もう一回か

昨日の昼間も少しだけ太陽が姿を見せ、久しぶりに太陽を見た感じだ。今日も日の出前からスッキリと晴れ、秋特有の高い高い空を眺めながらの夜勤明け。吸血鬼属性の身にとっては朝日は辛く眩しいところだが、ここのところはずっと雨模様で、明日からの天気予報も悪天候続きとなることから、僅かばかりの晴天を楽しむことになった。

今回もまた、一息つける夜勤明けになることなく、これから出張というからたまったものではない。今回は研修施設絡みではないし、今夜我慢すれば終わりなので、幾分気楽なのが救い。それ以上に残念なのが、冒頭にも書いたような明日からの悪天候か。この出張が終われば、連休で遊び三昧だ!と思っていたら、週間天気予報は傘マークばかりになっていて、予定が全て狂う。ひたすらキャンセル作業に追われてしまい、全く面白くない。天候ばかりはどうにもできず、運が悪かったと諦めるしかない。

毎回、この手の出張は帰りの新幹線が気になってくる。終わる時間帯と街中の渋滞具合によって、帰りの列車が大きく変わってくるためで、中にはタクシーを呼んで、駅に向かってダッシュするというブルジョワなパターンも発生している。道路の状況が恵まれていれば、指定の新幹線よりも10分程度早く帰れるが、各駅停車で意外としんどいこだまを選ぶか。渋滞は一切考慮しなくてもいいが、長く現地に留まることになる指定のひかりを選ぶか、いつもいつも運試し。

電柱

あちこちにある電柱は中空で、鉄筋コンクリート管だ。用途を終えて処分待ちになり、工事現場に横倒しになって積み上げられている電柱や、事故等の外的要因で折れてしまった電柱を見ると、内部構造がよく分かる。

折れた電柱

こんな具合。コンクリートと鉄筋の破損状況から、何らかの原因で外側のコンクリート部分が破壊され、バランスを失ってねじれるようにして倒れてしまったのかもしれない。引っ張りに強いはずの鉄筋も、何本か千切れている。電柱本体はそう簡単に壊れないような強度を持っているようだが、自動車に突っ込まれるなどすると、折れて電線が切断し、停電を引き起こしたりするから限界はあるようだ。

折れた電柱を見るたびに思い出すのが、次のおはなし。

ハンドル操作をミスって電柱に突っ込んで、見事に折れてしまった。車も壊れてしまい、正直に警察と保険会社、電力会社に届け出たら「なんで通報するんだ」と電力会社(の下請け業者?)から文句を言われてしまった。電柱を壊したことよりも、通報してしまったことに不満があるらしく、聞けば保険絡みの手続きや、再工事の手配やら何やらで極めて面倒なことになるそうだ。「折れていたから復旧工事をした」のと「折られたから復旧工事をした」は大違いで、自損事故なら逃げちゃえばよかったのに!とこれも慰めの一種だろう…と納得しておいた。

という内容。多少脚色されているはずだが、曰く「今じゃ考えられないだろ!」と笑っていた。何事も緩かったとても古い時代での出来事で、現在では考えられないような逸話の一つ。今の時代、電柱を折りながら、逃げ切ることはできるのだろうか。

梯子酒

職場の後輩から支援要請だ。神奈川県横須賀市のほうでアニメに絡んだスタンプラリーが行われていて、その条件が『濃厚な甘口ドリンクを買う』こと。聞けばカルーアミルクをベースにした酒(注:ノンアルも有)だそうで、あまりの甘味に嫌がる人多数。ということで、甘党の私に声が掛けられた。人生初の?昼間からの飲酒となった。

春風フロート

まず一軒目、どぶ板食堂 Perryにて注文。カルーアの量が多すぎても、牛乳が少なすぎてもダメで、なかなか自分好みの味と甘さになっているものは少ないが、ここのカルーアミルクはベストだった。静岡県の三島市にある飲み屋で飲んだカルーアミルクよりも濃厚…、いや、三島の飲み屋が薄すぎ。一般的にこの量は、甘味が強すぎて飲み切るのが大変らしいが、カルーアミルクなら何杯でも飲めてしまう私はむしろ少ない量となり、ほぼ一気飲み。飲み屋ではないので、ここで一旦打ち止め。

