幅が広げられているらしく、違和感は全くない。

この状態から、本来の上り本線を工事を行い、完成後は暫定下り線として使用し、下り本線の工事を行う。そして下り本線が完成次第、上り本線と下り本線を本来の運用状態に戻し、迂回路は撤去するという流れのようだ。全ての工事が終わるのは2026年度を予定しており、当面はこの状態が続くことになる。…同時に、その時の年齢が恐ろしいことになっているわけだが。

首都高湾岸線大井JCT接続部

現在は長期通行止めになっている大井JCTの連絡路については、途中で切られている。上り本線の更新工事が終わるタイミングで、迂回路に接続する予定とのこと。この連絡路は、過去は湾岸線のお台場側から1号羽田線の上り本線線にUターンを行えるので、夜間ドライブのときは非常に重宝していたのだが、廃止後は殆ど通らなくなった。

かつては夜の首都高を毎日グルグル走り回っていた人間なので、変化し続ける首都高の走行環境は興味深いものがある。大井JCTの連絡路のUターンゾーンはデータを記録する前に廃止されてしまった苦い経験から、1号羽田線の変わり具合は積極的に記録していきたい。

熊ノ平の宿題

日帰りドライブの日。今日は後輩の車一台で、甲信越方面へ。

後部席からの視点

一日の殆どを後部席に座って移動。3ナンバーのセダンは後部席がやたら広いのがウリで、大衆車レベルでも実感することができる。なかなか快適な移動空間になるはずが、ハンドルを握るドライバーの運転スキルにより…(思考停止)。

さて、関越道と上信越道を経由して、降り立ったのは旧熊ノ平駅。廃止された信越本線の碓氷峠区間はあちこち訪れているが、熊ノ平駅本体は訪れていなかったために、過去の宿題を片付けることになった。

アプトの道、熊ノ平へ

近くの駐車場から、熊ノ平駅へ向かう。

旧熊ノ平駅構内

その熊ノ平駅構内は、アプトの道の遊歩道となっており、散策中の人が多数訪れる場所になっている。架線が張られたままで、過去には盗難事件も発生している。撤去費用等余計な金を掛けたくないのか、放置して風雨に晒し続け、朽ち落ちるのを待っているのかもしれない。

ボロボロになっている電力設備

熊ノ平駅構内にある変電所。給電用のケーブルは切り離され、ついでに架線断路器の構成部品も外されており、もはや機能しそうにない。建物本体も廃墟と化しており、内部は僅かばかりの機械や保守用クレーンが残されているだけのようだ。

1988年4月製、50kgレール

レールを見ると、1988年4月のモールドがあり、29年前のもの。頭部は現役当時の砂撒きによる激しい摩耗痕があり、廃止されてからも時間が経過しており、素人目にしても劣化が進んでいることがよく分かる。

忘れたころに、横軽区間を観光鉄道として復活させる案が何度も出てきて、過去には安中市の公式発表なんてのもあった。ところが、実際はどうか。線路設備の更換、同区間の付帯全設備のリニューアル、66.7‰という急勾配用に対応するため、特殊で高コストな鉄道車両をどうするか、平行して走るバス路線の本数の少なさ=普段から低需要。それらに関わる人件費等、大金掛けて祝!復活!したところで、その後に運行し続けるには、相応の費用が必ずついて回る。金がいくらあっても足りないのは目に見えていて、現状では非現実的な夢物語、鉄道好きの妄想レベルでしかない。

訪れるたびに、状態が悪くなっていることは間違いない。ただ、廃止されたものが、長い年月を掛けてどういう変化を見せてくれるかという点では貴重な材料で、この区間は後々何度も訪れることになるだろう。宿題が片付いたことで、一旦北上してR292の渋峠を経由する。

国道最高地点

R292の渋峠は何度も訪れているが、日本国道最高地点の碑を目にしたのは初めてのこと。今日は雲が広がっており、下界の景色は全く見れなかった。信州中野ICから上信越道に入り、帰宅開始。想定どおり渋滞に巻き込まれ、運転しない身なのでこの点は気楽だが、揺られ続けて車酔いを起こしており、夕食どころではなかった。総員の無事帰宅を確認、お疲れ様でした。

清掃作業

現在、EK9シビックRの運転席には大きな穴が開いており、ついでに度重なる乗り降りで、レッグサポートのウレタンが崩壊している。見た目だけでなく、超長距離運転の時には腰への負担が増していることから、なんとかリフレッシュしていきたいのは山々だが。

まず左右のシートの統一性を保ちたい。運転席側だけ別のシートに入れ替えるまでは踏み切れず、かといって両席を同時に交換すると、非常に金が掛かってしまう。アフターパーツとしてのレカロシートを装着すると、シートレールから交換となり、しかも車体外側に向かって若干オフセットされ、これがどうも気に食わない。そして何より、初代タイプRは純正レカロシートが売り文句の一つだったことから、なるべく純正状態を維持したいというのがある。これらの背景から、今回もまた解体された車体をドナーとして扱い、ニコイチ、移植ネタになるのだった。

EK9用レカロシートの分解

取り寄せたレカロシートは比較的具合が良く、ウレタンの型崩れは無く、悪臭は感じられなかった。それでもどういう扱いをされていたかは分からないため、ひとまず分解して洗浄することに。座面とシートバックを切り離し、ついでにウレタンを覆う布地を分離し、プレデターのワンシーンのようにする。そしてひたすら、布地の拭き掃除だ。あっという間に黄色く変色した雑巾から察するに、喫煙車だったのかもしれない。

作業としては、現車の運転席を分解し、損傷したウレタンや布地を交換、元に戻すという流れ。シビックR純正の運転席用シートは状態の良くないものが多いのに、高値安定。新車外し級になると、恐ろしく高価になってしまう。多少の手間隙を掛けることで、費用を抑え込む方法を採った。

