かいじ

海上自衛隊における『F作業』は有名な隠語で、釣りのこと。F作業の許可が出ると、乗員はみんなそろって釣り糸を垂らす。とても高価な護衛艦が、とても高価な釣り船と化す瞬間。ソナーは魚群探知機として使えるのだろうか。親父からもらった釣りの本の一つに、とある護衛艦の名前と共に購入と記されている理由が分かった気がする。F作業の経験ありに違いない。

食事(各艦で味付けが違うカレー)や風呂(海水風呂)など、力の入れ具合が斜め上な部分を取り上げ、面白おかしく、そして好意的に書かれた記事を多く目にするが、実情はどうだろう。口外無用といったところで、所属していたころのハナシは極僅か。子供ながらタブーな雰囲気を敏感に察しており、あまり聞こうともしなかったが。

今の生活サイクルにも深く根付いているものがあって『フロメシ』だ。訓練終了後、汗まみれ泥まみれの状態で夕食なんか食えるか!というわけで、きれいさっぱりな身になってから食事となる。その流れを『フロメシ』というらしい。それが家だとどうなるか。休日であれば、だいたい16時半あたりから風呂タイムになることが習慣化しており、調べてみると16時半から17時というのが、訓練終了時間に一致したりする。前倒し気味の生活サイクルがすっかり身についていることから、夜以降のオフタイムが多く取れる利点、そして長時間睡眠の確実な確保に繋がっている。

親父絡みというわけではないが、防衛大に進学し、そっち方面への進路を視野に入れていた過去がある。性格上、規律規範が厳しい組織には馴染めないだろうし、けっこう好き勝手できる現状を選んで正解だったかもしれない。

200V

居候先のエアコンがダメになったらしく、買い替えをご希望の様子。最大14畳近い空間の空気をコントロールするには、これまで使っていた100Vモデルでは役不足で、200Vモデルのほうが選択肢が広がる。分電盤をチェックしてみると、単相3線式で200Vはすぐそこまで来ていることから、回線切り替え工事を行って200Vに設定して、エアコンを買い替えてもらうことにした。

この手のアドバイスで、必ず聞かれるのが「200Vって100Vの倍じゃん。電気代大丈夫?」という疑問だ。電気料金に関わってくるのはワット数と電流であり、電圧は関係なし。100ccの水を持って近所を歩き回り、ヘトヘトになって帰ってくるより、200ccの水を持っていったほうが、余裕を持って歩き回れる…。こんな感じの説明をして納得してもらい、200V化とエアコンの付け替え工事が終わったのだった。

まだ不審のようだが、今月の電気料金は付け替えたエアコンを一日中使っていながら、だいたい3,000円のダウンに目を白黒させていた。高い電圧で冷房能力が大きいことから部屋を一気に冷やし、以後は小さい電流で室温を一定に保っていた結果が反映されている。これまでの100V仕様では、長時間に渡って全力運転を続けないと部屋が冷えない。これが電気代が上がってしまう原因だった。

「もっと早く相談すればよかった」なんてつぶやいていたが、親切とお節介は紙一重だ。求められてもいないのに、意見や忠告なんて与えるわけがない。これ、何事にも当てはまることだ。

範囲拡大

今までの基板修理は、防湿コーティングが行われていないものだけだった。ところがここ数年の傾向として、耐久性向上や故障リスクの低減が狙いなのか、小さな基板でも防湿コーティングが施されているようになった。モノによっては、防湿コーティングが邪魔をしてハンダの除去ができず、基板を損傷してとどめを刺すことがあった。防湿コーティングがあると修理不可なんて、今後さらに手出しできる基板が限られてしまう。生業ではない趣味の一環だからこそ、自由に扱えるようにスタンバイしておきたい。

基板コーティング用ケミカル類

重い腰を上げ、防湿コーティングの除去と再塗布を行うケミカル類を揃えた。これで基板はなんでも扱える…わけではないのが、この世界か。壊してもOKな基板で、防湿コーティングの除去と再塗布の練習を繰り返し、感覚を掴む。全ての防湿コーティングが除去できるとは思っておらず、更なる除去剤を探すことも考えなければならない。あれこれ試しているうちに使いきってしまい、いざ本番で足りなくなるなんてことはよくあること。中身は溶剤だけに、開けてしまえば揮発するだろうし、酸素と触れて劣化していく。準備万端なときはなにもなく、中身がダメになると修理ネタが増えていくのも、よくあること。

深夜のセミ採り

処暑を過ぎ、あちこちでコオロギの鳴き声が聞こえて、残暑真っ只中だが秋が近づいている。この頃になると、現場のあちこちにセミファイナルを迎えたアブラゼミが転がるようになる。そんなところに、今日は測定機器の上に落ちてきたのがこいつ。