早くも酔いが回り始めたところで、二軒目に連れて行かれる。ハニービーにて、これまたカルーアミルク。

メイちゃんのカルーアミルク

妙に目つきの悪い猫が浮いている。一見するとカルーアミルクには見えないが、マドラーでかき混ぜると、次第にカルーアミルクらしい見た目に変わっていった。一軒目と違って濃厚な甘味とはならないが、後輩曰く「無理、飲めたものじゃない」。店内の温度と氷の量が多かったことから、そこそこのペースで飲まないと甘味が薄くなる。そこで店員に向かって「ストローくださいな」。酒をストローで飲むのも変なハナシだが、氷に遠慮して味が変わるよりはマシ。店員からは「お酒がハイペースに入っちゃうよ?」と心配されるが、もう入っているし、カルーアミルクはガンガン飲むのがスジなので「問題ありません」。

ヨコスカネイビーバーガー

昼食代わりになったのが、ヨコスカネイビーバーガー。味付けは塩コショウのみで、肉本来の旨みがよく出ている。肉の量が多く(170gオーバー)、そこに大きなパンズが上下にあり、とてもボリューミー。この味を知ってしまうと、もうマクドナルドは食べれない。

後輩のスタンプ条件クリアを確認。二軒のカルーアミルクで程よく酔い、そしてヨコスカネイビーバーガーで満腹となり、満足したところで全支援終了。アルコールが入った身には京急線の揺れが心地よく、寝てしまわないように我慢し続けることになった。初の昼間からの飲酒は背徳感があり、やはり夜のほうが気楽かもしれない。

お酒ありがとうございました。お疲れ様でした。>後輩氏

会津のナゾ、そして10月15日、解決

(内容を大幅に書き換えました)

福島県の会津地方をドライブしていると、視界に入って気になってしまうものが必ず出てくる。

屋根の上に小さな部屋?

これ。傾斜の強い屋根の上に、さらに小さな部屋があるかのような屋根が飛び出ている。ぱっと見て古そうなデザインの家屋にあって、近年に建てられたと思われる新しい家屋には存在しない。会津地方から離れれば離れるほど、見かけなくなっていく。内側には屋根裏部屋があるのだろうか。

  • >>10月15日答え追記
    屋根裏部屋ではなく、囲炉裏の煙の排出穴とのこと。
  • まだ気になるものが。

    壁面に家紋のようなもの

    壁面に家紋のような円盤があり、記号風、明らかに漢字、そして無表記と実に様々。これも古そうな母屋のみに掲げられていて、共通して大通りに向けて、けっこう目立つようになっている。

  • >>10月15日答え追記
    蔵の家紋だという。古い家には蔵があり、家紋を描くという。無表記は作ったが書いていないだけのようだ。
  • これら二つのナゾを目にすると福島県の会津に入ったなと感じる一方で、一体なんだこれは?と疑問に思い、その後に検索したところで答えは分からずじまいだった。福島県に縁の同僚たちに聞いてみても「なにそれ?」と存在すら知らないような具合だった。

  • ナゾ、解決!
  • こんなナゾを記事にしたところ、福島県在住の方から解答メールを頂いた。福島県がドライブ先になって10年以上、それ以来の長年のナゾが解決できて、本当にすっきりした。ありがとうございました。

    当たり前だった危険行為

    神奈川県の東名高速道路で、追い越し車線を走行中のワゴン車を無理やり止めて後続車に追突させ、ワゴン車を運転していた夫婦が死亡。無理やり止めて追突を誘発させたということで、石橋和歩が逮捕された。


