影響

地震で崩れ落ちた羽田神社の灯篭。

崩れた灯篭

右側と左側の灯篭の瓦礫が、一直線上に並んでいるのが分かる。強い横揺れに見舞われたことを意味する。

首都高は全面閉鎖中。

入口閉鎖中

非常事態だからこそ、現場に出なければならない人たち。どうかご安全に。

東北地方太平洋沖地震後

  • 昨日の続き。
  • さて、地震が発生して仕事は少々混乱したが、何とか区切りを付けて帰宅を決めた。とはいえ、東海道線、京浜東北線は動いていないし、少々のことでは動じないはずの京浜急行本線ですら止まっている状況。それでも帰るとなると、徒歩しかない。品川から地元までの10kmを歩くことになった。普段からチンタラ歩いている人を避けるように足早に歩き回っているため、歩行そのものは問題ない。

    首都高は全面通行止めになってしまい、車は全て一般道に押し出された。もともと一般道を使っていた車の列に合流していった結果、車道は完全に機能しなくなり、全く動かなくなっている。車の渋滞よりも、徒歩のほうが早いという逆転現象が発生していた。車の中は暖かいかもしれないが、アイドリングしっ放しはガスを大量に食うし、何より便所の問題が付きまとう。全く動かない車列のドライバーは誰もがうんざりし、連絡がつかないだろうから一刻も早く帰りたいのは一緒。誰もが終わりの見えない我慢を強いられているのに、クラクションを鳴らして煽り散らすバカが目立つ。そういう浅はかな行為に及ぶのは、だいたいミニバンに乗っている連中だ。渋滞の横を徒歩で見続けているこちらとしては、嘲笑うしかない。動きたくても動けないのは誰もが一緒で、渋滞の先頭なんて存在しないのだから。

    再び大きな揺れに見舞われたときの危険性は大きいものの、大通りを使うことなくショートカットを繰り返し、地元までの歩行距離をできるだけ短くしていく。今回の歩行帰宅に関し、すぐ近くに住む後輩と一緒だった。一人で黙々と歩くよりも、二人で適当な話をしながら帰るだけで、ずいぶんと気が紛れる。地元に近づくにつれて、気になる情報が入ってきた。「停電らしいです。しかも現在進行形で!」と。自宅は大丈夫かなぁ。

    確かに、多摩川の橋から見る街は、普段よりも暗い。新築の高層マンションそのものが真っ黒だから、本格的に停電となっているようだ。信号はところどころ灯を失っていて、機能を果たしていない。街灯も暗いままで、渋滞の車のヘッドライトが街灯代わりだ。地区によって給電状況が異なっているようで、道路を隔てて、停電している地域と給電されて通常通りの地域に分かれていたりする。給電されている地域のコンビニに人が殺到していて、外までレジ待ちの列ができている。ここで補給しておかないと危なそうということで、念のため私と後輩もこの給電されているコンビニに立ち寄ることにした。 商品棚は完全にスッキリ。床に置かれた陳列前の商品を直接手に取っている。最も重要となるであろう水と、士気維持のための甘いものを確保。

    コンビニを後にした直後、後輩と別れる。やはり後輩が住む地区は、停電が続いているようだ。自宅が存在する地域に入ると、急に明るくなる。よかった、停電は起きていない。家に戻って、状態を確認。部屋のあちこちに派手に揺れた痕跡はあるが、損傷そのものはなし。

    帰宅してから計算したところ、ショートカットが功を奏し、会社から自宅までは9kmジャストだった。時間にして2時間。歩行速度は5km/h程度を上下している感じ。普段からハイペースで歩き回っている結果によるものだろう。一度は徒歩で帰宅することになるだろうと思っていたが、まさか本当に実行することになるとは思っていなかった。ひとまず情報収集だ。今回の災害は、地震による被害よりも、大津波による被害のほうが大きいのではないか。

    阪神大震災のころと違って、情報伝達速度は比べ物にならないし、何より私自身が大きな揺れを食らったことが、他人事ではないことを痛感させられる。地震の翌日となる今日、街中を自転車で一通り走ってみた。昨日の地獄のような渋滞は姿を消していて、道路そのものはしっかりと機能していた。大きな揺れに見舞われ、一時的な混乱は見られたものの、既に通常と変わりない状態に戻っていた。

    東北地方太平洋沖地震発生

    14時46分に発生した、東北地方太平洋沖地震。震源は三陸沖で、マグニチュードは国内観測史上最大となる8.8だそうだ。
    15:46 2011/03/13追記→結局9.0までアップ。

    この時間といえば、大掛かりな仕事が一段落して、新幹線車内での点検作業がメインとなる時間帯だ。普段であれば15分足らずで終わるし、さっさと終わらせて、お茶でも飲もう(=サボり)かなと考えていたときのこと。

    ギシギシ…カタカタ…

    誰か歩いているのかな?それとも空気バネの調整か?まぁいい。柔らかい空気バネに支えられた車体は、人一人が歩き回っていても結構揺れるときがある。ところが、だんだん揺れは強くなっていき…。

    後輩「コレって地震ですよねー」
    私「っぽいねー。おー揺れとる揺れとる」

    ぐごごごごごっ

    後輩「何かやばくないですかっ!?」
    私「やばいって!車両の外出ろっ!!!」

    ずごごごごごごごっ!

    強烈な揺れのせいで、車両は大時化の海を航行する船の如く、大きく上下にうねっていた。その場にいた誰もが「脱線」の二文字を想像したはずだ。

    後輩「すげぇ揺れてるよ!!」
    私「いいから下に降りろ!庫の外に逃げろ!!」
    総括責任者「庫の外に出て早く!!」

    うわぁあぁあああぁああぁあああぁあああぁあ?…右ヨシ、左ヨシ…おああぁあああぁああぁあああ!!!!(こんな緊急事態なのに、線路を横断するときは一端停止して左右確認ヨシ!と指差喚呼する人が多数)

    がっしゃん!がっしゃん!がっしゃん!がっしゃん!

    ガタガタガタガタガタガタ…!!

    職場は鉄筋フレームで構築された建物なので、強い揺れでフレーム同士が好き勝手に暴れ周り、地震による地響きよりも金属が擦れる非常に大きな音が響き渡った。立って移動するのも困難なほど強烈な横揺れが続き、ようやく収まった。その場にいた誰もが崩れることを予感したのか、建物が無事ということを認識すると、無事だったなぁケガないか?とお互いを称えあう。

    引き続き派手な余震で、ビル等の建物はコンニャクのようにプルプルと揺れることを確認。上層階ほど派手に揺れる仕組みが、ひと目で分かった。この地震は一体何だ?と、すぐに情報収集が開始される。東海大地震と思ったが、三陸沖を震源とする地震と判明。緊急災害行動により、一時避難、点呼、損傷状態の確認。被害は決して少なくはないようで、保管棚が崩れたり、一部ガラスが割れたという情報が入った。ようやく仕事が再開できたのは、17時を回っていた。散らかった現場を片付けて、被害状態を記録しておく。

    18時ごろは、都心部の鉄道各線はほぼ全滅となっていて、動いている路線はゼロとなっていた。帰宅できなくなった人が多かったものの、それでも何とか帰ろうとする人がいるのもまた事実。私も帰宅組として、さっさと帰ることに。

    つづく。