名刺とか

EK9シビックRの維持絡みで、名刺を渡される機会が急激に増えている。名刺を貰ったときに、こちらが出せないことが地味に辛く、スタンバイしておくことは悪いことではないようだ。プライベート用の名刺なので肩書きは必要ないし、紙質やデザイン一つにしても、自由にすることができる。

実際のところ、遠い過去においては、何かのために…とプライベート用の名刺を用意していたことがある。当時はまだ変に粋がっている部分があったし、しかも太っていた時代だ。接する相手からすれば、私の一発目の態度で違和感を覚えるだろうし、しかもデブでは第一印象の時点で悪い。相手からすれば、こんな態度がなっていないデブに名刺を渡してもなぁ…と塩対応になるわけで、結局作った名刺も使うことはなく、古紙リサイクルの材料として処分している。

その何かのために…と用意した名刺も、必要最低限の費用しか掛けていない格安品だった。質の悪いボール紙をベースに、全く面白みのない、テンプレートに当てはめただけの簡易的なものだ。今振り返っても、あまりにも恥ずかしい出来栄えで、一枚も残していないのにここまでしっかり覚えているのだから、相当酷いもの。むしろ渡さなくて正解だったかもしれない。この経験は、同じ失敗を繰り返さないためのステップとなりそうだ。

費用面をある程度無視してみると、ベース素材の幅が広がってくる。印象に残りやすく、よく見るのがプラスチック。透明部分があったり、二枚重ねで立体感を強調したり。中には本物の金を蒸着したものまであり、なかなか奥が深い。この手のものは、普段はあまり使われない素材が面白いかもしれない。

保管區域

この歳になっても『危険 立入禁止』と掲げられた場所には興味津々で、そういった場所こそ内部を見てみたい。インフラ関係では、例えば電力関係。特別高圧電力は普段から馴染みのあるものだが、それでも食傷気味にならない。素人が入れないような場所は、ぜひとも立ち入ってみたいと思っている。特にこういう場所。

固く閉ざされた電力設備

色褪せて、錆が浮いている扉の向こうには、電力設備があるようだ。古さを感じさせる手書きの看板には、危険 高圧電気 立入禁止という文字。建物自体がとても古いことから内部設備も古くなっていることが予想され、安全面の考慮は最低限しかなされていない、ゴツゴツした大きな機械が置かれているのかもしれない。そして、より興味を抱かせるステッカーが扉に貼られている。

PCB汚染物保管場所

PCB汚染物保管場所!!これが貼られているということは、とても古い電力設備…変圧器等が置かれているはず。PCBは1970年代前半に原則使用中止扱いにされている点、そしてPCBとハッキリ表記している点から、1960年代の設備があるものと予想される。まさに危ないもの見たさで、現役で運転中だとすれば凄いものが扉の向こう側にある。ある意味では、お宝レベル。

このようなステッカーがある以上は、行政側にもPCBがあると把握されており、しかも平成30年代中に処分しなければならないことから、遅かれ早かれ姿を消す。建物自体が老朽化しており、今後どういう道筋を辿るのか気になるところ。

「見ろよこのシール!」「PCB?ポリ塩化ビニフェルじゃん!」「絶縁油だっけ」という会話が当たり前のように出てくる、某組織の活動の一こまだ。ふと思ったが、全くの素人に対して絶縁油の存在を説明するとき、どう解説すればいいのだろう。このあたりの柔軟性が、頭の能力になるのかもしれない。

披露宴当日

カーテンの隙間から差し込む、強い直射日光。台風は北寄りの進路となり、ここ伊豆半島は台風一過の快晴だ。披露宴に相応しい、最高の天気となった。開催時間前、出発駅に向かう回送列車に乗り込んでスタンバイ。ブライダルトレイン内では招待客として動けるので、披露宴本体の進行状況はノータッチだ。

改札を抜ける新郎新婦

新郎側は現役の鉄道屋なので、今回は伊豆急の制服を着用し、新婦はドレス。会場のセッティングでそう簡単には化粧直しはできないので、二人はこの格好で車内を巡ったり、外の会場を歩くことになる。

会場車内の様子

車内の中吊り広告は全てが新郎新婦の思い出写真になり、ビールサーバが設置されて飲み放題。列車のハンドルを握るドライバーは新郎の友達で、独特の操縦を行わせていたりする。その背後では、通常運行している列車が若干遅れており、貸切列車もダイヤの乱れを受けてしまい、ハラハラした状態が続いていた。

白波が美しい海岸線

気持ちのいい海風、雲ひとつない空の下、列車は下田に向かって軽快に走っていく。

寝姿山の愛染堂で宣誓

下田からは下田ロープウェイで寝姿山に行き、愛染堂で宣誓。このとき、伊豆急側からブライダル編成に対する、新郎新婦による永久ジャックの発表もあった。この後、列車の発車時間まではしばしの休憩時間で、近くの港に行って「次の結婚は誰か」なんて話が…。発車時間になり、終点の伊東駅に向かって最後の行程に入る。

終点の伊東駅に到着して、披露宴は無事に終了。ブライダルトレインの運行も終了だ。ここから再び支援役が始まり、車両基地に戻る20分程度のうちに、ある程度ながらも車内を片付け…と思っていたら、撤収作業は思いのほか早く終わってしまい、殆どが元通りに。18時過ぎには支援側も解散となり、組織の役員たちを希望する駅に送りながら帰路につく(お大事に)。渋滞に巻き込まれることなく、スムーズに帰宅。会場の準備と撤収という、貴重な体験をさせてもらうことができた。

末永くお幸せに。おめでとう。