    氏名年齢:石橋和歩 25歳
    住所:福岡県中間市扇ケ浦
    本籍:福岡県鞍手郡

    実は私もこの手の嫌がらせを受けたことがあり、高速道路上でのこと。目の前にインターがあって、即下道に逃げることで大事には至らなかったが、Youtube等の動画サイトでも調べれば調べるほど、似たような事例は多数ヒットするわけで、新手のトラブルではなく、ある意味では極普通に行われている危険行為だったりする。言い方としては適切ではないが、たまたまこの当たり屋殺人者の凶行が明るみになったことで、道路上での危険行為が注目されるようになり、事故や司法の専門家が次々と「相手にするな、回避を」「動画撮影」「警察へ通報」なんてアドバイス的な記事を連発しているところで、道路上における危険例の一つとして、一刻も早く広まってほしい感じ。

    車を運転するうえでの基本ポリシーは『道路上の他車は、総員凶器を持ったキチガイと思え』だ。公道は性別年齢技術問わず、いろいろな人が車を運転しており、全員が全員、まともな運転を行っているわけではない。それこそ、石橋和歩のようなDQNがいて当たり前で、いち早くリスキーな車(ドライバー)を見つけ、近寄らないようにするか。連中は、「煽られた」「目が合った」「スピードが遅かった」というような、自己中心的かつ身勝手な理由で簡単に癇癪を起こす。そういう逆恨み系トラブルに巻き込まれることを防ぐためには、脳をフル回転させ、常に危険予知能力を最大限に発揮させるしかない。

    こいつは危ない車(ドライバー)だ…と察知する要素はいろいろあるが、例えば走行中の都市を中心として近隣も含め、それら地域から大きく外れるナンバーは注意する要素になる。先の石橋和歩の例では、神奈川県下なのに北九州ナンバー、しかも旧型のホンダ ストリームで、これだけでも近寄りがたいものが揃う。わざと通行路に停めているとなれば、自己中心的で身勝手なドライバーと察することができるし、この手の輩は注意されることに慣れている。文句を言われたままでは、それは輩にとっては負けとなってしまい、耐え難い事態。負けはプライドが許さず、遠い地方からやってきただけあって、周囲の目線は一切気にならないことから、いかなる手段を用いても相手を潰しにかかってくる。

    もちろん、私が逆パターンで、地域外からの車になることは当然のハナシ。青森や北海道を走れば該当し、「都会の人間は遅い(=下手)」と思われて煽られることは、一度や二度ではない。地元住民とスピード領域がまるで違い、ウインカーは出さないか遅い、ミズスマシのような運転を披露してくれるが、郷に入っては郷に従うつもりはない。その先のねずみ取りで捕まっているところを目にすることがあり、下手が!これだからカッペは!と思っていたりする。そういう土地から都会…首都高に帰ってくると、混雑している中で滑らかに運転する技術を自然と身につけていることから、スムーズに走れることに安堵する。他人の観察が第一になる地方には絶対に住めないし、住みたくはない。

    石橋和歩も、絶対に近寄ってはならないキチガイ系ヒトモドキ類なのだから、わざわざ関わるほうが危険。あえて言うと、死亡した夫も、注意しに行って、逆恨みされる可能性まで考えられなかったのだろうか。アドバイスとして「警察へ通報」とあるが、変な希望は持たないほうがいい。正義という言葉を軽く使ってしまう警察も、残念ながらクソの役にも立たず、この手のドライバーに絡まれて通報しても、車や身に実害が起きない限りは、すぐには来てくれない。まずは自分の身は自分で守るしかない。

    ※事件の重大性と今後の法改正を望み、石橋を含めた全てのクソドライバーに対する非難の意味で、キチガイ、DQNという差別用語をあえて使った。

    レカロ

    JR東海自ら廃車になった鉄道車両の部品を販売するということで、公式Webサイトが開設された。その第一弾は座席ネタがあまりにも多く、いろいろな意味で苦笑するばかりとなった。現物を入手できる数少ないチャンスなので、欲しいものがあれば随時チェックすると幸せになれるかもしれない。