ミンミンゼミ

アブラではなく、ミンミンなのが少々レアか。まだ生きており、大きな鳴き声を発し、羽をバタつかせて抵抗を見せる。放り投げると、まず顔面に向かって捨て身のタックルを仕掛け、木ではないことに気づいて急旋回、建物の梁に止まった。改めて捕獲して外で飛ばしてみると、やはり弱っているのか飛距離が伸びず。寿命が近いらしいので、木に止まらせて天寿を全うできるように逃がしてやり、真夜中のセミ採りは終了。

寿命が短い…わけがないのがこいつら。『成虫の飼育が極めて難しい』『地中の幼虫を観察できない』という理由から、一週間の寿命という俗説が広がった。成虫は、一週間どころか一ヶ月は生きる。一生のほとんどを幼虫時代として地中で過ごしているため、種類によるが総合寿命は3年から7年と長寿。写真のミンミンゼミが、最高条件の寿命を全うしようとしているなら、2009年生まれ。2009年の夏、なにをやっていたか。

毎年の夏の風物詩で身近な虫なのに、長い地中生活のせいで研究者の観察や解明が思うように進んでおらず、意外と謎が多かったりする。

野菜

毎日毎回の食事全般に言えることは、必ず野菜を含めるようになった。過剰洗浄による影響で、栄養が流出していそうなコンビニのサラダでも構わない。食べたものに食物繊維を絡ませておくことで、後々の大腸の蠕動運動を促し、結腸や直腸で便容積を増大させるようにしている。つまり、排便のタイミングを一定のリズムで発動するようにしておき、体内に不要物を溜めないための配慮だ。このプロセスを崩すと、すぐに腹が張り、肌荒れに繋がってしまう。タイミングの狂いでこの状況なのだから、便秘はさぞ地獄だろう。

野外メシ

とあるドライブ中。漁港の片隅で、食事の準備を始めたところ。私と同行者に共通することは「皮膚が弱い」「爽快な排便は食事から始まる」「野菜好き」という点。袋ラーメンにSPAMという、体に良くなさそうな組み合わせだが、食べる前にキャベツを放り込んで野菜不足を少しでもカバーしていた。

以後のバーベキューやキャンプにおける野外メシでは「野菜は必ず喰らう」が基本ルールになっている。輪切りにした玉ねぎと千切りのピーマンを焼いて、焼肉のタレと一緒に食べる。気づくと肉以上に食べていることも。

国道139号を振り返る

国道139号の松姫トンネルが開通したのが、2014年11月17日のこと。この日を持って松姫峠を越える区間は、旧道として切り離された。僅かな期間だけ通行できたようだが、2015年10月06日より現在に至るまで『通行に際して危険なため』という理由で、通行止めが継続中だ。都心に最も近い酷道であり、あのループトンネルを走ることができなくなったのが、今なお残念だ。

白草トンネル

山の中でぐるりと回り、高度を稼ぐ白草トンネル。トンネルのレリーフにはユリの花が刻まれている。1999年12月に供用開始され、20年も満たない期間で役目が終わったことになる。左側に進むと、東京電力の葛野川ダムにアクセスできる。旧道はダムを行き来する道でもあるので、このまま通行止めが継続しても、打ち捨てられることはないと思うが。

トンネルの中に交差点

トンネルの中に丁字路があり、ゲートがあって直進はできない。葛野川ダムへ向かうには左折する。

葛野川ダム

葛野川ダムに出る。ここは葛野川発電所が設置され、撮影時点では1号機と2号機が稼動しており、2014年に4号機が運転開始、最後の3号機は2024年度以降の予定となっているそうだ。揚水発電の下池となっていることから、行くタイミングによって水位がバラバラで、高い日があれば低い日もあった。現在、このダムは『保安上の警戒』という理由で、立ち入ることができないらしい。

葛野川ダムとEK9

山奥で、到着するには酷道を経由しなければならないというアクセス性の悪さから、葛野川ダムはいつも人がまばらだった。

撮影日:2010/06/19

全国各地にある廃道は、朽ち果てた姿になったボロボロの状態だ。この国道139号旧道は、2015年より管理から切り離され、朽ち始めたという表現が合っているのではないか。もしもこのまま放置状態が続くならば、朽ちていくところをリアルタイムで見ていることになる。通行止めは残念だが、廃道という視点では、まだまだ楽しみが残っている。

夜の羽田

『SKY022…遅延 delayed』

スマホを取り出し、Flightradar24を立ち上げると、その便はまだ浜名湖の南西あたりを飛んでいた。ここからだと、羽田に降り立つまで早くても30分、到着ロビーに出てくるには、合計40分は掛かるはずだ。ダイヤ上では、既に羽田空港に着陸している時間だったが。時間つぶしを兼ねて、送迎デッキに行ってみる。