    さて、数ある商品の中から、自動車好きには特に興味を引きそうな、ある商品を(勝手に)紹介してみようと思う。

    700系の運転席その1

    700系の運転席だ。これに座って、乗務員は編成をコントロールしてきた。その座面部分を良く見ると…。

    700系の運転席その2

    RECAROの文字が。そう、700系の運転席はレカロシートを採用していた。700系も、旧世代ホンダタイプRのように純正レカロシートだったりする。

    レカロシートといえば、スポーツ系が思い浮かぶところだが、レールの上を走る700系では、ドライブポジションが正しく保たれることによる腰痛対策だ。座り心地はレカロ特有の感触そのもので、しっかりしたホールド感が心地いい。シートバックの角度微調整は、ダイヤルをくるくる回す点は自動車用レカロシートと全く変わらず。そしてずっしり重たい点も、やはりレカロシートだ。

    過去の新幹線なるほど発見デー(浜松工場の一般公開)において、700系の運転台見学が行われていたと思う。例えば、新幹線が好きなお子さんと、車好きの親御さんがいたとして、700系の運転台に来た瞬間、親子揃って興奮(お子さん:「新幹線の運転台だー!!」、親御さん:「レカロシートだー!!」)していたとしたら、とても微笑ましい瞬間かもしれない。しかし、工場一般公開系の記事を片っ端から検索を掛けてみたが、700系のレカロシートに気づいていた人は僅かだった。

    一脚80,000円と安くはない価格で、既に売り切れになっているのが凄い。使い道は座椅子だろうか。立派なものになるので、ぜひぜひ使い込んでほしいところだ。私は時計を買ってオーバーホールのネタにするつもりだったが、出遅れてしまった。

    ※製品写真は、JR東海鉄道倶楽部の商品ページより引用

    大津港へ出る

    酪王カフェオレを買いに福島へ行くドライブから、いつの間にか東日本大震災の被災地チェックドライブになっていた。帰宅困難区域を通過し、最後の目的地は大津港だ。この大津港は、3月11日の地震により津波が到達した場所で、原子力事故や岩手、宮城、福島の津波が大きく取り上げられる中、殆ど触れられることはなかった。死者は5名、行方不明者は1名、忘れてはならない被災地だ。

    実はS15オーナーの親戚が当時も今も住んでいるところで、3月11日の地震により家が浸水、津波の圧力によるダメージを受けている。どれくらいの波が到達していたのか、そしてどのように環境が変わってしまったのか、一つひとつ教えてもらいながら現地を歩き回ることになった。

    大津港に到着

    S15オーナーの案内で大津港に到着。大井埠頭や苫小牧港のような、巨大な港のイメージだったが、実際はその逆。地元住民の釣り場としても栄えていて、何人もの釣り人が釣り糸を垂らし、頻繁に魚を釣っていた。既に津波被害の案内が始まっており、「あそこに見える、黄色い酒瓶コンテナのところまで波が来た」とのこと。写真にも僅かばかり写っているが、改めて後述したい。

    大津港と漁船

    漁船とEK9シビックR。津波が来ると判明した時点で、避難できた漁船がいれば、津波で陸地に押し出されてしまった船もいたそう。当時はガタガタに崩れて落ちてしまったが、今はコンクリートのきれいな岸壁となっている。

    津波による浸水部分を歩く

    やけにきれいなアスファルトの舗装路。ここも津波で被害を受けており、この地面高では一階部分が海水にやられたという。

    更地はもともと家があった

    交差点から港方面を見る。写真左寄り、止まれの標識と青い看板のすぐ後ろ側に、立派な家が建っていたそうだが、津波によるダメージで建物を解体。今なお更地のままになっている。更地になっている場所にはどこも家が建っていたが、津波で状況が一変してしまった。

    2011年5月の状況

    S15オーナーより、止まれの標識の後ろ側にあった、大きな家の写真を提供してもらった。2011年5月下旬撮影。地震発生から二ヶ月が経過し、引き続き余震が起きていた。手前の土地には、ぐちゃぐちゃになっている鉄骨フレームがまとめられており、路面をよく見ると茶色の砂埃で覆われていることが分かる。漁港側でも、建物の骨組みだけが残されている様子が写っている。

    津波の高さをチェックその1

    改めて津波の高さを再チェックだ。最初に案内された、黄色い酒瓶のコンテナを目標に、どれくらいの高さだったかを見ていく。漁港側から陸地方面を見ると、丘のように傾斜になっていて、少しずつ高さが上がっていく。すぐ先の道路から、もう一本陸地側の道路に入る。

    津波の高さのチェックその2

    写真左寄りにある、黄色い酒瓶コンテナあたりまで津波が押し寄せてきたという。写真内のフィット二台分の高さがあるし、どうみても写真右寄りの家の一階部分は、全て海水の浸かってしまう高さだ。写真中央から奥まで続く、空いている土地も家があったそうだが、長らく現状のままだという。

    大津港の被害は全く知らなかっただけに、6年経過した現在、当時の様子を僅かながらに聞くことができて、何度「マジか…」を発したことか。津波は気象による波と違い、海面そのものが上昇したような状態になって、塊の如く巨大な圧力と破壊力を伴って押し寄せてくる。S15オーナーの親戚宅もこの力に晒されて、現在も陸地側に数cmほど傾いたままになっているそうだ。

    休日だったこともあって頻繁に釣り人の車が往来し、しかも日没時間帯だったことから周辺の散策や写真撮影が難しく、再び足を運び、しっかりとした記録撮影を行いたい。自宅からそう遠くない場所なのに、意識が東北方面の津波や原子力事故ばかりに向いており、もっと早い段階で大津港の被災状況が知れていれば、何かできることがあったのではないか?と悔いがある。

    震災から6年。世間では明らかに風化しているところだが、太平洋側の被災地は復興が続いているところだ。個人的な風化を防ぐためにも、今後とも現地へ訪れることで、自然災害に対する備えのチェックや考え方を改める機会になりそうだ。最初は、ついでに経由してみるか!という軽いノリだったが、自分自身の目で被災地の実態を見て聞くことが、ここまでヘビーなものになるとは考えもしなかった。間違いなく、今回のドライブはいい経験になった。

    帰宅困難区域の国道6号線を往く

    福島県の会津田島で酪王カフェオレを購入、そのままさらに北上して山形県の米沢駅でS15オーナーと合流し、ここから往路に入る。R13とR115を経由して福島県を横断、太平洋側へ出ると国道6号へ合流し、そのまま南下を開始する。

    今から6年前、忘れもしない2011年3月11日。東日本大震災を端緒に、福島第一原子力発電所で原子力事故が発生した。爆発により、原子炉から飛び散った放射性物質は周辺地域を汚染し、今も避難区域が設定されて帰宅することができない。その中には国道6号も含まれていたが、2014年9月15日からは自動車のみ通行が可能となった。そこでネットや報道による情報でしか分からなかった避難区域について、国道6号を通ることで自分の目で見ることにした。

    2017年10月現在の帰宅困難区域

    まずは走行した10月8日現在の、帰宅困難区域を再確認する。双葉町、大熊町、富岡町の一部となっており、走行においても北から南へ抜けるコースとなった。帰宅困難区域内に入る前から窓を全て閉め、エアコンも室内循環に設定する。

    国道6号の通行規制事前予告

    帰宅困難区域を通過する国道6号は、自動車のみ通過することが許可されており、バイクや自転車、徒歩は引き続き通行止めとなっていることが、事前にある電光掲示板からでも読み取れる。ではトライク、幌がついていないオープンカーはどうなんだ?と思うところだが、身を剥き出しにして立ち入るなという意味合いだろうから、察したほうがいいかもしれない。

    津波が到達した記録の看板が立つ

    国道6号内には、津波浸水区間を表示する看板をいくつも目にすることができる。撮影地点は海から2kmもないところで、なるほどここにあの波が…と実感させられる。家が建っていることからも、復興が進んでいることが分かるが。

    除染で取り除いた土等の仮置き場

    広い土地に白いバリケードで目隠しされている区画が突然出てきて、ところどころから見える大量の黒いビニール袋。全て除染で取り除いた、土や廃棄物の仮置き場だ。最終処分までの間、集中的に貯蔵する施設として、東京電力福島第一原子力発電所を取り囲む形で、中間貯蔵施設の準備を行っているそうだ。