B767

一日のフライトを終え、翌日までの僅かな時間の中で、翼を休める機体。補給や後片付けも終わったのか、ケータリングのトラックがゆっくりと離れているところだった。外部から電源と空調を得ていることで、APUの甲高い音と灯油特有のニオイもなく、昼間とは全く違ってとても静かなもの。

遅延していた便の着陸を見届けて、のんびり到着ロビーに行って無事に合流。思ったとおりの遅延時間になり、安い航空会社には安いなりの結果しかない。倒産しようがなんだろうが、使う航空会社は日本航空に絞っておいて正解だった。

結局、空港には一時間の滞在となり、この時間で今日の国内線出発便は終わっていた。

出発ロビー

最終便が出てからは、照明まで落とされ、残った職員が後片付けを行っていた。ロビーの清掃や店舗の改修工事が始まっており、日中の賑やかさとは全く違う雰囲気になっていた。これで早朝の第一便前の出発ロビー、日中の出発ロビー、そして最終便後の出発ロビー、全て見ることができた。空港内独特の雰囲気が好きで、昼食のために空港を訪れることは少なくない。

疲…

この頭痛、やっちまったか、熱中症。

異変は昨日から始まっていて、台風一過の今日。朝から強い疲労感に悩まされ、起きていることで精一杯。必要最低限の動きに留め、身体に負担を掛けないようにしておく。意識はハッキリしており、受け応えもできる。ただ、身体が重たい。完全な熱中症なのかは判断つかないが、あまり芳しくなさそうだ。

食欲はある。水分もしっかり飲んでいることから、脱水気味ではないはず。夏がダメで、疲労が溜まっているのかもしれない。今年の夏は事務作業がメインなので大丈夫だろうと思っていたら、熱気に包まれた現場とキンキンに冷えた事務所の出入りがとても多く、熱のストレスに対処できなくなっているのかもしれない。

年休

2014年度は、勤務の都合と社内の雰囲気があまりにも面白くないことから、かなりのハイペースで休み続けていた。例年ならば、冬あたりから去年度分を整理し始め、週休三日から四日となる。ところが、流れは完全に逆転し、上半期の時点で去年度分は使い果たし、2014年度分を使い始めているという状態だった。

2015年度、勤務パターンがある程度素直になった。しっかり休めるようになり、そして裏方ポジションがメインとなって自分の好きなタイミングで仕事ができてしまうことから、身体への負担が激減。年休消費も落ち着いて、2015年度分に付与される年休日数は、今年度まで持ち越している。

その今年度。これまた勤務の都合なのだが、全体的な仕事量が低下し、年休が取りやすくなった。休みやすくなったが、その一方で夜勤が混じってくることもあり、一長一短の状態。ただ、2014年度ほど年休を乱発することはなく、今なお2015年度分で休んでいるところだ。そろそろ今年度分の消費が始まるか?と思って帳簿をチェックしてみたら、まだ余裕はありそう。かなり休んでいる気がするが、会社指定の休業日が多くなっている関係だろう。先日、3連休になっていることをすっかり忘れて、翌日が勤務と思い込んで2日目の休日をブルーになりながら過ごしていたほどだ。

体力の回復に時間が掛かるようになっていることから、適度に休まないと身体を壊してしまう。身を守る手段は自己防衛しかない。

遊びすぎた

EK9シビックRを230,000kmに突入させることになり、7月下旬から毎週のようにどこかへ出かけていた。

7月23日…雑魚川林道
7月30日…大井川鉄道井川線
8月6日…S15シルビアの修理支援
8月11日…道志みち
8月13日…秋葉ダムと佐久間ダム

こんな具合。どこかに出かけるとなれば、移動に伴う混雑を避け、日中の有効時間帯を長く取るために、早朝出発が定例となる。8月6日に関しては比較的近場で、通常の生活リズムとなったが、それでも炎天下での作業により体力的には厳しかった。

早朝出発だと、3時から3時半に起きる。寝る時間は普段とさほど変わらず、23時過ぎ。睡眠時間は4時間もない状態で、一日中走り回っていることになる。こんなことを毎週のように繰り返し、8月11日と13日の間にある12日は出勤日。その他、体調が決して万全ではなく、上司からうつされたと思われる夏風邪も引きずっている。

いつもとは全く違う疲労感を覚え、出かけた翌日に起きるまでは10時間近く寝るようになっていた。多少の睡眠不足は、翌日の長時間睡眠で取り戻す…なんて行為は、若い人間だけの特権だ。しっかり寝ないせいで免疫バランスが大きく乱れて口内炎が発症、そして体力を取り戻そうとしているのか、やけに食欲が旺盛になり体重が59kg台で安定するようになった。自ら好き好んでやった結果とはいえ、一時の楽しみとその後に要するリカバリ(休養時間)が釣り合っていない。

もしや、これが『もう若くないと実感する瞬間』というやつなのか。いや、まだ老いに抗う手段はたくさんある。ここが踏ん張りどころかもしれない。