    帰宅困難区域へ入る

    案内看板が道路脇に多数設置され、警備員が見えてくると、いよいよ帰宅困難区域の北側部分に達する。驚いたのが、徒歩で立ち入るなと警告が出ている環境の中、警備担当者は顔面にマスクだけしており、肌が露出していることだった。仕事上のことで累計被曝量を管理されているはずだが、私のような素人だからこそ、やはり心配になってくる。

    通過後に分かったことだが、この帰宅困難区域の北限周辺、具体的には10月8日14時40分、JA双葉北部営農センターでの空間線量率は5.91μSv/hという数値だ。自宅周辺の空間線量率が0.025μSv/h程度の数値となっていることから考えても、高いと感じてしまう。健康診断や腰痛検査で受けるレントゲン撮影よりも低い数値で、短期の影響なら問題はないと頭では分かっているが、怖いものは怖い。

    交差点は基本直進のみ

    交差点は基本的には止まることが無く、信号も黄色の点滅現示…注意して進めという扱いだ。

    バリケードによる物理的な制限

    このように、交差点にはバリケードを使って物理的に曲がれないように制限されており、直進するしかない。この交差点を過ぎてしばらくすると、空間線量率を表示する電光掲示板があって、0.954μSv/hと出ていた。

    国道6号沿いにはいくつかの新車ディーラーがあったのだが、置かれている車は触ることや撤去もできず、全て草ヒロ状態で放置されていた。走行中の一瞬だけでしか見れなかったが、砂埃や粉塵まみれになっており、あちこち錆が浮いているようにも見えたし、タイヤの空気も抜けていたことまでは分かった。

    ひときわ大きな送電線の鉄塔が見えてくる

    大熊町に入ってすぐ、ひときわ大きな送電線の鉄塔が見えてくる。雰囲気からして、ただの鉄塔ではないことがよく分かり、そのまま視線を左側に移動させる。

    目前には福島第一原子力発電所のクレーン群が見える

    そう、原発前に達し、福島第一原子力発電所から伸びている送電線だった。林立するクレーンが見えており、廃炉作業が行われている現場だ。日曜日だったことから、工事も休日だろうか。この写真を撮ってからすぐの空間線量率の電光掲示板では、2.452μSv/hとなっており、場所によって数値が大きく異なっていた。

    有名なバリケードゾーン

    いわゆる火事場泥棒に対するセキュリティも兼ねているのか、家にまでバリケードが設置され、立ち入りできないようになっていた。帰宅困難な現状を象徴する場所として、報道でもよく見かける区間だ。

    3月11日以来、手付かずのトヨタのディーラ

    富岡町に入り、ガラスが割れ、無残な姿のままになっているトヨタのディーラを通過越しに見る。地震でダメージを受け、そのまま原子力事故で避難を余儀なくされ、完全に手付かず。あの震災から初めてナマで見て、あまりにも衝撃的な光景だった。

    手付かずのゲームセンターその1

    手付かずのゲームセンターその2

    ディーラを抜けたら、すぐに手付かずになっているゲームセンターを目にすることができる。長い間に渡って片付けられていないのに、ソニックとテイルスの色褪せがあまり起きておらず、いつもどおりの二人(二匹?)の状態が保たれていることがむしろショックだ。

    こうして、帰宅困難区域を出てさらに15km以上走り、広野町まで出てから小休止に入った。このあたりまで来ると、空間線量の数値もかなり低下していることから、ようやく安堵してエアコンを外気導入に戻した。

    短期間的には大丈夫なのだろうが、長期的にはとても高い空間線量に達している場所だけに、避難区域が継続している理由がよく分かった。そんな場所を車のみで通過限定とはいえ、一般人が往来できるようになっている現状では、時期尚早だと思った。その一方、東日本大震災の凄まじさ、原子力事故の過酷さを一度に、報道等で他者を介することなく、自分自身の視野を通じて知ることができる貴重な場所となっている。通過するカタチながらも、往路コースに組み入れて正解だった。

    米沢←○○→大沢

    山形県米沢市に入り、列車の到着まで若干の余裕があったことから、組織の本部へ出向いて時間つぶしだ。今回の記事は、主に組織への報告書となる。

    踏切で引っかかる

    踏切でE3系の通過を眺める。この踏切を越えてすぐ右に入れば、本部まで数分。本部指定郵便局は、日曜日だったことから取り扱いはなかった。

    米沢と大沢の間の本部

    そして到着。EK4シビックSiRIIに乗っていたとき以来なので、実に12年ぶりの本部訪問となった。当時は雨が降っていたことから、静かで暗い雰囲気だったが、今日はこのように晴れでまた違った感じを漂わせている。過去の社長の報告では積雪時だったこともあり、白い粉雪に包まれた本部は異空間そのもの。まったく、いくつもの表情を見せてくれる本部だ。

    S根駅

    なにやら国外の言語が増えている。どうなっている!?>組織幹部

    入室を強く促される

    入室を強く促される 反省室 厠。小便所を使うと大便所から音が鳴り響く点は、昔と全く変わらず。重力に逆らって、天井に向かって伸びていく不思議な液状跡は無くなっている。

    足湯列車通過

    通過列車の構内放送が流れ、しばらく待っていると足湯列車が通過していった。

    キレイになった部屋

    下り線にある 教化室 待合室も、LED灯まで装備され、ずいぶんときれいに。

    S根駅構内踏切より

    列車の時間が近づき、構内踏切を再び渡って本部から退出することになった。

    以上、組織への報告終わり。

    酪王カフェオレを買いに

    本来、この連休は黒部方面へのキャンプだったのだが、土曜日の昼過ぎまで降り続いた雨で、キャンプ地の地面状況が良くないと判断したことから中止に。走行距離を大きく稼げる機会を失うわけには行かなかったことと、休みでじっとしていられなかったこともあり、東北地方へ甘味の補給活動をメインに、リフレッシュした運転席の具合調査、いろいろな視察ネタを含めた、とても濃い日帰りドライブとなった。

    普段なら往復共に高速道路を使うところだが、今回は下道メインで走り続ける。栃木県日光市からR121に入り、ひたすらトレースを開始する。道中は名物三連おにぎりを探しながら、のんびりだらだら走り続け、さっそく発見。

    R121名物の三連おにぎり

    二連おにぎりはよく見かけるが、三連は少数派のようだ。冷えたR121の北上を再開。ウレタンが復活したレカロシートの具合は悪くなく、背中から腰に掛けてのピンポイントな圧力が解消されて具合がいい。重複区間を抜けて県境を越え、福島県に入る。

    会津田島駅周辺

    会津田島駅周辺は、学生時代に自転車で走り抜けている思い出の場所。当時は自転車だったのに、今はこうして車で軽やかに通過しており、成長したことを実感するのと同時に、乗り物が変わってもやることは変わりないことを再認識させられることになった。会津若松から喜多方をノンストップで走り抜け、山形県の米沢市に突入。ここで同時に後から追いかけてくるS15オーナーと合流して、折り返しとなる。

    酪王カフェオレ補給完了

    酪王カフェオレを大量購入するのが、最大の目的だった。毒々しい甘味のMAXコーヒーとは異なる、さっぱり系の甘さだ。一週間掛けて、じっくり消費していくくらいのペースで飲まなければもったいない。ネトゲに没頭していた過去なら、一晩でなくなっていた量だ。

    大回りな走行ログ

    今回の走行ログ。復路においても、山形県米沢市から福島市街地を横断、茨城県北茨城市まで下道を走り続けた。ここまで下道を主体にしたドライブは、免許を取ってから二回目くらいになるはずで、高速道路を走り続けるドライブとはまた違った疲れを実感することになった。茨城県に入ったあたりで、ようやく腰痛の兆しを感じたところなので、シートのリフレッシュ効果はとても高い。研修出張で鈍った筋肉を取り戻せば、ある程度は耐えられるようになりそう。

    総走行距離824km、総合燃費は16.5km/h。運転ありがとうございました。>S15オーナー